美夜おばちゃんが 過去のことを話す時は、まるで本の文章を 読むように言う。
聞いていると、まるで映画を見ているように、私までが その情景を 見てきたような 気になる。
長崎に 帰りたい
ミヤ 太良に引っ越してしばらくの間、毎晩 ふとんの中で
「長崎に 帰りたい!」「長崎に 帰りたい!」って 声を殺して泣いてたの。
― おばちゃん?(切なくなる)
ミヤ だって長崎の 響写真館のあんな家からさ、ヤギの糞尿の匂いが漂ってくる田舎の
茅葺き屋根の家に移って・・・。あそこの 線路際の家で 仮住まいが始まった時は
もう天と地のような 身の上の変わりように、・・・
もう・・・でも、もう帰れないということは、子どもでもわかっているわけよね。
それで毎晩泣いたのよ。
まあそういう時代だったんだからしょうがないんだけど・・・
金魚屋さん
ミヤ 長崎を 離れる日のことを、テッチャンが何年か前に書いて送ってくれたの。
― ああ 同窓会の文集か何かに書いたやつかな? 私にも送ってくれた。
ミヤ ミヤちゃん覚えてるかなぁ? こうだったよね?こうだったよね・・って書いてくれたの。
そして、それを読んだら!・・・もう鮮明に、その時のことが思い出されたの!
ああ あの日 金魚やさんが来てて、てっちゃんの友だちが来てて・・
― 金魚屋さん? あの日っていつ? 長崎を離れる日?
ミヤ 鯉を引き取りに来た。
― ああ!
ミヤ いよいよ金魚屋さんが、鯉(伝次郎は鯉も趣味で 飼っていた)
を引き取りに来た日のことをてっちゃんが書いてくれてたわけ。で なになに君が遊びに来てて、
とうとう金魚が一匹もいなくなって、ああ とうとういなくなちゃった・・・って
― う〜ん(ミヤおばの語り口に映画の画像のような情景が浮かび上がる)
何匹くらい いたんですか?
ミヤ 何十匹といたよ! 田中角栄のとこほどではなかったと思うけど・・・
― じゃ、売ったんだね。
ミヤ うん、二束三文で売ったんだと思う。それからリスも飼ってたんだけど
― はあ リスも飼ってたの?(私の家でも一時リスを飼ったことを急に思い出した)
ミヤ そう。でも空襲ひどくなって危ないから放したのよ。家が焼けたら大変だし、かわいそうだからね。
放したの。でもリスって離れないのね。 離れと 庭木の間を れんがの塀の上をぴゅううって
走り回ってるんだけど・・・
てっちゃんが書いたものを読んだことによって彷彿としてたものが ありありと甦った。
出征の 見送り
ミヤ ミチさんの お父さんの 清一おじさん(伝次郎の弟)が、割と早く復員して、
軍靴をはいて 太良の家へ来た時と、幸蔵さんが帰ってきた日のことは、はっきり覚えてる。
― 覚えてる?
ミヤ 幸蔵さんが出征した日のことも、なんとなく覚えてる。
中町天主堂に、朝はや〜っく 起こされて行った 覚えがある。
まだ薄暗かったと思うけど、中町天主堂のところを通って、駅まで行って、ホームまで行って、
バンザイバンザイやったような気がする。
その前に 諏訪神社かどこかで、お祓いを 受けたと思う。
あの頃は、出征兵士は みんな出発前に 神社へ行って 参拝するから。
その後 汽車に乗って、 各部隊へ配属されるのね。
その時、コウ兄さん自体を、私はあまりよく見ていなくて、シェパードがたくさんいたような気がするの。
シェパードが たくさんいて、お腹に 寄せ書きをした 日の丸を巻いてあったんだよね。
そしたら すごい可哀想と 思ったね。
これは、きっと帰って来ないに ちがいないって。
― シェパードって? 犬の?
ミヤ 犬よ。
― 何にするの?
ミヤ 連れて行ったのよ。軍用犬。何にするか知らないけど。いろんなことに使ったんじゃないの?
ともかく 軍用犬もいたし、軍馬もいた。
― へえ、そういう動物も 日の丸 巻くんだ。
ミヤ そう! それが 諏訪神社でお祓い受けてるのを見て、子どもながらに、
ああ、この子たち かわいそうにと思ったのよ、人間よりも!
― アハハハハ
お弁当
ミヤ 「テンノウヘイカが〜」って 言ったら気をつけをするって キヨさんのに書いてあったでしょう?
「テンノウヘイカが〜」じゃないのよ。「おそれ多くも〜」って言ったら、
ビシっと気をつけしなきゃダメなの。
私、それってバカらしいと思ったのよね。 小学校1、2年でも。(笑)
それとね、ご飯食べる前に、そのころ給食なんかないからね、ありあわせの なけなしの お弁当を
家からみんな持っていくの。 それを食べる前に 毎日「このご飯が食べられるのは、
テンノウヘイカと〜ヘイタイさんのおかげです!」って先生が言って、こうやって(拝む)食べる。
だから私、いまだに、ご飯食べる前に、両手を合わすって 絶対しないの。
その時のこと、思い出すからね。
― アハハハハ
ミヤ 兵隊さんは、まだわかるの。戦ってるんだからね。でもテンノウヘイカはよくわからなかった。
教師に ひっぱたかれる
ミヤ それから、中学1年の時、卒業式だったか、学校の式典の時に、君が代歌ってないからって、
ひっぱたかれた。
― え? ひっぱたかれたの?
ミヤ そう。こうやってみんなのことをねめ回して、見回ってる英語の若い教師がいてさ、
若いチンピラみたいなリーゼントスタイルで、イヤらしい男(憎々しげに)
そいつが、私のところに来てピっと止まって「残れ」って言ったの。
― ええ。(乗り出す)
ミヤ で 「歯をくいしばれ」「足を開けろ」って言われて、ビーンと ビンタくらった。
― へえええええ。
ミヤ 「おまえは君が代を歌ってない! 今日だけじゃないだろ!」って言われた。
― うん。
ミヤ 「なんで歌わないんだ」って言うから、私は「この世の中は、みんなの世の中であって、
君が代は っていうのはおかしいでしょう」 って言ったの。
― アハハハハハ 言ったの?
ミヤ 「この世は みんなの世の中なんじゃないですか?」って言ったの。
― アハハハハハ (拍手)
ミヤ 「私はそう思ってます。」
― って、言ったの? 中1で?(爆笑)
ミヤ だって中学1年だから、もう終戦から 3年くらい経ってるのよ。8才で終戦だったから。
その頃になったら、民主教育がさかんに言われてね、 教科書もそういうふうになってきてるのに、
もう3年も経ってるのに、まあだそんなこと言ってビンタしてるのよ!
君が代はって 歌詞そのものからして、おかしいでしょう?
この世の中は みんなの世の中であって・・・ 君っていうのは天皇でしょう?
― そうか みなの世は にすればいいよねぇ。
ミヤ だって さざれいしの いわおとなりて・・・・なんて こげん・・・(身もだえする)
― アハハハハ でも、今は もっとひどいんだよ。
それで 起立しなかったら 職を奪われてる人もいるんだよ。
ミヤ いまだに そういう思考がどこかに しぶとく生き残っているのよね、戦後60何年経ってもねぇ・・・・
外地へ
― 幸蔵さんに、この前のインタビューの記事をプリントして送ったら、また手紙をくださったの。
昭和19年10月、幸蔵さんが なじみの下士官に
「このハガキを見たらすぐ面会に来るように」というハガキを
速達で出してもらったら、
梅子さんと夏木が 久留米の士官学校まで 重い弁当を持って来てくれたのに、
南方軍への 配属が 決まった幸蔵さんたちの部隊は、深夜 草木も眠る丑三つ時に、防諜上から
秘密裏に 出発してしまって 追い返されたって 書いてあった。
幸蔵さんも 後で太良で聞いた話だけどって。
ミヤ それ 夏木さんと梅子さんが2人来たって言ってた?
― うん。
ミヤ 私 それに ついて行った気がする!(大きな声で)
― ええ? そうなの? 覚えてる?
ミヤ それはね、何年か前に、夏木さんが、その時のこと話してくれた時に、思い出したの。
同じようにね、夏木さんが、何年か前、7、8年前だったか何かの時に、
「秋といえば、栗を 思い出す」と言ったのね。
黄砂
ミヤ 幸蔵さんに会いに、久留米の 練兵場に会いに行ったんだけど、
コウ兄さんたちの部隊は すでに発ってしまった。
受付みたいなところがあって、待合室みたいになってて、
粗末な 一膳飯屋のような、 長い椅子が いっぱい 置いてあるようなところが
面会場だったと思う。 もう出発しましたって 言われたんだと思う。
黄砂のような風の強い日で、黄砂のような砂塵が巻き上げて、来た。
もうもう目が痛くて、チカチカ入ってきて、砂塵が巻き上げてくる。
学校の校庭の何倍もあるような練兵場の広い校庭でね、もう砂が巻き上がる。
それを 私は 覚えてたんだけど。
とうとう 幸蔵兄さんには 会えなくて、もうがっくりして。
でもその頃は 電車も本数がないから、一つ逃すと 次のに乗れるかどうかわからないでしょ?
長崎に 帰らなきゃいけないじゃない。
後ろ髪引かれるけど、行ってしまった以上は、もうどうすることもできない。
で 諫早かどこか、あそこがジャンクションのようになってるよね、引き込み線みたいになってる。
諫早か どこかまで来た時に、もうしょうがない、ふと気がついたらお腹が空いてたというわけよ。
栗ご飯
ミヤ なけなしのお米と 栗をどこかからいただいて、栗をどっさり入れたご飯を、
母さんが 作って行ったの。
母さんと 夏木姉さんが、2人とも一言もものも言わないで、ボロボロボロボロ・・・
涙の味だか、 栗の味だか、わからないものを食べた。
その話を 7、8年前に、何の時だったか 夏木姉さんが言った時に、私は思い出したの。
私も、 そこに くっついて行った!って。
― はああ
ミヤ あの黄色い黄砂と、待合室と、駅まで行って、
「あんたあっち見なさい。私はこっち 行くから」って 姉さんに 言われて。
上り一車線、下り一車線しかなく、駅の構内は 4車線くらいあるよね。
そこに 止まってる列車に 乗ってる人を 見に行ったの。
あんたは、あっちって。
その中で、 おお〜きな声でね、 叫びながら おじさんがね、
自分のお兄さんなのか、 父親なのか、 息子なのか 知らないけど、
とにかく背の高い男の人が、大声で、
「何々部隊の 何々は いませんかぁって」って 叫びながら 走って行った。
― 探してるのね。
ミヤ 私はそっちの方に気を取られて、その人は背も高いし、大声だし、まだ見えるわけ。
でも夏木さんも、お梅さんも 小さいじゃない?
私は、 もちろん、 もっと小さいから、 手前から 見たってさ、ただそこに人が座ってるだけで、
ふつうの 状態の列車じゃなくて、 立ってる人もいるわけだから、
向こうにどんな人がいるんだか、わからないじゃない?
一寸の 余地も ないくらい人が 詰まってたと思うし。
もうそんな中を、 だけど大声で、通る声で ばああっと走りながら、
その男の人は 何回も 往復したわけ。
その時の夏木さんと、お梅さんは、髪はざんばらだし、私から見たら大人なんだけど、
夏木姉さんも 女学生だけど、私から見たら大人だから、2人とも。
それが真っ青な顔、普通じゃない表情よね。
だから私も怖くなって、2人から 迷子にならないようにして、母さんについて歩いた。
それで、まあ帰りの汽車に乗ったわけよ。でも2人は ぼろぼろ泣いてる。
私は 一生懸命 栗ご飯を食べた。
― アハハハハ 私は食べたのね。
ミヤ うん。もう味も何もわからなかったって夏木さん言ってた。
もう涙の味だか、美味しいとも思わなかったし。
この季節になると栗ご飯を思い出す。あの重箱の・・・って夏木さん言ってた。
でも、夏木姉さん、栗谷に住んでるのよねって、私が言ったら、
― ああ ほんとだ、私も住んでたけど、気づかなかった!(笑)
ミヤ 私、この家買う時、そんなこと考えもしなかったって 夏木姉さんも言ってた。
ここは、昔は柿生と言ったんだけど、栗の木が たくさんあって・・・どうのこうの
っていうような話をしてたわ。(笑)
しかぶりそう
ミヤ それから、もひとつ思い出したのは、練兵場で兵隊さんはもう行ってしまった、 じゃあ、すぐ駅に引き返さなきゃっていう時に、
私 急に「おしっこ行きたい!」って言ったわけ。
「なんで今ごろおしっこなの!」って叱られた。
― アハハハハ
ミヤ それがね、おしっこ もれちゃうじゃないのよ。
長崎の言葉でね、(おかしそう に)
おしっこしかぶるって言うの。
― しかぶるって言うの? 漏れること?
ミヤ そう。「おしっこしかぶりそう、おしっこしかぶりそう」って騒いだら、
「もういい! 早く 行ってきなさい!」って、練兵場の隅の方に、鶏小屋みたいに、
だあああっと、一列 仮のトイレがあったわけ。 そしたらね、7、80センチぐらいの段があるわけ。
子どもにしてみたら、すごい高さで上れないから、戸を少し開けて、それにつかまって、
ビューっと 入っちゃったわけ。 で こっちは 西部劇の 開き戸じゃないけど、
バタンバタンと 開いちゃうから、そこにつかまって入ったら、やっとこさと下見たら、
中は ただ四角くい穴が 開いてるだけだったの。(笑)
だから 練兵場の黄砂の吹きつけと、そのトイレと、駅で叫んで走り回ってる背の高い男の人と、
栗ご飯の 光景だけ 覚えてる。
― 映画みたいだなぁ・・・(ああ、黒木和雄が生きていれば映画にしてほしかった・・・)
ミヤ 梅子さんと夏木姉さんの 気持ちはいかばかりだったろうよねぇ。私は、ただもうあたふたして・・・・
― 幸蔵さんが出征したのは 昭和19年だから、ミヤおばちゃんは、まだ8才か。
ミヤ 満で言えば 7才やね。終戦の時が、満8才だったから。小学校2年生ぐらいだった。
あんた、そんなこと覚えてるわけないじゃないって 夏木姉さんに言われたけど、でも割と覚えてるのよねぇ。
ナツキはどこに?
― 長崎を離れることになったって言い渡された時のことは、覚えてますか?
ミヤ 覚えてない。ただもうその前に、婆やだけは連れて行くことになったって言われたのは、覚えてる。
その前に、次々お店の人はやめたし、お手伝いさんも次々やめて行った。
だけど、婆やのイサさんは、身寄りがなくて、帰るところがなかったのね。
だから お給金はいりませんって。
自分で お乳をやって育てた 深雪と離れるのがイヤだったんだと思う。
離れがたかったし、 帰る家も なかったしね。
― ああ、そうなんだ。じゃあ、なんで夏木は長崎を離れなかったの?
夏木は 長崎に 一人で 残ったんでしょ?
ミヤ 夏木姉さんは・・・・造船所のことがあるから・・・学徒動員があるから・・・残ったんだけど・・・(急に あやふやになって お茶を入れに立つ)
ちえ だって一人じゃん。
ミヤ だからその間は、・・・野口さんのところで過ごしたのか・・・他の、なんか・・・ね?
・・・なのか・・それは、もう・・・全然・・・誰も思い出さないわけ でしょう?
― アハハハハ おばちゃんも 思い出さないのね?
ミヤ うん・・・・おばちゃんも、思い出せない・・・(笑)
確かに、夏木姉さんはどこにいたんだろう・・・? 思い出せない・・・
― アハハハ だっていくら17才とはいえ、戦時中だしさ、
身寄りがなく 一人で 長崎に残したとは思えないんだよね。
ミヤ うんうん、どこかに、やっぱり頼んであったとは思うよね。
そこから通ってたとは思うんだけど・・・
昔の人はね、ちゃんと礼をつくして 頼むからね、一応身元もちゃんとしたとこに、
梅子さんが頼んだでしょうけどね・・・わからない・・。
― 長崎を離れるのはイヤだ!って 夏木が ゴネたとか、そういうことではないの?
ミヤ そういうことではないと思うな。 学徒動員はもう義務だから、離れることはできないし、
― できないの? 家族が疎開しても? 疎開先で 行けないの?
ミヤ できないよ。もうそこで通って仕事してるんだもん。もう、そんなの許してくれないよ。
― そうなんだ・・・・
ミヤ もちろん、兵隊に連れて行かれた人は 別だけど、国内で働かされた人もね。
おばちゃんも 終戦の日、桑の木の 皮をビューっとむいて、
木づちで叩いて、 繊維を取って、機を織ってたのよ。
それを タダで 供出してたのね。 もう麻も 綿も 何もなくなって。
学校の命令で、 小学校の子どもたちもみんな、学校から割り当てられてやってたのよ。
― 軍服とか作るのに?
ミヤ そう、なんかにしてたんやろうね。それをちょうど、筵の上でやってた時に、
ラジオの放送があるらしいって話になって、ガーガーピーピー言ってて、何言ってるか
さっぱり 聞こえなかったんだけど・・・
大人の様子で、 どうも 戦争が 終わったらしいってことになったのよ。