2009.03.26 Thursday
パラサイト その3 経済的自立
私も つかのま 就職したが (初任給は 7万だったような 笑)
実家から 虚家に 移籍した途端に、仕事辞めるハメになったので(寿退社ではアリマセン)
虚家の パラサイトに なった。
毎年 扶養家族の申請に 市役所へ 非課税証明を 取りに行く。
何も 300円払って 市に 証明してもらわなくても・・・・
ハイハイ 悪うござんした、私は 税金も払ってない パラサイトで ございます って
やさぐれたい気分になる。
でも パラサイトが 何も 仕事してないかっていうと、そうではないし、
私の 稼働率から 考えても 非課税の範囲とはいえ ムショク感は 少ない。(笑)
社会の半分は 実は パラサイトが担っている。 と 私は考えている。(これについては 別に書く)
稼いでいる人 税金払ってる人だけが 仕事してるって 評価されるシステム、
ほんとに 私たちの 現状に 合っているのだろうか・・・・
結婚して 仕事から離れて パートナーのインカムに 経済的に依存するように なっても
それは なぜか パラサイトとは 呼ばない。
だとすると パラサイトは 暗に
シングルで居続けることに対する 社会的批判を 含んでいる? のだろうか。
学業期が終わったら、ちゃんと 就職して 経済的自立して 家を 出てほしい。
これは、親としての タテマエと 本音だ。
しかし 勤め先に 通えないという 状況があればだが、
このタイミングで すべての子どもが 家を 出るわけではない。
私は 自分がやりたい選択は やろうと思えばいつでも できるから、
条件があるなら まずは じいちゃん ばあちゃんと暮らしなさい って 主義なので、
娘たちの 家を出て 通いやすいところに 住みたい願望を 阻んでいる。
パラサイトを 奨励しているようなものか。
家には 家事労働が 山ほどある。 どんだけ 家にいてもかまわない。
私の代わりに 家事をやってくれ と 言うと、娘たちは せっせと 外へ 出ていく。(笑)
今は ある程度の お金さえあれば 一人暮らしは 簡単にできる。
自分が よければ どんなに 部屋が ちらかっていようが、
毎日 コンビニの お弁当だろうが、 よいのだ。
すべてが 自己責任という名の 自分だけの 優先順位に従った 一人暮らし・・・・
子どもたちの 自立は、 そうなることは 目に見えている。
でも それが 生活者として、本当に 自立したって 言えるのだろうか。
ちょっとしたすれ違いや 態度で 家族の憤懣を買ったり、
言われたくないことを言われて イラついたり、
日々の 自己決定(今日の服装とか)に クレームつけられて 逆上したり、
そのことを 腹の中で ぶちぶち 繰り返して 一日気分が悪かったり、
家族の都合に 合わせなければ いけなかったり、
親や 祖父母の 老いを 何気ない時に 実感したり ・・・
そういう めんどくささ すべてを ひっくるめて、
家族が 無意識に インプットする サンプルの方が、
一人暮らしで パソコンで検索する サンプルよりも、
はるかに 人間を 鍛える。
毒を持って じぶんに 迫る。(毒が 回るのは 実態がなくなってからだけどね。 笑)
母親に 言われたことを じいちゃんばあちゃんにも グサリと言われる。
正しいことは 胸に 刺さる。
今言われても どーしようもないでしょ。 うっせえな! 早く こんな家 出てやる!
みんな そう思って 生きてきたんじゃないのだろうか。
「母を食う」の記事で書いたが、姥捨て、娘の身売りは そんなに古い時代のことではなく、
昭和恐慌にも あった。
この狭い、 資源に限界ある 島国で、増殖する人口を すべて同レベルで養えるほど、
日本は 豊かになったことは、実は 一度もないのでは ないだろうか?
お互いにパラサイトしなければ 成り立たない、
家族って そうやって 助け合って 来たのではないだろうか?
家族はそろって 丸いちゃぶ台 囲んで 娘も息子も 働いて 家計を助けて 家を支えた。
Always 3丁目の夕日は 私が生まれた 昭和30年代だ。
こんなこと言うと 美しい国日本 家族愛 日本本来の家族のあり方 みたいな
一列横並びの 隣組みたいな 風に なだれるから それは カンベンだが、
パラサイトなんて 後ろ指指す 精神風土が、
もともと 日本には、育ってないのではないかなぁ?
まあ 何につけ 後ろ指さす 村八分の 精神風土は もともとあるから、
経済的な自立に伴う 個の自立の 精神風土が 育ってない と言った方が 正しいか。
それにしても 今の この若者たちの 就労状況のひどさ。
男女機会均等なんて 女子も 深夜のタクシー帰りが 度々の 女工哀史。
こんだけ 働かせて どんだけ 豊かなんだ?
せめて 一緒に住んでいれば、
一週間の どこかで 野菜たっぷりの 家庭料理を 食べることができるし、
健康状態も 把握できるし 会話もできる。
どうせ いつかは 別々になるのだから、せめて 一緒にいる間は、家族なんだもの、
タテマエとは違うが、状況のヒドさに 頭きて 面倒みてしまう 親も多いだろう。
それが 本能としての 親心だ。
本能としての 親心を 欠いた 議論は 上滑る。
この 経済不況の中で 家族の 経費削減から 言っても
親の 退職金と年金に パラサイトした 若者が増えるのは 目に見えている。
私たちの世代は、 後ろ指さす基準が 昔より ずっと甘くなってる世代の子だし、
好き勝手やってきた 我が身を振り返れば
今の子たちの方が ずっとまじめで おとなしいのが 心配なくらいで、
家族でいても 昔ほどの 軋轢は ない。 むしろ 楽しい。
そう 寄生は お互い様 なのだ。
パラサイトと 後ろ指さされつつも 親のもとに いる 数年間が
実は 家族が 一番 お互いを 鍛え合う 時期なのかもしれない。と思う。
お互いに 個を 尊重しながら 助け合って 人間を 鍛え合おうぞ。
実家から 虚家に 移籍した途端に、仕事辞めるハメになったので(寿退社ではアリマセン)
虚家の パラサイトに なった。
毎年 扶養家族の申請に 市役所へ 非課税証明を 取りに行く。
何も 300円払って 市に 証明してもらわなくても・・・・
ハイハイ 悪うござんした、私は 税金も払ってない パラサイトで ございます って
やさぐれたい気分になる。
でも パラサイトが 何も 仕事してないかっていうと、そうではないし、
私の 稼働率から 考えても 非課税の範囲とはいえ ムショク感は 少ない。(笑)
社会の半分は 実は パラサイトが担っている。 と 私は考えている。(これについては 別に書く)
稼いでいる人 税金払ってる人だけが 仕事してるって 評価されるシステム、
ほんとに 私たちの 現状に 合っているのだろうか・・・・
結婚して 仕事から離れて パートナーのインカムに 経済的に依存するように なっても
それは なぜか パラサイトとは 呼ばない。
だとすると パラサイトは 暗に
シングルで居続けることに対する 社会的批判を 含んでいる? のだろうか。
学業期が終わったら、ちゃんと 就職して 経済的自立して 家を 出てほしい。
これは、親としての タテマエと 本音だ。
しかし 勤め先に 通えないという 状況があればだが、
このタイミングで すべての子どもが 家を 出るわけではない。
私は 自分がやりたい選択は やろうと思えばいつでも できるから、
条件があるなら まずは じいちゃん ばあちゃんと暮らしなさい って 主義なので、
娘たちの 家を出て 通いやすいところに 住みたい願望を 阻んでいる。
パラサイトを 奨励しているようなものか。
家には 家事労働が 山ほどある。 どんだけ 家にいてもかまわない。
私の代わりに 家事をやってくれ と 言うと、娘たちは せっせと 外へ 出ていく。(笑)
今は ある程度の お金さえあれば 一人暮らしは 簡単にできる。
自分が よければ どんなに 部屋が ちらかっていようが、
毎日 コンビニの お弁当だろうが、 よいのだ。
すべてが 自己責任という名の 自分だけの 優先順位に従った 一人暮らし・・・・
子どもたちの 自立は、 そうなることは 目に見えている。
でも それが 生活者として、本当に 自立したって 言えるのだろうか。
ちょっとしたすれ違いや 態度で 家族の憤懣を買ったり、
言われたくないことを言われて イラついたり、
日々の 自己決定(今日の服装とか)に クレームつけられて 逆上したり、
そのことを 腹の中で ぶちぶち 繰り返して 一日気分が悪かったり、
家族の都合に 合わせなければ いけなかったり、
親や 祖父母の 老いを 何気ない時に 実感したり ・・・
そういう めんどくささ すべてを ひっくるめて、
家族が 無意識に インプットする サンプルの方が、
一人暮らしで パソコンで検索する サンプルよりも、
はるかに 人間を 鍛える。
毒を持って じぶんに 迫る。(毒が 回るのは 実態がなくなってからだけどね。 笑)
母親に 言われたことを じいちゃんばあちゃんにも グサリと言われる。
正しいことは 胸に 刺さる。
今言われても どーしようもないでしょ。 うっせえな! 早く こんな家 出てやる!
みんな そう思って 生きてきたんじゃないのだろうか。
「母を食う」の記事で書いたが、姥捨て、娘の身売りは そんなに古い時代のことではなく、
昭和恐慌にも あった。
この狭い、 資源に限界ある 島国で、増殖する人口を すべて同レベルで養えるほど、
日本は 豊かになったことは、実は 一度もないのでは ないだろうか?
お互いにパラサイトしなければ 成り立たない、
家族って そうやって 助け合って 来たのではないだろうか?
家族はそろって 丸いちゃぶ台 囲んで 娘も息子も 働いて 家計を助けて 家を支えた。
Always 3丁目の夕日は 私が生まれた 昭和30年代だ。
こんなこと言うと 美しい国日本 家族愛 日本本来の家族のあり方 みたいな
一列横並びの 隣組みたいな 風に なだれるから それは カンベンだが、
パラサイトなんて 後ろ指指す 精神風土が、
もともと 日本には、育ってないのではないかなぁ?
まあ 何につけ 後ろ指さす 村八分の 精神風土は もともとあるから、
経済的な自立に伴う 個の自立の 精神風土が 育ってない と言った方が 正しいか。
それにしても 今の この若者たちの 就労状況のひどさ。
男女機会均等なんて 女子も 深夜のタクシー帰りが 度々の 女工哀史。
こんだけ 働かせて どんだけ 豊かなんだ?
せめて 一緒に住んでいれば、
一週間の どこかで 野菜たっぷりの 家庭料理を 食べることができるし、
健康状態も 把握できるし 会話もできる。
どうせ いつかは 別々になるのだから、せめて 一緒にいる間は、家族なんだもの、
タテマエとは違うが、状況のヒドさに 頭きて 面倒みてしまう 親も多いだろう。
それが 本能としての 親心だ。
本能としての 親心を 欠いた 議論は 上滑る。
この 経済不況の中で 家族の 経費削減から 言っても
親の 退職金と年金に パラサイトした 若者が増えるのは 目に見えている。
私たちの世代は、 後ろ指さす基準が 昔より ずっと甘くなってる世代の子だし、
好き勝手やってきた 我が身を振り返れば
今の子たちの方が ずっとまじめで おとなしいのが 心配なくらいで、
家族でいても 昔ほどの 軋轢は ない。 むしろ 楽しい。
そう 寄生は お互い様 なのだ。
パラサイトと 後ろ指さされつつも 親のもとに いる 数年間が
実は 家族が 一番 お互いを 鍛え合う 時期なのかもしれない。と思う。
お互いに 個を 尊重しながら 助け合って 人間を 鍛え合おうぞ。