UDC 10th イマから ココから ワタシから 

毎年恒例 神楽坂セッションハウスでの 全国大学生ダンスクロスの お知らせです。




神楽坂セッションハウス  http://www.session-house.net/ 

アクセス                 
http://www.session-house.net/map_access.html 

わがやの ときどきダンサーあやかより

毎年8月に神戸で創作ダンス、モダンダンスのコンクールが行われています。
(私たちは「神戸」と呼んでいて、ダンスの甲子園です)
そのコンクールには 毎年同じような大学ばかりが出ているので 仲良くなっていくんですね。

でも神戸はコンクールです。 賞を取りたい人たちにとっては、他大学はライバルです。

せっかく仲良くなったのに・・・というところから、
「競わないダンスをしたい」という思いで始まったのがUDCです。

部活ではなく、一つの大学でもない、
連盟なわけでもないUDCが10回も続いたのは、
場を提供してくださる セッションハウスのバックアップと
参加した人たちが 毎年全力で楽しんでいるからだと思っています。

自発的に今年もやろう!と仲間を募り、また後輩に引き継がれていく。
いいループができているから続いているんだと思います。
私は、そんなUDCが大好きです。

大学に入ってダンスを始め、なにも知らないままUDCに参加して、
あっという間に4年になってしまいました。
今年もコーディネーターというリーダー?をやらせてもらっています。
私自身に力はないのですが、周りのサポートもあり、かなりいいものに仕上がりつつあります。
沢山の人に見てもらいたいです!

チケットは私に連絡していただければご用意します。 よろしくお願いします。
a82yk_n3m0@yahoo.co.jp


去年のUDC おちないんです  http://kankarakan.jugem.jp/?eid=869
| おばんのゴリ押し ダンス | 10:41 | comments(2) | trackbacks(0) |

ねもとパーティに ツッチィ 来たる!

さてさて たこさま来訪の後 しばらくお客さまも来なかった ねもとパーティですが
2月19日 はるばる 横浜から ツッチィ が 来てくれました。 

 え? タコの次は つちのこ?  
いえいえ ツッチィは 久保寺パーティの 大学??生です。 
 
春のキャンプや 夏の戸隠合宿で お世話になっているので、
ねもとパーティ訪問は初めてなのに  すっかり仲良し。
組織NMP(ねもとパーティの略語)の 男子たちも
会社の休憩所で 立ち話をする社員のように 語り合っています。 (笑)


 ねもパー名物 豪華持ち寄り料理で 歓談の後は

スプリングキャンプの 聴覚に まえだパーティが 指定してきた
 ダークマター??? についての 解説を お願いしました。


ねもパーの 小学生も 調べてきてくれたことを発表。 ツッチィが 補足してくれます。 
塾のアルバイトをしているだけあって 教え方がうまい!

みなさん、ダークマター って 何か 知っていますか?

宇宙にあるとされている 暗黒物質で 目に見えない、光学的に観測できない、重さがない、
ないと説明できない物質 だそうです。

(無とは なんぞやと 問う 禅問答みたいだね。 笑)

ツッチィは ダークマターとして 考えられている
ニュートリノ、ニュートラリーノ、アキシオン、ミラーマター、
ブラックホール、白色わい星、中性子量、褐色わい星、惑星、マチョ ・・・
なども あげてくれました。

う〜ん スプリングキャンプでは 宮沢賢治童話 『ツェねずみ』を 人体交響劇にしますが、
ものがたり文化の会オリジナルの 聴覚班(目に見えないほど小さな第3者が この物語を覗いていたら どう見えるか)に このダークマターで 挑戦するのです。
ダークマターって 聴覚班そのもの みたいだね! 
宇宙的規模の 表現が できるとよいなぁ〜〜♪  

では 目に見えない ないと証明できないものに なってみよう!

 アハハ すごく見えるけど?(笑)



いや〜 子どもたちが くっつく くっつく。
 



逃げても 逃げても 追ってくるのでした。



ツッチィ お疲れさまでした〜〜。 ありがとう!  懲りずにまた来てね〜。












| がやがやがやがや | 12:30 | comments(0) | trackbacks(0) |

ちーくんの南米波瀾万丈 最後はニヤリ旅 

今朝起きたら ちーくんから 続報届いてました!

ウユニに行けました!
心配だったバスも無事時間通り目的地に到着。
相当揺れると聞いていたので、心配していたけどよかったー。

天気は、それはそれは最高でした。                  





















ついに明日から日本へ向けて出発です。
波瀾万丈だった旅行も、最後はニヤリとできました。

後は、入国審査で何も起きない事を願いつつ
ボリビアの最後の夜を楽しみたいと思います。

                        ボリビアのベットから愛を込めて。 ちーくん



わお これが有名な ウユニの塩原ですね!

よかった〜〜 相棒クンも 嬉しそう&元気そうで よかった!
また 2人で ねもパに遊びにきてね〜〜 無事に帰って来てね!



附記

私は ひさしぶりに ミチコちゃんちに行ったら 玄関の外が 花束持った長蛇の列で
「なにごと? 今日って四十九日だっけ?」と焦ってえりこに聞いたら
「毎週これで りょうちゃんが大変だから 今日は私も仕事休んだ」
って来た客に ケータリング 料理を出してる夢見た。つかれた〜〜 
アハハ いなくなっても 手がかかる。 てか あの人気。(笑) 
起きたら ちーくんからのメール。 これから 出かけるので ダッシュで 出すよ!(汗汗)


そうそう、わたしゃ 30年以上海外旅行行ってないので
夫婦で定年旅人世界放浪の きいちゃん&船長に eチケットの仕組みを聞いてみたら
きいちゃんたちも いつも eチケットだけど 2人連名ってのはなくて
2人別々に来るから 日本での発券段階で 抗議した方がよかったかも だって。
う〜ん、 帰ってから 聞いてみた方がよいかもね。

 
| 明滅 | 09:18 | comments(0) | trackbacks(0) |

現地リポート♪ちーくんの南米トホゝ旅 その1

2011年2月14日  かわいそーな話です。

ペルー行くために、サンフランシスコ乗り換えで、
相棒のMくんが入国審査に ひっかかったのです。

そのご彼は2時間拘束され、結果的には飛行機に乗れませんでし た。
 お陰で、サンフランシスコに二日間拘束。
スケジュール的にマチュピチュ も行けないことに....
 
昨日一日はショックのあまりど こにも行きませんでした。
 

とりあえず生きていると セキヤ家に伝えてください.... 以上サンフランシスコから愛を込めて  ちーくん 
                                    
 わお われらが ねもパのちーくんから 
 バレンタインにアンハッピーなメールが。
  
 今日届いた写真。 アクシデント直後の 空港で。
  ご本人の許可を得て 掲載します。
 
  アハハ 誰に撮ってもらったの?
   ぼうぜん度が 伝わる。(笑)

 念願の マチュピチュ めでたい卒業旅行だったのにねぇ。

 私の ペルー行ったまま ノーリターンで 現地ガイドになってしまった
 ミチコ・中沢に マチュピチュガイドしてもらう予定だったのに!
  
 日程の都合で マチュピチュ行けないかも! だって。
 ええ それは 悔しい〜(涙)
  
                 マチュピチュ  http://kankarakan.jugem.jp/?eid=887
  
彼らのせいじゃないのよ。 チケットの 連名表記 による 言いがかりみたいなトラブル。 らしい。
ありえな〜い! なんなの それ?! らち?
こーゆーとき、 純子さんでもいれば 英語でまくしたてて、 Objection!できたのかもだけど。
私じゃ ダメだわ。 泣き寝入り。 すごすご。

しっかし前の記事のコメントにも書いたが 私も30数年前 
初めての海外旅行でパリに着いた次の日に おなかこわして 入院するハメに。(爆)
10日間も拘束。 お友だちとの HAPPY SPAIN旅行に 置いていかれた。

あれは 私のせいなのよ。(笑)
PIA (パキスタンエアライン)で インドドバイ周りで 44時間もかけて フランスまで行ったのだけど
隣に座った スリランカのお坊様が ベジテリアンで
機内食の お肉をみんな私にくれるから NOと言えない私は全部食べて ハラこわした。(爆)

だから ふあいとだ! トラブルも 旅のうち♪  
なんて なぐさめになってない?

今日もげんきな げんち報告 届きました!

昨日ボリビアについて、今日の朝2人とも 高山病にかかりました。 (アハハ 爆)

本当は今日ウユニという目的の地に行く予定だったけど、一日休みまし た。
宿泊者の人に薬をもらって午前中寝たら、僕はしこたま元気!

しかし相棒は、目眩と吐き気がとれなくて、薬局に行って薬を飲ませました。
相棒も大分良くなってきました。

明日の夜に、ウユニに向かい 日帰りのツアーに参加します。
本当は一泊し たかったけど まぁ しゃーないです。
 
まぁ、そんなこんなで 今日も 南米で生きています。   ばいばーい      ちーくん

お だいぶ 復活してますね♪   その調子!
実生活で ありえないボコボコな 浮き目に遭ってるんだから タフに行くっきゃないぜ。
  
    リマの教会の前でご機嫌         ラバスの夜景

インカコーラ ベリーポビュラー but・・・・                                         
ラバスの研ぎ屋さん       

 



  







| 明滅 | 17:46 | comments(0) | trackbacks(0) |

りょうちゃんの バリダンス♪

長女2アリ同盟、ニンジン馬車馬同盟♪組んでる りょうちゃんから またまたバリダンスのお誘いです。

モンキー DE Diah Tanteri Live !!〜バリダンス〜
今回が5回目の公演となりました Diah Tanteri のバリダンスライブです!
モンキーのおいしいお食事とバリ舞踊で、バリ気分を味わってください♪
今回はゲストに日向未央さんをお迎えしてお送りします。

★日時:2月 19日(土)15:00開場 15:30〜17:30
★場所:渋谷 バリカフェ・モンキーフォレスト
★料金:2500円
※チャージ料込み。モンキースペシャルランチプレート・ワンドリンクが付きます。 定員:40名
※お食事・お飲み物の追加注文が可能です。
※小中高校生は1500円です。(ランチはナシゴレンになります)

★出演:      Diah Tanteri(ディアタントリ)
★スペシャルゲスト:日向未央

Bali Cafe Monkey Forest
バリカフェ モンキー フォレスト
〒150-0031 東京都渋谷区桜丘町10-8 TEL:03-3464-4633
http://www.monkey-forest.jp

                                              
演目                                           
・Puspa Wresti  (歓迎の踊り)
Baris Tunggal  (勇敢な戦士の踊り)
・Puspanjali    (歓迎の踊り)
・Tedung Sari   (傘で遊ぶ娘の踊り)
・Yudapati     (女性剣士の踊り)
・Telek        (仮面舞踊)
・Legong Keraton Lasem (宮廷舞踊)


                                        来てね!

・デアタントリ 演目の説明は 前回の記事を 見てね!http://kankarakan.jugem.jp/?eid=971





附記
りょうちゃんのセキヤ4人きょうだいの弟ちーくん、
念願のマチュピチュに向けてお友だちと 旅立ちましたが、
今日サンフランシスコから 私にメール来ました。           以下 ちーくんより。
 
かわいそーな話です。
ペルー行くために、サンフランシスコ乗り換えで、Mくんが入国審査に ひっかかったのです。そのご彼は2時間拘束され、結果的には飛行機に乗れませんでした。

お陰で、サンフランシスコに二日間拘束。スケジュール的にマチュピチュ も行けないことに....昨日一日はショックのあまりどこにも行きませんでした。
(今日はゴールデンゲートブリッジを見てきたので、ちょっとすっきりしました。)
とりあえず生きているとセキヤ家に 伝えてください....

以上サンフランシスコから愛を込めて    ちー

アハハ お気の毒。  旅にハプニングはつきもの。 それも含めて楽しんで!
わたしなんざあ 初めての 海外旅行で 着いた翌日入院。
10日間の拘束。予定していたお友だちとのツアーにもおいていかれた。 
30年以上前の話だけどね。(笑) でもマチュピチュは 行ってほしいな〜。

| おばんのゴリ押し ダンス | 20:57 | comments(1) | trackbacks(0) |

話したこともない祖父 写真家 井手伝次郎

私の母方の祖父 井手伝次郎は 長崎で 響写真館を営んでいた。

前の記事に書いたが、
響写真館は 親から代々受け継いだ老舗ではなく、 
親の借金を返すために 仕方なく東京から長崎に戻った 井手伝次郎が 
ゼロから立ち上げた 写真館だった。



8人いる子どもたちの 上2人は 東京、佐世保生まれ。
3番目に生まれた女の子翠は(大正14年)は 長崎船大工町で 生まれてすぐに死去。
その後 昭和3年に生まれた 母夏木以下5人は みな響写真館の住所=長崎片淵町生まれなので 
響写真館を構えたのは 昭和元年か2年ということになる。

ツタのからまる しゃれた調度の写場(スタジオ)で撮る 記念写真。
女性たちは、響写真館で 写真を撮ることが 憧れだったそうだ。



                                                            


画家をめざして 17才から東京に出た伝次郎の 
構図と 修正技術が評判を呼んだらしい。



右が修正前。 左が修正後。 ガラス乾板に ニスのようなものを塗って
エンピツで 丁寧に修正していくので デッサン力が 大きく左右したらしい。
お弟子さんも 女中さんも 大勢かかえた。


しかし 戦況悪化の中で 伝次郎は 軍部の検閲にうんざりし、
兵隊の写真撮影を拒否したために 憲兵から叩かれ 配給を断たれ 
写真館を閉じざるをえなくなって 佐賀県太良に疎開した。

原爆以後 長崎には戻らず 家族で奈良に出たので
響写真館は 昭和のはじめに 長崎にたった18年だけ存在した 
一代限りの写真館だったことになる。

私が赤ん坊の時に 奈良で一度だけ 祖父に抱いてもらったことがあり、
「この子には 私の血が流れている」と 初孫の誕生を喜んだそうだが、
もちろん 赤ん坊の私に記憶はまったくない。
いわゆる 「長崎のおじいちゃん」という 土地と暮らしぶりがセットになった 祖父の思い出は
私には 何一つないのだ。

母の死後2007年から始めた おじおばたちの聞き書きを 
『長崎八人兄妹物語』として公開していく中でも 
祖父のことは 写真館の興亡もふくめて みんな初めて聞く話ばかりだった。

長男桃太郎の死後 発見された1300枚のガラス乾板を 私が譲り受け
タケミ・アートフォトスさんに 全部焼き付けていただいた。
たくさんの 家族スナップ写真と共に、当時の暮らしぶりが 画像を持って 浮かびあがった。







『長崎八人兄妹物語』 を なんとか本にしてほしい。

ブログを読んだ友人たちから言われた 嬉しい反応に 後押しされて
2年前から 色々な方に時間を割いていただき 原稿を読んでいただいている。
が 私の力不足で 現実は そう簡単には 進まない。

私の中でも 17才で被爆 という母の原爆手帳を見たことから
長崎大橋の三菱兵器工場に 学徒動員で 通っていた母が
なぜ8月8日、つまり原爆前日に 疎開先の家族のもとに帰ったのか、
それまで長崎で 娘が一人 どこにいたのかを知りたくて始めた 聞き書きだったので、
おじおばたちの話で 次第にわかってきた 祖父井手伝次郎の 生き方や 
ガラス乾板の発見で 浮かび上がる 響写真館の興亡 など              
テーマと切り口が 絞りきれずにいるからだろう。 




息子たちが語る 父親 伝次郎の 
ヨーロッパの哲学や芸術への傾倒に根ざした 徹底した個人主義。
ある意味その気骨のために 響写真館は
昭和の軍国主義の中を 生き延びることができなかった。    

そういう気骨ある家族が 
日本のあちこちに たくさんいたのだと思う。
ひとつの精神の系譜として 知っていただけたらと思う。 
      
長崎に たった18年しか 存在しなかった 響写真館。

私は 話したこともない祖父 
写真家 井手伝次郎に 何かを託されたような気がして
『長崎八人兄妹物語』 の 出版に 駆られてしまう。




  
| 長崎8人兄妹物語 | 13:52 | comments(1) | trackbacks(0) |

長崎響写真館 井手伝次郎 写真画集 『長崎』

私の母方の祖父 井手伝次郎は、長崎で 響写真館を営んでいたが、 生前 写真画集『長崎』を出版している。

 

これは 母が大事に持っていたものであるが 長崎響寫真館謹製 大阪の細谷眞美館印刷
昭和16年11月13日 長崎要塞司令部検閲済の判が見える。
                                      
 

写真画集は 眼鏡橋 オランダ坂 浩台寺 大浦天主堂 築町河岸 崇福寺 福済寺
諏訪神社 おくんち ・・・・古きよき 長崎の景色と 詩が載っていて 静かな情緒が 伝わる。
古本屋のネットで 井手伝次郎の写真画集『長崎』は 昭和3年のものが35000円で出ていた。

広辞苑を編纂した 新村出が 長崎に旅した時の 紀行文『南国巡禮』に

 響写真館の井手君がその卓越した藝術心から生んだ寫真帳に
 長崎と題する新刊書がある。
  私たちは旅舎の高楼に海から吹いてくる涼風にふかれつゝ 
 その書をひもといて
  長崎の古今を一様に、夢幻の裡に 望見した。
 詩だ、繪だ。
 とろけさうになって私はもうこの上は 
どの寺、どの街と一々見てあるくのは 却って愚だと思った。
 
              新村出 南国巡禮 朝日新聞社 
                                                      昭和2年発行

  と書いてくれている。



この写真集も含めて 響写真館の スタジオ写真や 長崎の風景を写した何枚かの写真は 
母の発案で 2002年に 東京都写真美術館に寄贈した。

ところが 2009年の泉おじの取材の時に 
写真美術館の現館長である 福原義春さんの 祖父かおじにあたる 資生堂先代の福原さんと 
井手伝次郎は 交流があったと 泉おじと睦子おばが話していて びっくりした。 

そして あれこれ調べる中で  『写真家・福原信三の初心』 山田勝巳編著 求龍堂
『巴里とセイヌ』や 『光と其諧調』を見て さらに私は驚いた。
福原信三さんの写真と 井手伝次郎の写真が よく似ているのだ。

「資生堂ギャラリー七十五年史をまとめた方が 伝次郎と交流あったのは、
たぶん福原信三さんでしょうって。 写真もすごく似てるよ! 影響受けてたんじゃないかなぁ。」
奈良に住んでいる 泉おじに電話した。
「ああ ああ そういえば 家には 井手伝次郎様と 宛書きのある 
福原さんの 写真集がありましたよ」
なんだぁ おじちゃん 早く言ってよ!(笑) 
写真集は 探してもらったが 未だ見つかっていない。
長崎から佐賀へ 佐賀から奈良へ 奈良の家ももはやない 流転の中で 紛失したのかもしれない。 

長男桃太郎の妻 睦子おばの話では、 
伝次郎は井手家の長男だったのに 4才で浦上教会に預けられたという。
そのことで父親に対して 並々ならぬ反発心があり、
画家をめざして 長崎海星中在学の時 同じマリア会系の神父さんの紹介で 
東京の暁星中に編入するため 単身上京したらしい。 

文献資料が 長崎から取り寄せた戸籍謄本と 長男桃太郎が書いたノートしかないので、
ウラを取るのが大変だが 海星中に電話して 在籍名簿を調べてもらった。
井手伝次郎は 明治39年に 長崎海星中に入学 40年3月に除籍退学になっていた。

その時 伝次郎は 17才。 

東京の暁星中にも 問い合わせたが 
戦災で資料が焼けたため 在籍名簿の確認は できなかった。

そして 前の「ときの忘れもの」の記事で書いた 古河梅子と 東京で結婚。
大正9年 長男桃太郎の出生届けは 東京都赤坂区青山南町3ノ36番地。

港区役所に問い合わせると 現在は 南青山2丁目19番あたり。
ちょうど青山霊園の入り口付近らしい。 

その頃東京では 大正10年に資生堂の初代社長福原信三が「写真芸術社」を興し、
『写真芸術』を創刊。
大正8年に資生堂化粧品部二階に開設した陳列場(資生堂ギャラリーの前身)で
写真展も開催している。(『写真家・福原信三の初心』福原信三年譜より)

東京にいた井手伝次郎が その写真展を見て 啓発されたことは 十分ありえる。

私の母が 70才の時に書いた随想には
「問わず語りで母から聞いた話では、父は海軍の御用商人だった自分の父の生き方に反抗して上京し、
画家を志して美術学校に入学したが、途中で写真の面白さにひかれて転向し、
当時の東京の青年たちに流行していた、いわゆる大正リベラリズムやアナーキズムにも感染し、
あの震災で向学を断念すると、それを契機に 故郷に帰って 写真館を始めた。」
 (針生夏木 『共生の地球を夢みて』 授業をつくる誌)
と書いてあるので 
東京にいた時に 写真に惹かれたことは確かのようだ。




ガラス乾板の中にある この2枚は 長男 桃太郎が ごく小さい時1才前のものだと思うが
祖母 梅子がまげを結っているところをみても 青山時代の写真と思われる。
そうであるなら 東京にいた頃に 伝次郎は すでにカメラを持っていたわけだ。

ところが 次男 幸蔵の出生届けは 大正11年 佐世保市天満町。

次男の出産で 梅子の実家がある佐世保に 母子は帰っていたのだろうか。
伝次郎は 桐材の仕入れで 東北を回っていることが多く 留守がちだったというから。
その間に ちょうど関東大震災があって 青山の家が 倒壊したのかもしれない。

一家は その後 東京には戻らなかった。

なんという 運命のいたずらか・・・・
ちょうど ずっと反発してきた 父親乙松が 商売を拡げすぎて 多額の負債を背負った。
伝次郎は それを返すべく 家族を養うべく 
長崎で 新しい仕事を 始めるしかなくなったのである。
(乙松じいさんは 長生きしたが 原爆で下ン川で 亡くなった)

東京で 資生堂の福原信三さんが立ち上げた 芸術写真社とその写真が、 
若き井手伝次郎の 心に 熾き火のように あったのかもしれない。

画家をめざしていたのに 長男、次男の病気、急逝で 家業の資生堂を継がざるをえなかった
福原信三さんが、芸術への思いを捨てきれずに 経営の傍ら 写真芸術社を立ち上げたことは、
同じ状況の伝次郎に 大いなる励みになったのではないだろうか。

鬼籍の人への インタビューは叶わないので すべては 想像の域を出ないが、
こうして青春時代を過ごした東京に別れを告げて 長崎に戻った 井手伝次郎は
上野彦馬の弟子にあたる 渡瀬(貞三)写真館で 技術を教わり、
長崎片淵町に  響写真館を 立ち上げたのである。
| 長崎8人兄妹物語 | 12:37 | comments(3) | trackbacks(0) |

ときの忘れもの

ときの忘れもの という 妙に惹かれる 画廊の名前を知ったのは
ぱくきょんみさんの すうぷのために展(2008馬喰町art&eat)に
オーナー夫妻が いらしていたから。

何度か 展覧会の案内の葉書をいただいて  写真展もよくやるギャラリーなんだなと思っていたが
大好きな 植田正治が出るので
2009年6月に 写真の勉強で日本に来ていた 韓国のチヨナと見に行った。

 へえ 青山に こんなところが あるんだあ・・・・
表通りから 階段を下りて その名にふさわしいような 袋小路に入っていき、
まさに タイムスリップしたような 不思議な感じがした。

思ったより小さなスペース。 でも大きなガラス張りの窓が明るく 
ギャラリーというよりは 設計事務所かなにかのような 空間だ。
画廊は 絵を展示する性格上 壁がいるので どうしても窓が少ない 密閉空間が多いから、
このガラス張りは すがすがしい。 
 
去年の秋 資生堂創業者福原有信氏、初代社長福原信三氏のことを ネットで調べていた。

私がブログで連載してきた 母の兄妹の聞き書き『長崎八人兄妹物語』の取材の中で、
私の祖父で 長崎響写真館館主の 井手伝次郎が
資生堂の 福原さんと 交流があったらしいと おじおばが言っていたので 
有信氏なのか 信三氏なのか 何か手がかりはないかと 探していたのだ。

たまたま『資生堂ギャラリー七十五年史』の編纂を終えて という
ときの忘れものオーナー 綿貫不二夫さんの文章をみつけて びっくり仰天してしまった。

資生堂ギャラリー七十五年史は、綿貫不二夫さんと、
和光大学で いつも娘がお世話になっている 三上豊先生が 編集委員だったようで、
ときの忘れものは その資料編纂室だったという。
本が出版されたあと、その資料室を ギャラリーとしたのが ときの忘れもの らしい。

なんと! ときの忘れものに惹かれたのは  名前のためではなかったのだ。

綿貫さんにお聞きしたら、資料編纂の時に 井手伝次郎の名前は出てこなかったが
福原信三は全国の写真館や アマチュア写真家と交流があったから
井手伝次郎と交流があったのは 福原信三で まちがいないでしょうと いうお話だ。

長崎で 響写真館を開いていた 私の祖父 井手伝次郎は 17才で 単身上京。 
画家をめざしていたが、佐世保から和洋女子師範学校に遊学していた 古河梅子と出会って
駆け落ちのように 結婚。
大正11年までは 東京青山南に住んでいたらしい。 
長男 桃太郎の出生届けが 東京都青山南町3ノ36番地 になっているからだ。
母子を養うため 伝次郎はおでんの屋台を引いたり
桐タンスの材木を仕入れに 東北にでかけたりして 生活していたようだ。

ときの忘れもの は 南青山三丁目である。 私は 胸がばくばくした。

ちょうど ときの忘れものから 宮脇愛子とマンレイ展の 案内が来ていて 
10月1日は 宮脇愛子さんに会えるというので、
私が大学生の頃 白井晟一さんの話を聞く会で 可愛がっていただいた 
宮脇愛子さんに会いに行った。

地下鉄 外苑前から 夕暮れの 横断歩道を渡る時、 
長崎の祖父とばかり思っていた 若かりし井手伝次郎が 
毎日のように この広小路を 渡っていたかもしれないと思うと
まさに ときの忘れものと呼びたいような 時空を越えた往来に 
私は 胸の高まりを抑えることができなかった。 




| 長崎8人兄妹物語 | 23:20 | comments(0) | trackbacks(0) |

トンガラコと  食べるラー油

『長崎八人兄妹物語』のプレゼン記事を用意しているが、
やっぱ 李忠成の伝説のボレーの後は 韓国ネタかな。 伝説のトンガラコ!


去年の秋に 初めて出逢った若者たちに トンガラコを ばんばん配ったので 
手持ちがなくなってしまった! 韓国の戸田郁子さんから 直輸入しなければ。
福井勝山市役所のちさん 福井でトンガラコ 流行らせてね!って頼んだけど
反応いかがでしたか?

 トンガラコは 韓国の写真家 柳銀珪氏と結婚した 戸田郁子さんが 
柳家に代々伝わる ピリ辛ふりかけを自家製して 売っているもの。 
このブログにも 定期的に申し込みがあり けっこうリピーターを増やしている。
みなさん 申し込んでね。 トンガラコは 日本で 特許取れました!!

トンガラコの説明は 前の記事を見てもらうにして → http://kankarakan.jugem.jp/?eid=596

トンガラコ作ってる戸田郁子さんは、
最近 朝日新聞月曜版グローブに 韓国の情報を書いている。
グローブのライター戸田郁子さんが作ってる ふりかけだからね! と宣伝している。

最近 講談社α文庫からも バンバン本を出してる。



それが 韓国語の日常的な言い回し1つにつき 日本との文化の違いエピソード1つの構成で
韓国語習得にも GOOD! ぜひ読んでね!
 
長年のつきあいみたいだが、戸田さんと会ったのはわずか3年前。(笑)

 しっかし 韓国版オヨメな私の ウッチャさん(戸田さん)の文章を読むと 
日本版オヨメな私は 同業相哀れむを禁じ得ません。 
ウッチャさんの書く韓国のオヨメな状況すべてに 日本のオヨメな状況を 返信したくなる。 (笑)

まあ 韓国も日本も 泣いてるおヨメが いずれオモニ(母)の底力を発揮するわけだから
それがなければ 料理も しきたりも 伝わらないけどね。
文章に書いちゃうと 良いヨメになっちゃうけど ほんとはもっと 悩ましくアンビリーバブルだよね〜〜。

辛いモノつながりで  もう一つ お勧め。
安曇野小町 おつまみ辣油 
110204_0848~01.jpg
ねもパーみんなで 長野の森へ行った時に
パンドカンパーニュの玄くんから これ美味しいですよと 勧められて ハマった。
あんまり辛くなくて フライドオニオンたっぷりで めちゃ美味しい!

信濃大町温泉郷の バス停前の バザール小町から 
パンドカンパーニュのパンと一緒に 玄くんに買ってきてもらって お取り寄せしてます。
 検索すると 楽天 アマゾンでも買えるみたいです。お試しあれ♪
| おばんのお勝手 | 09:34 | comments(3) | trackbacks(0) |

いや〜 何度見ても!(サッカーアジアカップ)

いや〜 なんど見ても 気持ちいい!
しっかし 私の反射神経では 何度やっても タイミング合わなくて うまく撮れなかった。 アハハ














アヤカに送ってもらった。 おお ビューティフル!



ドーハの歓喜 伝説のボレー!
サッカーアジアカップ 決勝戦 対オーストラリア 延長後半の交代で 投入された
李忠成が 長友の絶妙なクロスから入れた このゴール。

自分には チャンスは1度しか来ないと 思ってた。
あんなきれいなゴール 一生とれない と 本人が言うように 

胸をすくような ゴール!  
よい子のパス回しじゃない、 私が 長年待ってたのは これだよ! 

試合内容は 準決勝の 日韓戦の方が はるかによくて
なんだよ〜 パス回ししてんじゃない!
ああ〜 香川! なんでこんな時に帰っちゃったの〜〜!
と イラだっていたが

宿命のライバル 日韓戦に 勝った! 後に
在日コリアン4世の 李が 決めた!
ってことの なんとも言えない感慨は  ちょっと簡単に説明できないけど

まあ いまさら 私が書くことはないんだけど
サッカーアジアカップの検索で オシムの心臓に悪い 2007年のアジアカップ
(やはりオーストラリア戦)の記事が出ちゃうので
あの頃から 比べたら ほんとに Japan 成長したから 写真だけでも 更新しとこ!↑
 
 
ぎゃあああああ〜〜!! もったいない〜〜!! 
 http://kankarakan.jugem.jp/?eid=306

Dearblue  http://kankarakan.jugem.jp/?eid=966

遠い夜明け   http://kankarakan.jugem.jp/?eid=916




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