有明海 

有明海。  なんと 美しい 海の名前。
あ音と か音と のぼる朝日のイメージが 見たこともない海への想いを 募らせる。



長崎八人兄妹物語 5男テツオの話の中で 嵐の日に 糸岐川が氾濫して
傳次郎が大事にしていた 数百万相当の 盆栽は 濁流とともに流され
有明海の藻屑と消えちまったぜ〜。 

講談調の話を聞いていたので、なんだか 外洋に開けた大きな海の気がしていたが、有明海は その語感とはちがって 
佐賀県と長崎県と熊本県、それから柳川大牟田のあたりで福岡県にも囲まれた 大きな丸い湾だった。

干満の差が大きく、日本最大の大きな干潟で 独自の生態系が豊かな海産物を育てるという。
海苔の養殖の竿が並び 太良は 蟹が名産だ。
有明海の西南の一部、 島原半島で 囲まれた部分が 諫早湾。
干拓事業で 生態系を壊す ギロチン堤防が 物議をかもした。

すぐ向かいに 雲仙普賢岳そびゆる島原半島が見える。

我が家の子供たち3人がまだ小さい頃(1992年頃か) 
私の母が おばあちゃんの故郷を見せたいと 長崎へ連れて行ってくれた。
できたばかりの 佐世保のハウステンボスと 2日目は長崎市内、3日目は雲仙普賢岳に行って 白い馬に乗った。
その直後に 普賢岳が爆発して 子供たちは 白い馬は大丈夫かと ずいぶん心配したっけ。
なんだか すべてはあらかじめ 仕組まれたように 配置されているなぁ。(笑)

9月30日、82才の泉おじと諫早駅で合流した後 車は 有明海沿いに 佐賀方面太良へ向かった。

右手に ずっと 有明海。
左手には 正面に多良岳。 その裾野に みかんの段々畑。
そういえば 母は ♪みかんの花が咲いている〜 という 歌を 子守歌によく歌ってくれた。
田んぼの縁に びっしりと真っ赤な彼岸花。 佐賀はなぜこう 彼岸花が多いのだろう。
時々 カニや 牡蠣の 直売所がある。

道路と 平行してずっと 長崎本線の単線が 左を走っている。

そう、ほんとは この長崎本線に乗りたかった。
車窓からの 風景を 見たかった。

この『長崎八人兄妹物語』は 2005年に脳の悪性リンパ種で亡くなった 私の母 夏木が持っていた
被爆者手帳 被爆年齢17才 の文字を見た時から始まった。

母から原爆の話を一度も聞いたことがなかった。
脳がやられて失語した母から 母の物語を聞くこともかなわず、母の死後、私は母の兄妹たちに 素朴な疑問を聞いてまわった。
『長崎八人兄妹物語』は その聞き書きの記録である。

家族が 佐賀県多良に 疎開したのに 少女はなぜ 一人長崎に残ったのか。
疎開先で 学徒動員に参加することは できなかったのか。
そもそも17才の少女が、長崎のどこに 誰といたのか。

おじおばたちへの 最初の問いは これだった。

昭和20年8月8日 17才の少女夏木は 学徒動員で働いていた 長崎の兵器工場から
めったに取れない休暇申請が認められて 家族が疎開している 佐賀県多良へ 帰った。

三菱造船のお膝元 軍事の町と化していた長崎の ピリピリした空気から 
長崎本線に乗って 多良へ向かう時、17才の少女は何を 思っていただろう。 

それが 今回 私をタラへ 駆り立てた 動機である。


足におできが できて 兵器工場に 休暇を申請したのだという。
  
でも なぜ おでき?
おでき という響きは どこか喜劇的だ。

致命的な怪我や高熱と違って、本人の苦痛以外に 作業に支障をきたすとは思えない。
おできごときで、 あの非人間的な 国家総動員の時に、よく休暇申請が認められたものだ。


気丈な軍国少女を 八月八日 長崎から動かしたのは、本当におできだけだったのだろうか。
おできを理由に、家族の元に帰りたい 「なにか」が あったのではないだろうか。

2番目の問いは これだ。 これは今まで 誰にも聞いたことがない。 
全体を通して 一番知りたい問い。 多良へ向かう この道で、あの日の17才の少女に 向けたい問いである。

学徒動員で 通っていた 長崎大橋の三菱兵器工場は 魚雷回天を作る工場だったという。
特攻隊と同じ発想で、人間が魚雷に乗って、敵の船に突っ込む 自爆型の魚雷だ。

もちろん 学徒動員の少女に 魚雷の全貌など 知るべくもない。
長崎に一人残った 気丈な軍国少女であったが 
なにか 息苦しさが飽和点に達して ふと家族を 思った。 のではないか。
8月6日 広島に新型爆弾が落ちた報が 話す家族もいない 少女を ざわざわ不安にさせたのかもしれない。

父親 傳次郎なら どう言うだろう。
答えは わかっていたのに あえて それを聞きたくて 帰った。 私には そんな 気がしてならない。


家で父が「日本は負ける。まったくバカげた戦争だ」とつぶやくのを聞くたびに
(非国民)とひそかに反発する一方で、

町にひろがる「鬼畜米英」の勇ましいスローガンには、
やさしかったアメリカの先生方を思ってどうにもなじめず、
(夏木は活水の英文科でアメリカ人の先生が大好きだったから)

「海ゆかば水漬く屍・・・・」と歌うときには、その莊重な悲しい響きに、
皇国臣民の誇りと高揚感を覚えたりもする。

さまざまに分裂した幼稚な頭で、
私は(国家ってナニ?)と悩みながら うろうろしていたが、
すでに「自分」という存在と、 「国家」という見えない存在とのギャップを、
深いところで意識しはじめていたのは たしかだった。

                         (「共生の地球を夢見て」 針生夏木 授業を創る誌)

母が70才で初めて書いた随想の中の一文だ。 

今読み直すと 私の問いへの答えは なあんだ ちゃんと本人が書いているじゃないかと あらためて驚く。(笑)
8月8日 小さな岬を へつるように どこまで行っても有明海が続く 長崎本線に揺られながら 
少女の中で 渦巻いていたのは 言語化されていない こんな思いだったのでは ないだろうか。

ひさしぶりに戻った 姉さんを 迎える家族。
どう歓迎したものか みんなが 少し浮き足立つ。
「夏木姉さんは ほとんど多良に帰って来なかったよ」 4男キヨアキは言っていた。
兄さん2人は出征しているので 弟3人と妹2人 父と母が 多良の生活を やりくりしている。

いっぱしの 百姓みたいに みんなそそくさと 自分の仕事に 没頭するフリをし
夏木が大好きな おちゃらけた弟テツオが 歓迎大サービスで バカをやってみせたかもしれない。
叱る父。 笑う母。

嬉しい感情とはうらはらに どこかみんながちぐはぐな 居心地の悪さ。
それが 運命の前夜だとは 誰も知らずに それでもひさしぶりにそろった 大家族の夕方だ。

「夏木さんは よくレコードをかけてましたよ。」 泉おじは言う。 
「だって電気も水道もないところなんでしょう?」 
「手回しですから。」
「アハハ そうか 蓄音機って 電気じゃないんだね。」
「手回しです。 夏木さんは 多良にいる間は よくこうやって レコードを 聴いていました。」 

泉おじは 蓄音機のハンドルを手で回す仕草をした。
「夏木が帰ったときのことを 覚えていますか」と 聞いたときだ。

電気も水道もないところで この家族の中に 静かにできつつある 生きていくための秩序。

長崎の軍需工場で 自分を駆り立ててきたものと 明らかに違う。
ズレているのは 家族なのか 自分なのか。

所在なく 蓄音機のハンドルを回して かけていたのは なんの曲だったろう。

8 月9日。 少女は 長崎に戻ることは できなかった。 
朝早く 多良を出発しなかったのが 幸いか。
少女が 長崎に戻ったのは 8月16日。 終戦の翌日だった。






 
| 長崎8人兄妹物語 | 07:56 | comments(4) | trackbacks(0) |

タラへ

そうだ タラへ行こう!
そう思いついたのは 8月27日。 なぜか いつも 突然ひらめく 私。(笑)
8月23日 友人ミチコの命日に スイッチが入って、
震災以来 まったく手をつけられずにいた 『長崎八人兄妹物語』 の書き直しを始めたところだった。

タラ という地名を聞くと、行ったことも見たこともない土地なのに なぜか なつかしくなる。

映画 『風と共に去りぬ』で ビビアン・リー扮する スカーレット・オハラが 
すべてを失って帰る 実家の農園が タラという地名だったから。 だろうか。

空腹のあまり 土の中のニンジンかなにかを 掘って食べるスカーレットが
「つらいこと、考えなくちゃいけないことは 明日考えよう。
ともかく生きていかなきゃいけないから。」と 立ち上がる。 そして 農業を始める。

タラは 私にとって そういう 帰るべき大地のイメージだ。

私の祖父 井手傳次郎と 井手家の人々が 長崎の響写真館をたたんで 疎開していた 佐賀県の町タラ。 
行ったこともないし どこにあるのかも よく知らない。 そもそも佐賀県は まだ行ったことない 未踏の地だ。

長崎八人兄妹の5男 テツオが 書いて送ってくれた 地図がある。
タラの 井手家が住んでいた 水車小屋の周辺だ。


昭和20年当時の 佐賀県 藤津郡 多良町 糸岐 字 針牟田 

よくまあ 60年以上前の 6年しか住んでいない土地の地図を こんなに再現できるものだ。
テツオの 仰天記憶力には 兄妹たちも 感心する。

「タラは、川がすぐそばにあって ほんとに いいところだった。」 母が話してくれた。

この地図の 風景の中に 立ってみたい。

 「タラは川がすぐそばで 海まで歩いて 30分くらいで いいところだったよ。 
疎開民はよそ者だから しいたげられたけどね。」(四男 キヨアキ)

 「お隣さんがさ、田んぼのあぜ道を500mくらい行かないとないんだぜ。(笑)
 電気も水道もないところだったからさ、この草は食える、この草は食えない、原始の生活だよ。
滝つぼに飛び込んで、魚を捕る。楽しかったさ〜。俺は野人だからね。」(5男テツオ)

「タラは文化果つるところでしたからね。 ガスもない、水道もない、電気もない。
 そういうところで生活してみたら、こっちの方が面白いぞって思った。厳しいけどね。
本当に感動する自然との接触もこの地で体験しました。」(4男イズミ)

イズミが 毎朝 有明海から上る朝日に 敬礼をしたという高台は この地図でどこなのだろう・・・・
今は 便利なグーグルマップなるもので 探してみるが どの川筋なのか いまいち確信が持てない。

今は 面影もない ニュータウンになってしまっただろうか。
川は コンクリで固められて 東京みたいに 失われた川 暗渠になってしまっただろうか。

やはり この地図を書いてくれた テッちゃん(徹生)か 泉おじに 道案内を頼まないと ダメか。 
しかし 2人とも もう80才前後だしなぁ・・・・

「一度 太良へ行ってみるといいですよ。
疎開した時 よそものと疎外感を持ったおじさんたちの印象とは別に 土地の方々の感情もあるでしょうし
行かなきゃわからないこともある。」と 福岡の出版社のNさんからも アドバイスをいただいていた。 

井手家が 長崎から多良へ疎開したのは これまでわかったことで 昭和20年の4月。
終戦で 長崎に戻るかと思いきや、長崎には戻らず 昭和26年に 井手一家は 奈良へ引っ越したらしい。
疎開していた頃の 井手家を 覚えている人が いるだろうか。 どうやって 探せばよいのだろう。

手がかりは 4男キヨアキの話に出てきた ツサキという醤油屋さん」だ。

「初めは 糸岐の ツサキっていう 醤油屋さんに 居候させてもらった。
どういう 繋がりだったんだろう。 たしかそこの息子に 写真技術を教えるって名目で 
居候させてもらったんだと思う。 広い家だったよ。」

前にも何度か ツサキ醤油店を ネットで検索したが 見つからなかった。
傳次郎に写真技術を教わった 息子さんは その後写真屋になったのだろうか。
津崎写真館 で検索したが かんからかんのかあん『長崎八人兄妹物語』か ヒットしない。(笑)
ネットに出す世代じゃないものなぁ・・・・・

今回 佐賀県タラ ツサキで 検索したら あれれ? 前には出なかった 
津崎酒店 が出てきた。
酒店なら 醸造業、配達専門でも 土地の事情に詳しいはず。 電話してみた。 9月6日だ。

「あのう、失礼ですが、ご親戚か お知り合いで お醤油屋さんか 写真館やられていた方、ご存じないでしょうか。
私は 昭和のはじめに 長崎で響という 写真館をやっていた 井手傳次郎の孫で、
傳次郎が 疎開していた時 お世話になった 津埼さんという お醤油屋さんを 探しているんです。
そこの息子さんに 傳次郎が 写真の技術を 教えたというので、 もしかしたら 写真屋さんになったかもしれません。 
どなたか ご親戚で そんな話を 聞いたことありませんか。」

電話口に出られた男性は いい声で 闊達なしゃべりで 60代くらいの 印象だった。

「あ それは 私の父 津崎正義です。 父が 鹿島の代議士さんに頼まれて 家を 探したとです。」
「え? え? じゃあ お父さんが お醤油屋さん なんですか」
「はい、井手先生から 写真を教わったのは、私です。 津崎和朗です。」

「え? あなたが 傳次郎から写真を習ったご本人なんですか? 」
 
なんて ドンピシャな! 夏木マジック? ミチコマジック? 
受話器を持つ手が震えて 鳥肌が立つ。

「はい、私は もう85才ですが、 傳次郎先生に ほんとに お世話になりました!
井手傳次郎先生 なつかしい! うちにも 写真がたくさんありますよ! おい! おい!」
声の主はあわてて 電話口で 奥の奥さんを呼んでいる。

「ええええ 85才? 声が若い! わあ お会いしたいです。 
9月30日に 初めてタラに行くので お訪ねしても よいでしょうか。
井手家が疎開していた場所に行きたいんです。」
「どうぞどうぞ 水車小屋の跡に ご案内しますよ。」

ぎゃあああ なんという幸運!  

昂奮のあまり すぐに 奈良の泉おじに 電話した。

「いや〜 津崎さんですか。 和朗さん、覚えています。なつかしいなぁ。
僕は 長崎にも多良にも きちんとお別れのご挨拶もせずに 奈良へ来て60年 一度も ちゃんと帰ってないんですよ。 
死ぬまでに 一度行きたいと思っていたんですが」
「え? なら 泉さん 行きますか? レンタカーするから 長崎空港にさえ 来てくれれば 後は 車でまわりますから。」

勢いで 思わず 誘ってしまった。
強行軍で タラと長崎を回る弾丸ツアーなので おじさんを誘うことは まったく考えていなかったけど 
泉さんが来てくれるなら 場所もわかるし 津崎さんと面識あるなら 会ったこともない私だけで 行くより
話もしやすい。 助かるなぁ・・・・

「あ でも おじちゃん 無理しないでね。
でも なかなか こういう機会はないし みんな80過ぎて だんだん動けなくなるから
思い切って行こうと思ったら 宿など手配しますから 連絡ください。」

誘ってるのか 誘ってないのか。(笑)

泉おじは 奈良の千石先生と 呼ばれる 蛙 蛇博士で 吉野の山奥などに 蛙を追って歩いているから 気軽に誘ったものの、
後で 考えたら おじちゃんは 胃を全摘して 食事が 普通に摂れないらしい。
まだまだ残暑が厳しく  脱水症にでもなったら タイヘンだ。
行き帰り同行できないのに 慣れない飛行場で 会うなんて うまくできるだろうか。

数日後 電話がないので 電話してみた。 
いくらなんでも 姪のいきなりの誘いに 悩ませていたら申し訳ない。 無理しないで。 と 言うつもりだった。 


「家内とも相談しましたが、こんなおんぶにだっこの機会はまたとないので 行くつもりでいます。」

「え? 行くの? やった〜!」  私は はねた。

こうして 9月30日 前日に38度の熱が出て 体調が心配されたのは 私の方だったが(爆)
飛行機はやめて 京都から新幹線で 単身長崎入りした 泉おじと 諫早の駅の待合室で 無事に会うことができた。

イサハヤ

ミヤおばの話の中で、 次男コウゾウ兄さんが 久留米の連隊から 外地に出征するというので
母梅子と 夏木姉さんと ミヤで面会に行ったが 部隊は 夜中に 秘密裏に出発。
次男コウゾウには会えず、梅子さんが作った 栗ご飯を 夏木と梅子さんが 泣きながら食べたという 諫早駅だ。 

音だけで 私を誘っていた 地名が 
その土地へ行けば 風景とともに あぶりだしのように  輪郭を持って 浮かびあがる。

車は 諫早から 多良へ。
津崎さんに教わった 太良糸岐橋 新しくできたセブンイレブンを 目指して走り出した。 





 











| 長崎8人兄妹物語 | 18:18 | comments(8) | trackbacks(7) |

青山スパイラルガーデン エマージング・ディレクターズ・アートフェア「ULTRA004」


青山スパイラルガーデン 1階フリースペースで
62 名の若手ディレクターがセレクトした作品が集結する、
エマージング・アートフェアULTRAが開催されます。 


オクトーバー・サイド 10 月28 日(金)〜30 日(日)
ノヴェンバー・サイド 11 月1日(火)〜3 日(木・祝)
会場:スパイラルガーデン(スパイラル1F)
時間:11:00〜20:00
入場料:入場無料

※クロージングパーティでは、「ベストウォール賞」「ベストセールス賞」の発表を 致します。
※31 日は、展示入替のためクローズ致します。


http://www.spiral.co.jp/e_schedule/index.html

出展者 http://www.spiral.co.jp/e_schedule/2011/10/-ultra004.html


我が家のギャラリースタッフ佳奈も 11月1日〜3日の方で出展します。 (佳奈の作品はないよ)
紹介作家は 近江一博・小西菜津子 ・佐藤草太・鶴友那  ブースのテーマは「FOCUS」
 

40歳以下のディレクションによるアートフェア ULTRA
通常のアートフェアは画廊単位ですが、このアートフェアは2年以上美術の現場にいる
画廊スタッフや 自分で画廊を出している 若手ギャラリストによるアートフェアです。
 
画廊単位でなくギャラリスト単位で行う事によって、お客さんとの距離も縮まるし、
 セレクトされた作家も必然的に 若手が中心となって フレッシュな感じになってくる。
 
 
しかも入場料は一切とらないので フラッと来た人が 何度も足を運んでもらえます。

ギャラリーに見に行っても、1日に30ヶ所は回れないし、
ギャラリーの人とその度に話せないので、気軽にギャラリストと話せるところも おススメです。

会期中 カナも 毎日会場で ご説明いたします。
夜8時まで やっていますので、(トークイベント クロージングパーティある2日3日は10時まで)
青山周辺 通りかかった方 のぞいてみてください。 

青山スパイラルガーデン アクセス  http://www.spiral.co.jp/a_map/index.html

会期中のトークイベント  http://www.spiral.co.jp/e_schedule/2011/10/talk-eventultra004.html
 

| おばんのごり押し アート | 07:45 | comments(0) | trackbacks(2) |

鯛づくし 鯛飯 うしお汁

さわやかな 秋晴れ。 寒くならないうちに 網戸などを 洗っていたら
先日BBQでお世話になった ねもとパーティのママ さよさんから 電話。
 
「先生、大阪の父が釣った魚が またどっさり届いたんですが 
うちで食べ切れないんで お届けしてもよいでしょうか。」
 「え? お父さんが釣ったの? お父さん 漁師?」
「いえいえ、海釣りが趣味で・・・・」

畑にいる間に 我が家に届いた クーラーボックス。
 開けてびっくり たまて箱! でかい! これは ブリの子供 わらさか?

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ぎゃぎゃぎゃ これ あやひろの おじいちゃんが 釣ったの?  60センチくらいあるよ。
おじいちゃん りょうし?

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た 鯛さまも! 明石の鯛か?  鯛はうろこを こそげ取って 塩して 蒸しました。

お嫁な我が家は 彼岸 命日 お盆と 誕生日を入れると 毎月イベントがあるが
5月と10月だけ なぜかイベントない。 のに おめでたいお頭つき!
棚からぼた餅 海から鯛のおかしら。 大阪のお父さん ありがとうございます!

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老人3人の夕食には ちと 豪華過ぎない〜〜 写メ送ると 「帰ろうかな〜」 娘が釣れた。(笑) 
右は 昨日のお昼 NHKかんたんごはんでやってた 豚薄切り肉の 紅ショウガ揚げ。 おすすめです。

今夜は さよさんに教わって 鯛飯に 初挑戦。

半分に開いたカシラ、カマ、中骨、等を塩焼きし、昆布、酒、醤油を入れたお米に乗せて炊きます。
土鍋や炊飯鍋でしたら、お米が一度沸騰して弱火にするタイミングで焼いた鯛を入れるとベスト!
電気炊飯器だと最初から入れちゃう。最後に、三つ葉を散らして完成!

こんがり茶色で 美味しい!  畑の三つ葉を取ってくるの 忘れた↓
うしお汁には そうめん、大根を入れて。 いい出汁が出る。
昨夜 仕事が終わらず 結局つれなかった お姉さんが 今夜は 鯛飯にありつけました。 

刺身もいいけど。
オリーブオイル、レモン、塩でカルパッチョもおすすめ。
天ぷらも、サクッふわっで 他とはまったくく違う 食感で贅沢ですよ♪   
ですって。

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今日は NMP とっしぃの お誕生日とか! おめでとう♪
めでたい 鯛づくし 我が家で かわりに 食べちゃいました!  
お父さん ごちそうさまでした〜〜〜                       

| おばんのお勝手 | 22:26 | comments(2) | trackbacks(2) |

3兄弟BBBBQ バイバイバーベキュー


がががががっ な、なんでこーなるの?!!

昨日は ねもとパーティから 来週アメリカに移住する りゅうきたちファミリーの 
BBBBQ バイバイバーベキュー  だったんですが〜
ありえないような雨。 突風。

ねもっさん!!  また れんとにしかられる・・・・・ トホホ 私のせいじゃないからっ!
「それにしても すっごい確率。  神業に近いですよねぇ」 とか ミナミちゃんに言われる。
仙台のユウコリンも 雨で運動会延期! 
「ちえ先生が 行事組むからだ〜」 と あっきいに言われる。  トホホ

前日問い合わせたら120人も予約があった 五本松公園ふれあいキャンプ場 だあれも いないしっ!
むこうに 手賀沼が見えるでしょう? 
この眺めを楽しみながら 岩手吉里吉里国から 取り寄せた 復活の薪でBBQするはずだったのに〜〜

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さよさんが 「うちでやりますか」 と 言ってくれた時点で 天の声?
かまどの前で立食より 引っ越し荷造りで へとへとの ミナミさんも ゆったりまったりできるしなぁ・・・
雨の後は 線量上がるし。 お願いします!

というわけで 復活の薪は ならずとも
さよさんのおかげで インドアBBQ  楽しかった! おいしかった!





野菜たっぷりの 焼きそば おいしい! 右は さよさん特製スペアリブ 
オレンジママレードと醤油 同量に一晩漬けて オーブンで焼くのだそう。 超カンタン♪ やってみよう。
おいしい〜〜! 下のスライスしてあるのは さとしパパ特製の 豚の燻製です。 
これも絶品でした! さとしさん ありがとう♪  燻製鍋 欲しいなぁ・・・  


ねえねえ さみしいよ〜〜 いかないで〜〜〜     「う〜ん ダメなの」

NえぬMえむPぴ〜〜〜!


                                
写真を 選んでいたら、 前回コヤマ家が アメリカから帰って来たのは 2010年2月。
 って 去年じゃ〜ん!(驚) 帰ってきて最初のパーティで坊主めくり。
りゅうきが 戻ってきて 「よっ!」 って言った時の あるとのキラってした顔が忘れられない。

 
モリくんとちーくんが来てくれた パーティ (ちーくん撮影) 
モリくん、子供たちにもまれる仕事に! がんばれ♪


コヤマ家帰ってきたら 入れ違いに アッキィ家が 仙台へ 転勤!! で 
この2年は ねもパも メンバーの出入り激しく、 
しっかも 想定外の いろんなことが起こって めまぐるしかったねぇ〜。

それでも 子供たちの 成長は 止められない! そのおかげで 私も止まらずに進めました。 


まーくんも ユーセイも 1年前は  ↑ マルコメくんだったのに


男の子って 1年でこんなに シュッとしちゃうのね〜。


それでも 小5小6の 一番難しい時期に ツルんでなんぼの 男子同期3人がそろって
組織NMPを 結成した幸運?は パワー3乗で 超楽しかったね〜〜。
 2010 利根川サイクリング 
2010年 長野の森へ 















2011 キャンプ リヤカーリレー

今後は ボストンのボス 組織NMPの 裏ボスとして 地球の裏側から スカイプ参加。 してね〜。
「なまけちゃ承知しないよ〜 さあ しっかりやっておくれ〜 かかってコイヤー」



ところで 兄弟で参加してる家が多い ものがたり文化の会には
山梨シミズ3兄弟とか 足利ウラノ3兄弟とか 名物3兄弟が けっこういるのよ。
(足利前田パーティは 永倉3兄弟とか、長谷川3兄弟とか なぜか男3兄弟多いんだよねぇ。)

兄弟とはいえ ルックスルもキャラも ずいぶん違うし、
年齢差で 頭角をあらわす時期が ズレるから 見ていて 超楽しい♪
(お育てになっている お母様のご苦労は 3乗だから タイヘンだよね〜 ご苦労さまです)

そういう意味で ねもとパーティの コヤマ3兄弟も 
ビジュアルも キャラもずいぶんちがって 次に会うのが 楽しみだなぁ〜。 
バイバイ3兄弟! See you again!

左から 長男くん             次男くん                   3男くん

 2010 スプリングキャンプ                             2011年3月
 
| がやがやがやがや | 21:40 | comments(10) | trackbacks(0) |

ゆず茶を どうぞ♪

急に冷え込んで のどが痛いときには 大根はちみつや ゆず茶を どうぞ。
ご近所のかずこちゃんからいただいた 鹿児島のへべすで 作ってみました。

前にも 書きましたが すだち < かぼす < へべす < ゆず
大きさと同じく 皮の柔らかさも この順ですかね。

大分の朝倉テューターから 庭のすだちを 今年もたくさん送っていただきました。
大きいのが へべす 小さいのが かぼすです。

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ゆず茶は ゆず かぼす へべすを 薄く切って はちみつを かけておくだけ。
お茶じゃないのに 茶 というのは なぜ? でしょうね。
おちゃ って聞くだけで ほっこりするから? かな。(笑)

ゆず茶は お湯で 割ってもよいですが のどの痛みには そのまま ごくごく飲まずに ゆっくり口に含んでください。
 


これは へべすで作った ゆず茶。 いや へべす茶。(へべすって 名前 おもろいね。 笑) 
へべすは 種が少ないくて 果肉が多いので ゆず茶(へべす茶)に 向いてますね。
のどが痛くなくても 風邪の予防、 疲労回復には ビタミンCの 摂取が 何よりです。

  
前の記事
ゆず かぼす へべす ばんぺいゆ   http://kankarakan.jugem.jp/?eid=844



ぎゃ ものがたり文化の会 宮沢賢治童話 朗読発表会  今日です!




10月10日(月祝) 第21回宮沢賢治童話朗読会 −追悼 坂本和子

     時間:13:00開場         第1部13:30開演 第2部15:00開演
     場所:お江戸日本橋亭     中央区日本橋本町3-1-6 日本橋永谷ビル1F
      (銀座線三越前駅より2分(出口A10番)/ JR新日本橋駅歩2分/ JR神田駅歩7分) 
 
プログラム
【第1部】 指導・白坂道子
『注文の多い料理店』  森桂子
『よだかの星』       久保寺里登子
『なめとこ山の熊』     香川メイ子 広瀬貞子

【第2部】 指導・城山知馨夫
『ざしき童子のはなし』  城山知馨夫
『どんぐりと山猫』     大村麦野
『土神と狐』        冨樫かずみ
『双子の星 一』      神保朋子    

    長年 朗読のご指導をいただいた 坂本和子さんが 春にお亡くなりになりました。
  今年は 白坂道子さんのご指導で 気分も新たに リスタート。 
  物語を 声だけで聞き手に届ける朗読は 大変な集中です。   ゆず茶を どうぞ。
| おばんのお勝手 | 07:56 | comments(0) | trackbacks(0) |

天高く 秋の田んぼの 彼岸花 

ありゃりゃ もう10月になってる!
あんまり blog更新しないと 倒れてるんじゃないかと 心配されるから なんか書かなきゃ・・・・
倒れてました! そして翌日 九州へ飛んで  佐賀長崎2泊弾丸ツァー 行ってきました! (笑)  
アハハ なぜか 今年はこのパータンだなぁ〜。(爆) 

うちの近くのコスモス畑

ものがたり文化の会30年めのつどいの頃 急な寒さで風邪を引いている人が多かったが
私も 遅ればせながら ノドは痛いは くしゃみは 止まらないは 
ついには 38度の発熱と喘息の フルコース ↓↓

アメリカ行っちゃう ねもとパーティの親子を 栗拾いに連れていく日だったが 中止。
プリンちゃん一人に 栗拾いは 任せ・・・ 
うちの近くの 田村栗園

アハハ それはウソ。 
我が家のノラ娘が 栗拾いに夢中になってる間に  
栗園で 足痛くて 立ち往生してる プリンちゃんでした。 今年のお彼岸です。


311震災以来 父の故郷 東北の惨状や 
ヒロシマナガサキのむごい体験をなんら生かせなかった フクシマの現実に気持ちが閉じて 
ずっと放り出していた 『長崎八人兄妹物語』
ミチコちゃんの命日8月23日 突然スイッチ入って 再開しました。
 
そうだ! タラへ行こう!って ひらめいて
色々調べていたら また 新たな仰天鉱脈が・・・・・ (笑)

奈良に住んでいる 82才の泉おじを誘ったら 
おじも 意を決して 私の弾丸ツァーに便乗してくれることになり!
なんと 60年ぶりの 佐賀県太良 長崎訪問です。
他にも 平均年齢85才の 会ったことない人たちへ アポを 取ってるのに 風邪うつしたら どうしよう・・・・  

まあ 熱は 毎度のことながら 一晩で下がり 喘息発作も メプチンエアゾルで 未然に防御
フラフラしながらも  翌朝 なんとか家出しました。 (家出すれば 元気になる♪ 笑) 
佐賀 長崎 涙の再会スペシャル感動編は またいつか報告しますね。

つなぎに 秋の野の花の お花見を。   何の花でしょう?   
 

我が家の 川ベリノ畑を ふちどる ニラの花と ヤブランです。  地味だけど なかなかよいでしょう?

これは 前に紹介した 我が家の 秋名菊。 花が小さいけど たくさん 咲きました。
花入れは 鎌倉の高野敏夫さん作の 漆器です。 
奈良日吉館時代からの 友人で 長年の作品を 初めて 展示されました。
ちょっと この写真じゃ 匠の技が わからないけど また別の花で 紹介しますね。夕方 家の前のすすきとキクイモ みずひき 取ってきた。
我が家の 彼岸花。 今年は たくさん増えました。
111004_0849~01.jpg

さて この白い花は なんだか わかりますか?

111001_0718~01.jpg111001_0704~02.jpg

佐賀県太良のホテルに飾ってあった 白い 彼岸花。 夢のようでしょう?
白い 彼岸花 球根 欲しいなぁ・・・・・・


佐賀県太良は どこもここも 彼岸花だらけでした。


彼岸花の 向こうに こんもり見えるところが 今回の旅の 目的地です。



| おばんのお花見 | 12:56 | comments(2) | trackbacks(0) |

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