窓辺に・・・・・ 行ってきます!

長かった 1月が 終わる・・・・  

毎朝 娘たちが 「おばあちゃん、行ってくるね〜!」
と 挨拶をしていた 母の部屋は 
ひとあし早く 春が来たように 花が咲き乱れている。 


12月のなかばまでは 一人で風呂に入っていたのに 正月5日から 寝たきりになった 95才のおババさま。


自宅での家族による看取り 平穏死を選んだものの 
老衰とは もっと静かに 平穏に 枯れるかのように 逝くのかと 思いきや
最期まで 意識がしっかりしていたために 苦痛が全部わかって 気の毒だった。

呼吸の苦しさ 口の渇きと荒れ 寝たきりによる 身体の痛みや痒さ
吐き気 だるさ 布団の重さ 
 「あ〜 やだやだ こんな人生」 
 「なんで こんなイジメにあうんだ」
  「もうごちゃごちゃだ。からだを一本まっすぐにしてくれ」
  「竹藪でごくごく水を飲みたい」
  「スイカ食べたい」
  「3人で どこか 広いところへ 行こう」 
その日の状態で はっきり言葉になる時もあるし 
指で 空に描く 手話や 聞き取れないたどたどした単語を 
こちらが かろうじて意味を繋げてみることもある。

 前の記事(人生を語らず)にも書いたが 12月からずっと 臨終体制で
娘たちも ずっと 横のコタツで寝て 夜中も看病していた。
正月から さよさんが 柏のスーパーでみつけて届けてくれた スイカを 一さじなめただけで
何も食べてないのに 毎日10回くらい 黒いタール便が出て そのオムツ替えも3人かかりで 四苦八苦。
「水を飲めなくなったら 1週間かなぁ〜」と 往診のお医者さんに言われて
今夜が山か 今日か明日かと ピリピリ緊張した毎日を送ってきた。
そして まさかの 発表会の朝 大量嘔吐。 
だんだん 家族も 疲弊してきた。  いつまで がんばるんだろう。  平穏死って 全然 平穏じゃない! やはり 入院させた方が よかったのではないか・・・・
 

1月なかば 谷川雁の新刊『不知火海への手紙』が 事務所から届く。
「う〜 苦しい 苦しい」唸っている母の横で パラパラと 本を開く。

その生をつらぬく もっとも悲痛な急所は どこにあったかと 改めて問い直すのが、  
人を悼むということである。                              

                                    谷川雁 
中上健次追悼 「海に背いて海へ 」  


ああ 雁さんの 言葉が 沁みる。

暮れから この 一ヶ月 私がノートに書いている言葉は  
ウンチの回数や 呼吸の間隔 嘔吐や 褥瘡の状態 母のうなり声の意味 ばかりだったから。 

                                                                               

急所は わかっている。
明治 大正 昭和と 女たちがずっと戦ってきた 「女というものは」という自画像だ。
母は 戦う相手を 間違えていた。
私も 方法を間違えているのを わかっていながら 変えなかった。 
それが 私の 方法なのだ。


生みの母よりずっと 私はこの 義母に似ている。
25才から33年間ずっと 一緒に暮らした。
3人の子育ても お勝手も 畑も 庭仕事も 全部助けてもらいながら 一緒にやってきた。
季節季節の漬け物や料理 畑仕事を 昔の田舎の思い出の 問わず語りと共に教わるのが 何より好きだった。
季節の暦と 気温の体感と仕事が 東京育ちの私のからだに刻まれたのは 義母のおかげだ。


晩年は 超働き者の母が 思うように動きまわれなくて 自分の部屋から出ず
食事も全部 この窓辺で 取るようになったので 頭だけが冴えて 私や孫を相手に 文句が増えた。 
理不尽な 宗教的な妄想や ダダっこのような要求に 
私が 戦うのがめんどくさくて ハイハイと 服従するものだから 
反抗期の中学生と母親のような ヒステリックな 共依存に なっていた。

あまりの ストレスに 私の方が先に 逝くのではと マジで 思っていたから
自分が 生き残れて ほんとに よかった・・・


この窓辺で 母は 子どもたちのセーターを編み 着物を縫い
花を生け 甘酒を仕込み 手紙や日記を書き お取り寄せをし 
孫や私に しゃべってしゃべって しゃべり続けた。
脳がやられて 失語した 私の生みの母や 玄関でのたれ死にした独居老人の父に比べても 
最期まで 家族みんなに囲まれて こんなに饒舌に語り続けられる老人は 今は 希少だろう。


   


 
チーム ババ  誰も 逃げず ずっと笑って 自主的に 看病してくれた。 感謝! ごくろうさま!


たくさんの花に囲まれて 行ってらっしゃい。
そして 今日も 窓辺にむかって 私たちも それぞれ 行ってきます!

(しっかし なぜ 今日に限って こんな雪? 爆 )
 
| おばんの病みつき | 10:00 | comments(6) | trackbacks(0) |

にじいろの発表会まで 最終週へ



はてさて いよいよ 波乱含みの 最終週に 突入です。
子どもたちの元気が 舞台で はじけますように! 
(なんとか 無事に みんなで 舞台にあがってほしい・・・・祈)  


1月18日(日) 第35回賢治童話人体交響劇発表会
時間:11:00開場、11:30開演(終演16:40予定)
場所:国立オリンピック記念青少年総合センター カルチャー棟 小ホール

【プログラム】
小泉パーティ『月夜のでんしんばしら』
伴パーティ『土神と狐』
根本パーティ『どんぐりと山猫』
久保寺パーティ『楢ノ木大学士の野宿・野宿第一夜』
前田パーティ『水仙月の四日』
林パーティ『北守将軍と三人兄弟の医者』
葛飾ものがたり文化の会『狼森と笊森、盗森』
足立ものがたり文化の会『水仙月の四日』
関東楢ノ木会『狼森と笊森、盗森』

新年俳句会やかたつむり楽団による『白いうた青いうた』も。


フライヤーはこちら。

 
| がやがやがやがや | 20:42 | comments(0) | trackbacks(0) |

人生を語らず♪



みなさま 静かな新年を お迎えでしょうか。 
今年も 「スペースを すこしズラして」(どくんごouf!)「かなり 自由!」に やれたら・・・よいね!

12月は ずっとざわざわして 先が見えない ・・・・な 状況でした。
発表会の練習も 丸投げで帰ったり ねもパのみなさまには ご迷惑おかけしました。
 ご心配おかけしてると思いますが なんとか 年を越しました!

12月のはじめから 我が家のオババさま 呼吸が苦しく 軽い心不全 むくみ 酸素78 
ほとんど 食べられない上に 大量下血が6日間と 目を離せない状況が続いていました。
 病院にも行かず 点滴も酸素もナシで 比較的具合のよい時に お医者さんの往診1回だけで
自宅看護しているので けっこう 緊張しました。
これまでの とにかく食べてくれない食事の世話に加えて
1日1回 トイレに起きて 何か1口 飲むか食べるか が3時か4時か・・・という生活になったので
トイレ おむつ 身体の清拭 足湯が 加わり 
やっと我が家も 人並みな介護に なってきたというところでしょうか。
(全国のみなさま ご苦労さまです。でした!) 

本人は 臨終モードで 家族全員に セーターやら コートやら クリスマスプレゼント
お正月の 昆布巻きなども たくさん お取り寄せし 
ありがとう ありがとうと 全員と握手をし 
私への バッシングが 急に消えて 感謝の人に 豹変したので! 
いよいよ これは 最期かと こちらも 覚悟してしまったのですが(笑)・・・

しかし 本人は 10年以上前から ずっと 危篤で(笑)
 ウソでもいいから 家族が宗教に入ってくれたら 私は 安心して死ねる
あれから 14年・・・・
 私の葬式に みっともない喪服じゃ 恥ずかしいから 家族全員の喪服を新調して
あれから 9年・・・・(喪服は 私の親の葬儀に 役立ちました)
 尿路感染で 入院して 高熱で もうダメかと 私が病院に泊まり
あれから 4年・・・・(入院しても 天ぷらそばが食べたい かんぴょうまきが食べたいと 毎日3回食事を運んでた)
  夜中にトイレで転んで 顔面強打 目も開けられないほど額が腫れ上がったが  自力で ベッドに戻り 
黄疸出るも 医者にも行かず
あれから 1年・・・・

さすが 戦中戦後を 生き抜いているので からだが 屈強なんですね。
頭もしゃっきり お取り寄せの支払いの計算も明解だし
葬儀に呼ぶ人の名簿や 料理の手配 飾る花の数まで 毎日細かく 指定されております。(笑)

まあ 産みの親より長く 33年一緒に暮らしているとはいえ 人の親だし
子どもたちにとっては 優しいおばあちゃんなので
彼女の95年の人生を 嫁の辟易で まとめてしまっては 失礼ですよね。 

しっかし  な なぜ また このタイミング・・・
発表会 スプリングキャンプ担当 仙台宮城県美術館での展覧会とバッティング
いつも 私の実家の悪霊の祀り方について お叱り受けてるから ヤだな〜〜 
この日のために 去年1年 あんなに苦労して 100倍返しに耐えて 導入した ショートステイだけど 
うう ズ ずらせるのか? 自分・・・・

小田和正 クリスマスの贈り物 何年か前に 吉田拓郎と コラボした 『人生を語らず』 初めて 聞いた。
吉田拓郎って リアルタイムでは 全然聞かなかったんだけど   歌詞が なかなか ぐっときました。

越えていけ  そこを
越えていけ それを
今だ 人生を 人生を 語らず               吉田拓郎 『人生を語らず』



そうそう 語ってる場合じゃありません。 とにかく 越えないと・・・
(そういえば 垂直の崖を ハルカとミハルと車で上ってる 夢見た な なぜ)


年末年始は 劇団ねもと オールスターキャストスタッフそろい踏みで お世話してるので 助かります!
これが大団円だったら 2009年の ネモトニー賞 脚色賞に続いて 最優秀演出賞も 獲得できた
完璧な はっぴいえんどストーリーだったのにね。(笑)

   20大ニュース ネモトニー賞 http://kankarakan.jugem.jp/?day=20080114

 V6 輪になって踊ろう♪ で 踊る(笑)
 岩手釜石から買ってきてくれた 浜千鳥 虎舞を持って 虎舞う(笑)


                                  
  
アラカン 今年も 越えていきま〜す! みなさまも よじのぼって〜! 
受験生とその親も ともかく 越えようね! 次のステージは かなり自由だよ〜!







 
| おばんの病みつき | 12:30 | comments(0) | trackbacks(0) |

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古谷田奈月 『ジュンのための6つの小曲』

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