最強! 組織NMP vs かかってコイヤー!!

いや〜暑くてもへたっても

    草と子どもは伸びます! 
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我が家の前は 駐車場で その前は 山なんですが・・・・・

我が家の隣近所は、なぜか空き家と75才以上の独居老人かご夫婦
 (市内で一番高齢な団地です)
なので草刈り要員が・・・・・いないんですね。(汗汗)
毎日 少しづつ草刈りしてるのですが、範囲が 広すぎて 
草の伸びと 私の仕事が 追いつかないのデス・・・・(爆)

選挙で 伸びていた 団地の一斉草刈りが 日曜日にあり、
駐車場管理の 不動産屋に 頼んでいた草刈り業者も やっと来たので、
ユーウツの種が 1つ 片付きました。

そして 昨日 1ヶ月待った 冷房がやっとつき(笑)
680部の 返礼発送も 終わりが近づき・・・・

さぼっていたパーティ報告と 写真をいじる元気が 少し出ました。
こどもたちは ぐんぐん 伸びてますぞ〜。

こちらは ねもとパーティ(6/24) 
おお! はやくも 世代交代!?
小学校1年生、2年生が めきめき 頭角を現しています。 
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なにをしてる ところでしょう? 




恐竜カードで 問題を出しているところ。

今 パーティでは 宮沢賢治童話
『楢ノ木大学士の野宿
     第3夜』

楢ノ木大学士が 直径1メートルの
恐竜の足跡を 辿って 中世代に紛れ込む
お話を やっています。
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小5は すっかり お兄さんリーダーですね。
100610_1650~03.JPG



   こちらは 恐竜とハ虫類の
   足の つきかたの違いを
   一生懸命 私にレクチャーしてくれる
   1年生。
  



 ぎゃ! ねもとパーティ変態クラブ?(笑)                                    
100508_1955~03.JPG近藤良平さんの ワークショップに参加したばかりのアヤカが 
お題を 出して 動きました。(5/8)






















この2つは 高層ビル という お題。(笑)
だそうです。



100508_1950~02_0001.JPG

では  これは?!
100508_1947~01.JPG100508_1951~02.JPG

落ち着く という お題。 アハハ すごい 落ち着いてるなぁ〜。(笑)
こういう 表現が できると いいねぇ。

では これは なにをしてるところでしょう?

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長さ10間 20メートルくらいの恐竜の大きさを 想像してるところ。
キャンプで 大きな 恐竜 つくるぞ〜〜!


そうそう ねもとパーティは
元祖白井の時は
ねもと組とか ねもと団とか たまちゃんに言われ
私は 組長とか言われてました。
ちょっと コワイ団体みたいで イヤだったのですが(笑)

最近は 小5軍団が 組織NMP(ねもパーの略) とか言ってて
これも ちょっと コワイ感じが・・・・・ どーゆう組織だよっ! (笑)

というわけで 今年のキャンプは 

組織NMP vs
     かかってコイヤー!!

だそうです。(笑)

誰と 闘うの? と 聞いたら、

ユウキ(中3)  「自分?」
リュウキ(小5) 「未来の自分? そーいう 教育キャンプ・プログラムみたいなのやめてほしいんだよねぇ〜〜」

だって。(笑) 

君たちなら 最強だ。
なんでも かかってコイヤー! だね♪


トモちゃん、のんさん親子が来てくれた合同パーティと
キャンプの報告は 次回に。                    
| がやがやがやがや | 20:10 | comments(2) | trackbacks(0) |

人の痛み

人の痛みのわかる人に、なりましょう。とは よく言うが 
言うがやすし 人の痛みほど 実は わかりにくいものはない。
 
同居の91才のおババさまは 血圧240あっても 薬も飲まないし 
熱が38度あっても からだの浄化作用だから と 
病院にも行かないで自然療法と 神様の 気功治療に頼ってきた。

が、自分の からだの声を よく聞いているぶん、
毎日どこかしら痛いし 具合が悪い。

この不定愁訴は 20年以上続く 毎日のことなので、
私は「ハイハイ、またかまってほしい病ね」
とは もちろん言わないが

「低気圧が近づいているからね、膝も痛むんだよ」 とか
本人も ナットクして安心しそうな 原因を 提示して 軽く流してしまう。

「そうだね、低気圧が 通る時は 病んでる人は 苦しむよねぇ」と 
食いついてくれればいいが 

たいていは 私の提示は 即行却下されて
「あんたには 人の痛みは わからない! 年寄りの苦しみは なってみないと わからない!」
と 叱られる。

私なりに 痛みの引き出しを 探ってみるが
ぎっくり腰の あの起きるのに 40分かかった 激痛の中でも 
おババさまに しれると 「腰痛は 先祖の戒告だ!」 とか 言われるので、
なんでもないふりして おババさまの 座卓に 食事を運んだり
プランターの土を運んでいたからなぁ・・・・
痛さは 経験してても 安静にしてられる状況は まったくなかったから
自分の痛みにさえ 鈍感になっている というか・・・・・

毎日 一緒にいる家族は 日々の細かい変化を 見守っていることが 大きな役割で、
かまってほしい病に 全面的につきあうと こっちの生活と 精神が ヤラレる。

客観的にみて 大丈夫と わかる時は、 本人のマイナス志向を
「お花でも 買い物に行く?」と 意欲の出る プラス志向に 持ち上げるしかない。

それって 病人本人の 痛みと不安からすると
たぶん ちょっと(いや、かなり) 冷たく感じるのだと思う。
 
「そんなことできる 状態だと 思ってるのか。 
もう いつ お迎えが来てもいいと 思ってるのに!」

(いや〜 ふつうこの年で 3回も入院続いたら かなり 弱ったり
ボケたりするが それが まったくないのは 驚異的だ!
お迎えは 当分来そうにないのでは?) とは もちろん言わないが・・・・

入院中に看護師さんから 
「いやあ おばあちゃん 91と思えない! この病院で 一番元気で若い!
 受け答えもトントンして どうやったら そういられるの?」と
みんなから言われたのは 超ごきげん。 素直に プラスに浮上した。

 う〜ん いつも 素直に 乗ってくれれば 私が そばにいる意味があるんだけどねぇ。
元気の素は 素直と感謝だと 思うけど、
これが 家族だと なぜか けっこう ねじれる・・・・

人の痛みがわからない人間だ とか 
あんたは優しいふりして 根本的には ちがう人間だ。
とか 面と向かって言われると けっこうイタイが
まあ 当たってはいる。 私は けっこう 事務的で 達観しちゃう方だから。
  
そういえば 亡くなった生みの母も 70を越えて リュウマチが出た時は
水道の栓もひねれない、 洗濯バサミも つまめない、
いつ 途切れるともわからない この痛みの連続ほど 苦しいものはない・・・・
と 電話で グチグチ言ってきた。

母は ふだんはカラっとして 人の痛みも あまり意に介しないようなところがあり、
私が 初めてのお産で 実家に戻って 産気づいた朝も
「あら 痛いの? バカねぇ〜」と 笑われたことがあり、
初めて産気づいてる娘に 「バカねぇ〜は ないだろー」 と 私は 切なかった。(笑)

一時が万事 そんな感じで 人のことは 割合 バッサリ クールに扱う母だったのに、
なぜか自分になると 痛くてめそめそ泣く母に 私はちょっとうろたえた。

そして 一度しか 助けに行ってあげなかった。

一度 見回りに行った時、
古新聞紙を それ用の袋に入れることができないと グズグズ言うので、
パッパと おおざっぱに入れてたら 
「そんな入れ方じゃダメよ〜」と 横でグチグチ言う。

「自分で できないから 人にやってもらうのに、
そんな細かいことで グチグチ言ってたら 誰もやってくれないよ!」と
私は イライラした。

こんなに 痛くて こんなに助けを求めてる 目の前の母に対しても
娘って(息子もかな?) なぜか不思議に イライラするのだ。

姑にあたる 同居のおババさまには そんなこと言ったことないから
実の母娘の 直球は けっこう からだに来る。

一度引き受けると どっとなだれてきそうな気がして、
頼れないと 思わせた方がいいな と 思ったのかどうか・・・・・

その後 一度も 行ってあげなかった。 

ある日 この痛みから 逃れられるなら ワラをもすがる思いだと、
リウマチの 新薬の治験を受けると 母から 電話が来た。

「新薬なんて どんな 副作用が出るか わからないから やめなよ。
治験って 人体実験でしょう?」
という 私の言葉はきかずに 母は大学病院に 一人で 入院した。

「行こうか?」
「いや 大丈夫。」

いつもの クールな母に戻っていたので なんだか安心して、
私は 一度も 見舞いに 行かなかった。

その新薬のおかげで 母は ずいぶん 痛みから解放された。

今思えば あの 痛みを 訴えていた時に もっと行ってあげればよかったと 思う。
最期に 脳の 悪性リンパ腫で 入院した時は
入院と同時に 言葉を失ったので、
痛いとも 苦しいとも こうしてほしい とも
言えないまま 死んだから。
 
体験したことない 人の痛みは 本当にわかりにくい。
そばにいて 黙って 手を当てて あげるだけで 
たぶん じゅうぶんなんだと 思う。 
| おばんの病みつき | 23:07 | comments(2) | trackbacks(0) |

はぐらうり

いや〜 暑い!!!  

なぜか この暑いのに クーラー壊れてる 我が家(笑)

おまけに いまどきの エコなクーラーは フロンガス使ってないので
アンペア上げないと 稼働にスパークしちゃうから ダメと
6月末から 電気屋通って(ダンナです) 工事待ってるのに まだ来ない〜〜〜

いつも 我が家は ほとんどクーラーつけないんですけどね、

年のせいか 今年の酷暑は 既にボロボロのからだに応える というか
あってつけないのと 壊れてて使えないのは なぜか ストレスが違う。(笑)

おまけに 家の周り中の 草取りと(畑までは とても手が回らず)
父のお礼状の発送と 毎日5回の 飯炊きに追われている 私は
ダラダラ 汗流して 保冷剤 手ぬぐいに巻いて ハチマキして
どんだけ 干物な 田舎のオバチャンか。 (想像しないでください。笑)

なわけで ブログ更新まで とても手が回りません。
倒れても 泣いてもいませんから ご心配なく。 
メールの返信も 滞っててすみません。

抱え込みウツって テレビでやってたけど、
またまた 父の方まで 抱え込んじゃってるから レスしなきゃいけない人が
どんどん増えちゃって ほんと すみません。(汗汗)

この時期 きゅうりの古漬けが ダントツ検索トップですが、
去年は 写真削除しちゃって はぐらうり 載せられなかったので、
今年こそ はぐらうりの 漬け方レシピを。

これです。 東京でも 売ってますか?
歯が グラグラしてても かめるくらい 軟らかいから
はぐらうり  って言うんだよ。 知ってた?

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2つに 割って 種を とります。

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両面に 軽く塩を すりこみます。
果肉が 軟らかいので すぐ染みこむので 塩は 少なめに。

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畑の 完全無農薬 の 青しそも 刻んで 塩で 揉みます。
浅漬け用の キリキリに うりと しそを 入れて 押しておきます。 半日で 食べ頃。
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見るだけで 元気の出る 畑のミニトマト♪
(器は ミチコちゃんにいただいた 樺沢健治さん作)

と フローズンヨーグルトと
完全無農薬 畑のシソジュースと ケータリングサービスしてきました。

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グラスは あっきぃに
もらったもの。 
ステキでしょ。


東京から きてくれた ヨンスンオンニも りょうちゃんにも
シソ・ジュースと フローズン・ヨーグルトが 大ヒット!

フローズン・ヨーグルトは、 産後のママや 小さい子のおやつにも
栄養価 高いから 今年こそ 夏休みに みなさま 作ってね〜〜。

フローズン・ヨーグルト http://kankarakan.jugem.jp/?eid=770 

しそ・ジュース      http://kankarakan.jugem.jp/?day=20070715











| おばんのお勝手 | 11:56 | comments(1) | trackbacks(1) |

家出スイッチ♪

ミチコちゃんは また家出に行っている。
なぜか 家出が好きなミチコちゃん。(笑)

彼女的必然は 前に書いたが、(↓ミチコ家出に行く)
新たな必然が加わったとはいえ、そうまで家出に駆り立てられる理由は 謎だ。
(いつか取材しよう 笑)

今回は NYのメトロポリタン美術館でも 京都の桂離宮でもなく
本当の 森だ。
 
ちょっとお〜 家出したいのは こっちだよぉ!
             何が不満なんだよ〜!

いつも 私はブーイング↓↓ 

ミチコちゃんは ねもとパーティのお母さんで ねもとパーティの生みの親。
18年前 まんまとハメられて 私がテューターを やることになった いきさつは
下の記事 生みの親を読んでね。

ちょっとお〜 丸投げすぎない?
          かわりに やってよ〜!


こっちは パーティ始めちゃったばっかりに 自由に動けないうえに 
おババさまやらなにやら 自分で作った壁を 自分で蹴散らせない よい娘症候群で
息も絶え絶え。

「そんなに 自分を犠牲にして おババさまが 90まで 元気だったらどうするの?」
ミチコの予言は当たった。 あれから 8年。(笑)

まあ ミチコちゃんがくれた パーティという 家出システムがなかったら
もっと 私は 家にへばりついてしまうだろうから プラマイか。

ミチコちゃんの 家出好きを 利用して、
私が 自由に身動き取れないとれないぶん 
ミチコを 各地に派遣して 営業ネットワークを やってきた。

お互いに 確認したことはないが、
私とミチコちゃんの仕事は 人と人との関係を繋ぐ ネットワーク事業と言っていい。
(まあ パーティそのものが そうなるのだが)

なんせミチコちゃんは 誰の懐にでも スっと入って
濃密な関係を すぐに築いてしまう。

なぜか 私の親戚も 私の友だちも 
みんな 私より ミチコちゃんと 仲が良い。(ほんとだよ。)

なんなのかな〜 あの ミチコちゃんの 
スキマスイッチな関係構築は(笑)

私が 3年前に ブログかんからかんのかあんを始めてからの 
驚くべき ネットワークの拡がりも 全部 一緒に行った。 

長崎八人兄妹物語の 長崎、京都への取材も 一緒に行ったし
関係ある人には 全部 一緒に会った。
関連資料も 全部 先に読んでもらって(私は読むのが遅いから) 相談してきた。


パーティの子どもたちのことも 親子の問題も 全部相談して 一緒に考えてきた。
ミチコは 私の片肺だ。

私よりはるかに多い子どもたちと 長年向きあってきた ミチコ先生に言われると
ほんとに 落ち着く お母さんは 多いと思う。


京都へ、韓国チェジュへ、バリへ、カナダへと 家出してきた ミチコちゃんを  
くっそ〜 うらやましいなぁ。(ギリギリ)
私だって 家出してやるう〜っ!

歯ぎしりしてきた 私だが
 
そうそう。 ミチコちゃんを ダシにして 私も 何度も 家出した♪

今では 全世界発信しているグチも 前は ミチコちゃんぐらいにしか 言わなかったので、
「家出するときは いつも 付き合うよ♪」 と言って 背中を 押してくれた。

そう。
そういう意味で たしかに ミチコは いつも私の 家出スイッチ♪だ。 (笑)

行けるか 行けないか 当日まで わからない。
前日の おババさまの リアクションや 
それにキレた 自分のはずみを利用しての決行が多いので、

「朝起きて 行こうと思ったら 新幹線に飛び乗るから スタンバッてて!」
と ミチコに電話する。  「OK!」

道連れを誘った手前 行くっきゃないと 自分を 追い込む 私の手法。(笑)

そうして 朝の新幹線に飛び乗ると、 ミチコちゃんも ちゃんと飛び乗る。

しっかも 「朝早く起きて ささがきごぼうして 炊き込みご飯炊いてきた〜」
という はしゃぎようだ。(笑)

というわけで 7月の日曜日 新幹線に飛び乗って、
ミチコ姫のいる森へ 私も家出した♪

なんだか おババさまの 今回の入院で、
足が 歩けないほど腫れ上がったのは、痛風だった 私の父の 
浮かばれない霊が おババさまを頼ったから だそうで・・・・・
しかも 私の 信心が足りないから なるそうで・・・・・

毎度のこととはいえ、
見えんけどおる のが好きなゲゲゲな私とはいえ、
なんだか ほとほと 疲れた。  
退院は じきだから 入院している間に 家出したかった。 

長野から バスに乗って 山を眺めていると
そうそう 初めて ミチコちゃんと 旅をしたのは
2000年2月 渡辺パーティ主催の 雪の森であそぼう!に 
ねもとパーティの子どもたちを 引率して行った時だったなぁ〜と 思い出す。 

窓から 見える ちょっとした 風景を見て きゃっきゃと はしゃぐミチコちゃんは
なんだか いつもの ローギアのミチコちゃんと ペースがうって変わって
妙に ハイテンションで 可笑しかった。

ミチコちゃんは 旅行に行くと いつもそうなのだが、
その時は 一緒に行くのが 初めてだったので とても意外だった。 

その頃ミチコは現役だったので、普段会う時は 今よりもっと疲れていて
もっとローギアだったから。

その時 手作り家具と 天然酵母パンやさんもやっている
ワタナベ家に ホームステイさせてもらった 私たちは
それが縁で オリジナルなシンプル仏壇も 作ってもらった。
ミチコちゃんの ダンナが 突然亡くなった 次の冬だ。

まあ そのワタナベさんを追いかけて カナダまで 家出してしまうほど
どこがどう 気が合ったのかは 聞いたこともないが・・・(笑)

森の中で ミチコちゃんは 丸太作りの パンを焼く匂いが流れる 小屋で
小さな女の子と お姫さましてた。 (笑) 帰りたくない〜と 言っていた。

あまったれるんじゃないよ〜! 
 こんなに やさしい人たちに 囲まれて
恵まれすぎだぞ〜! おひめさま やってんじゃない!


あれこれ 考えていた ブーイングは・・・・・言えなかった。(笑)

もう 帰ろう。 と 背中を なでた。  

家出は 帰り際が むずかしい。

森の木を濡らす 雨の音を 聴きながら 
私だって 帰りたくないよ〜 と 悲しかった。

日帰り家出の 最終バスは 17時15分だった。




ミチコ家出に行く   http://kankarakan.jugem.jp/?eid=52

生みの親        http://kankarakan.jugem.jp/?eid=134



附記 

ちょっと 泣きが入って デスク(ミチコ本人)に見せたら ボツになるかと思いきや、
ふ ふ 過分に書いてもらっちゃって と OK出た! 

森から 強制送還して 劣悪な環境になったので、責任感じて 私は落ち込んだが
今日は 私が持って行った そうめんも かぼちゃの煮物も はぐらうりの 浅漬けも
きゅうりのパリパリ漬けも 夕食前に むさぼるように バリバリ食べた。(笑)
うん、これなら また 家出に行けるかも! 行こうぜ♪ 

| おばんの歯ぎしり | 21:00 | comments(3) | trackbacks(0) |

京都ベビー・ピー公演 はたたがみ

根本コースケ率いる 京都の演劇ユニット ベビー・ピー
「革命について」以来 2年ぶりの 京大西部講堂公演です。

   


はたたがみとは 空にとどろく雷のこと。
空にはためく  空にきらめく 彼方に開ける

「はた」ということばをキーワードに 
ムラ、マチ、クニ、セカイへと 拡がる 群像大河物語。

はたはたはたはた 駆り立てられたら ・・・・そうだ 京都いこう!(笑)    
 


ベビー・ピーHP→ http://baby-pee.sakura.ne.jp/top.html
はたたがみ特設サイト→ http://baby-pee.sakura.ne.jp/09_hatatagami/top.html
| おばんのゴリ押し 演劇 | 10:53 | comments(2) | trackbacks(0) |

くちなし 

雨上がりの玄関に くちなしの 甘い匂いが ひろがって なんともいえない。

匂いというべきか 香りと いうべきか・・・・
匂いや 香りほど 伝えにくいものはないなぁ・・・・ 

今年は くちなしの花が 今までになく多くて いつまでも つぼみがある。 
どうしてだろう。
ソフトクリームみたいな きゅっと絞った つぼみ。
ほどけていくところが ほんとに いいんだよねぇ。
 
「誰かが 死ぬ年は 奇態に 豊作になるんだよね。 別れ作っていうんだ。」
と おババさまが 言っていたっけ。 

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今年は 白い つるばらも 例年になく たくさん 咲いた。
これは バラ専用の肥料というのを 秋から なんどか あげた効果かもしれない。
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白い花 好き。 だけど 写真が むずかしい。 色が飛んでしまうのです。

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いつも 友人の 免疫力アップのために お花見ネタ 書いてるんだけど、
電波のないところで 静養してるから 見られないかな〜。
森の中で もっと たくさんの草花 見てることでしょう。 
森に生きる力 もらってね!


附記
いやはや 生活が ちっとも 回転しない。 汗汗

父の納骨は 無事済ませたものの  連日返礼品の手配に追われる。
先週から3度目の 腎宇炎で 入院になったおババさまの膝が すごく腫れて
激痛と熱が取れない。 病院にいる時間を増やして
傾聴とケータリングから いよいよ介護になってきた。 

病みつきネタには ことかかないが 気分がまとまらないので、
お花見でも していてください。(笑)

そうそう、 最近 ダントツ検索多い去年の アジサイの挿し木の記事。

http://kankarakan.jugem.jp/?eid=751


去年挿した 小さな アジサイ
今年は こんなに なりました! 植物の 伸びる力を見ると 元気が出る。 
 (畑の ボウボウの草は 見ると 萎えるが・・・・笑
じゃがいも掘ってないし 長ネギ移植できず)


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| おばんのお花見 | 07:00 | comments(2) | trackbacks(1) |

ピースバトン・ナガサキ フェスタ ’10 追伸 原爆展






この春 4月21日に ピースバトン・ナガサキを主宰する 調仁美さんから 
このブログで連載している 長崎八人兄妹物語に コメントをいただいた。

長崎平和推進協会 写真資料調査部会で 
原爆に関する写真の収集、研究、調査をしています。
偶然みつけたこちらのHPの被爆前後の 長崎市内の写真を見せていただきたい。


それから 私の祖父 井手伝次郎が 長崎で開いていた響写真館に興味を持ってくださり、
長崎県立図書館で 響写真館発行の 写真集 『長崎』を 見てきてくださり、
伝次郎が撮影した 長崎の風景を あちこち現場に駆けつけ
今の状態を 写真に撮って 私に伝えてくださった。

『長崎八人兄妹物語』を なんとか出版できないか
去年から 探している私に代わって 原稿を売り込んでくださったり(笑)
長崎で響写真館の写真展をやりませんかと 振ってくださったり!

身動きできない私に代わって そのフットワークの軽さは 
追い立てられるほど 小気味よい。

ご本人曰く おっちょこちょいで 思い立ったら 止まらない性格みたいで、
いつも周囲のセーブを受けているとか。
まだ お会いしたこともないけれど(笑)
40代ママさんの 止まらない情熱と 猪突猛進  いいねぇ、好きだよ!

今回 被爆体験を語り継ぐフェスタの中で 
響写真館内部の写真や 井手伝次郎撮影の写真
井手家の長男 桃太郎撮影の昭和22年、25年頃の 長崎の風景写真を
少し 展示してくださるそうです。  

写真展 実現に向けての ピースバトンのみなさんの チーム力にも 本当に感謝です。




昭和初期から戦時中までの十数年間、長崎片淵町に存在した写真館「響写真館」。
名匠とうたわれた当主、井手伝次郎の残した数々の写真には、
戦前の長崎の豊かな風物が刻み込まれています。

経営者の井手伝次郎は1891(明治24)年、長崎市浜ロ町に生まれた。
その後上京したが関東大震災後 長崎 に戻り、
上野彦馬の流れをくむ 渡瀬写真館で写真技術を学んだ。

1926(昭和2)年ごろ片淵町1丁目1番地に響写真館を開業、
写真館経営のかたわら長崎の風物を撮影、写真画集「長崎」「雲仙・島原」などを出版した。

写真館は1943(昭和18)年ごろ、戦時中の物資統制による 経営難のため 廃業した。
当時出征兵士の写真撮影の需要は 数多くあったが、
伝次郎は「兵士の写真は撮影したくない」と断り、憲兵隊からにらまれいたという。
一家は佐賀県藤津郡に疎開、戦後は長崎には戻らず 奈良県に移住した。

伝次郎は1962(昭和37)年、73歳で死去したが、
写真画集「長崎」を始め、残された写真の多くは 現在 東京都写真美術館に所蔵されている。

今回紹介する一連の響写真館関連の写真は、伝次郎の孫にあたるご子孫、
根本千絵氏(千葉県)のご厚意によりご提供頂いたものです。
展示に際し 改めてお礼申し上げます。

響写真館の被爆写真響写真館の経営者井手伝次郎の長男、
井手桃太郎(1920〜2007、元フジフィルム勤務) は、
戦時中は活水高等女学校の美術教師をしていたが、1944(昭和19)年6月徴兵され、
被爆当時は 暗号兵として宮崎県都城市の部隊に所属していた。

ここに紹介する写真は、戦後桃太郎が復員して長崎に戻り、
活水に復職した後の、1946 年〜1950年にかけて撮影したもので、
地元長崎では今回が初公開となる。

撮影時期や地点などに他の写真では見られない部分もあり、貴重なものである。
なおプリント原版は井手泉氏(伝次郎四男)所蔵。
                                           プレスリリースより

お近くの方 長崎にゆかりの方
遠くても 駆り立てられた方(笑)  ぜひ おでかけください。
(私は駆り立てられるが 父を埋葬せねばならず)

ピースバトンは 高齢化が進む 被爆者の体験を 次の世代に伝えようと
学校への出前講座や 写真展を 継続して 企画している 団体です。
ピースバトン HP→ http://peacebaton.giving.officelive.com/default.aspx


『長崎八人兄妹物語』は 
井手伝次郎の 響写真館と その家族の肖像で
佐賀県に疎開した後も 活水から 三菱大橋工場への学徒動員で
長崎に一人残った 私の母 井手夏木(当時17才)が 
原爆前日まで どこにいたのか を辿ることから始めた
おじおばたちへの 聞き書きです。

このブログ 右側カテゴリィの 長崎八人兄妹物語を クリックすると
新しい記事から 見られます。

響写真館 http://kankarakan.jugem.jp/?day=20090419

長崎を最期の被爆国に! http://kankarakan.jugem.jp/?day=20090809

井手伝次郎の 徹底した個人主義と
10代の少年少女の目から見た 昭和初期の 時代の空気
多くの方に 読んでいただければと 思っています。
祖父伝次郎の ガラス乾板(ガラスのネガ)写真の 家族写真も 公開しています。

| おばんのゴリ押し イベント | 12:00 | comments(5) | trackbacks(0) |

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長崎 幻の響写真館 井手傳次郎と八人兄妹物語
古谷田奈月 『リリース』
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古谷田奈月 『ジュンのための6つの小曲』

鈴木道子
Sweet & Bitter
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