私は、できちゃった婚で生まれた。
だから、というわけでもないが、
できちゃった → 仕方ない → 結婚 と、
出生そのものが不始末の結果みたいな「
できちゃった婚」という言葉、
なんとかならんかねぇ、と常々思ってきた。
まあ、キャッチーでお茶目だから、これだけ流布しているのだろうが、
なんとなく失敗に対する 責めのニュアンスが まとわりつくところが 気に入らない。
そもそも、言葉が実態に追いついてない。
まあ、ヒットの確率の問題は別にして、そこに到る衝動は、運命的な出逢い!
(と思える勘違い、だったとしても)と感じた 自分の直感に 基づいた 合意の上だろう。
そこまで 全否定するような 貧弱な言葉でしか 結婚を 表現できないのは、
男と女の 関係性の 哲学が 貧困だからだと思う。
データはないが、趨勢はすでに凌駕しているのではないか?
業界は、すでにマーケットの需要に応えて、Happy Egg ウェディングとか名付けて、マタニティコースも豊富に用意している。××は○○を駆逐するってやつだ。
一番の弊害は、普段は自己責任、個人主義を標榜している私たち世代の親が、
その時だけ、順番の後先にオタオタし、なんとなくすごすご、
子どもがなにかやらかして学校に呼び出されたような気分になることだ。
自分たちの生活を 動かしている スタンダードと 違うスタンダードが、結婚の時だけ!出てくる。
どーしてなんだろう?
もちろん、両家のスタンダードの摺り合わせ(または自分の親族との摺り合わせ)を
しなければならないという難関があるからなのだが、それって事の核心とズレてない?
「びっくりしたよ」「なんだかねー」
期せずしてジジババになった友人(多いよ)に、私はいつも言っている。
今、こういう事態にでも直面しなければ、男も女も 結婚を決意しない。
ハタチそこそこか、30過ぎか、婚期の2極分解は進んでいる。
出逢いレス、セックスレス、子どもレスで悩んでいる若者たちの方がずっと多いし、
その問題の方がはるかに深刻だ。
そもそもコミュニケーション能力がいらないで育っている上に、若者の就業状況がヒドすぎるからだ。
最初の難関をクリアした2人に、あれこれ注文つけるなんて世間がゼイタクというもんだ。
幸運な出逢いと誕生を、素直に祝おうではないか。
そこで祝ったからといって、前途多難であることは、みな変わりないのだから。(笑)
私はできちゃった婚で生まれた。
しかも、父の母親(私のバアちゃん)が結婚に猛反対で、
既に同棲していた下宿に乗り込んで、喘息で寝ていた母の布団を 引っぱがしたとか、
探偵社に被差別部落の出身じゃないか、原爆の後遺症はないか調べさせたとか、
かなりドラマティックな ハンパない望まれない婚だったらしい。(笑)
(父が母の一周忌に親戚に配った追想に書いてあった。そんなの親戚に配るのもどーかと思うが)
カワイソーに! 私って、ずいぶん、望まれない出生だったのねぇ。
生まれる前から後ろ指さされてた、ってわけだ。(笑)
しっかし、出たもん勝ちだ〜!!
生まれてみれば、めっちゃメンコイ(東北弁でカワイイの意)し、
私は双方のジジババからめっちゃ可愛がられ、オジオバたちからも可愛がられ、
おかげで 今でも 双方の冠婚葬祭を 一手に 引き受けている。
生まれてこのかた、できちゃった婚で辛酸をなめた記憶は、私には一切ありません。
それくらい新しい生命、赤ちゃんの力は大きい。
子はカスガイなのだ!
それがわかっているからこそ、若いペアたちは、前途多難を覚悟の上、結婚を選択するのだろう。
がんばれ、パパ、ママ! 負けるな、ジジ、ババ!
附記
最近、お子さんの結婚問題で悩んでいる友人が多くって、そっちもよろしく!と
有能なプロデューサーたまごちゃんから注文来た。んで、威勢いいこと書いたが、
これはまだ私の体験してない分野なので、いざ、自分のこどもがそういう事態になれば、
バリバリ保守的スタンダードを持ち出して、豹変することは十分予想される。
親の理論と現場の対応は常に矛盾するのだ。(笑)
そもそも、我が家は、細木数子大好き!バリバリ・スタンダードのババさまに
「日本の女は勉強ばかりして、家のことは何もやらず、夜遅く帰ってきて、自分の好きなことばかりやっている。
自分が、自分がって、自分がやりたいことばかり考えてて、男を支える気がない。
そんなことで結婚がうまくいく筈がない。日本は女のせいで滅びる!」
と母娘三代に渡って、毎日お叱りを受けているので、私の気持ちが屈折して子どもに乱反射するのだ。
(親子問題の重要キーワード=屈折率と乱反射については、別に書くね)
だから、ブログでだけ、吠えているのよ。 みなさま勘違いしないように。
ふぅ、生きてくって、ホント めんどいわぁ。みんな、ガンバロー!