2007年 我が家の 20大ニュース! (予告)

いよいよ2007年も、あと3時間になりました!

毎年恒例 我が家の20大ニュース!
選考委員&ニュース掲載ポスター作成係の我が家のお姉さん、カナさんからのお知らせです。

いや〜早いもので、本当にもうすぐ来年です。(汗)
私は先日まで仕事と飲み会に追われていたので、昨日のお餅つきでやっと年末モードにスイッチ入りました。

しかし!そんな私も一つだけ、年末らしい事を毎日悶々と考えております!
そう!毎年恒例 根本家20大ニュース!! パフパフパフパフ!!

ここでちょっと説明・・・・根本家20大ニュースとは、毎年行われる我が家一年間のあれやこれやのチンドンニュースベスト20を、ある時は四文字熟語で、ある時はことわざで、面白可笑しく書いたものである。

で、今年のスタイルは!!

アカデミー賞ならぬ、

トニー賞ならぬ、



ネモトニー賞でいきます!!!!!!!!  

今年の予想は有力な個性溢れまくりな芸能人たち六名が20賞総なめとなること間違いありません!!(当たり前だ、我が家は六人しかいません)

というわけで・・こうご期待!!


※以下ネモトミー賞の発表にあたりいくつかの注意事項です。

通信の関係上全ての賞を公開することはできません。
発表日は私の努力次第となっておりますので、事前に日程をご報告することはできません。

また全賞リストの写真公開は我が家の関係上小さな画像でしか添付いたしませんので、みなさん目を皿のようにして頑張って読んでいただくか、もしくは我が家に直接足をお運びください。

全賞リストは外へ持ち出す事はございませんので、「持ってきて〜」というリクエストにはお応えできません。

基本的に見に来る方は誰も拒みませんが、いらっしゃる際は必ず我が家にご一報ください。またB2サイズ程度のただの紙のみでの公開です。
“ローカル線に揺られて見に来たのにこれだけ!!”というクレームをいいそうな方は来ないことをおすすめいたします。
但しいらっしゃった方には、我が家皆で温かく迎えますので、それ以上の何が得られるかも?しれません。それは来ていただいたご本人の問題です…

以上。 20大ニュース担当 KANA


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おまけ 去年の20大ニュース(英語ヘン)より

チエ IT 革命 パソコンにmy adress GET!
チエ 駒場高校同期会32年という時間にSHOCK!
     恐るべし50代! この世を支える50代!
ネモト家 DANI(これ英語じゃない オツベルと象の麦こき体験で)大発生 カユカユ〜



ではお楽しみに〜〜〜(^∀^)ノ
みなさま よいお年を〜!







| がやがやがやがや | 09:20 | comments(6) | trackbacks(0) |

しっ ふう どう ! 気の集中に 賭ける。        『北守将軍と三人兄弟の医者』

今年もあと3日のカウントダウンに入ってしまった。
ウウゥ・・・年賀状もまだ終わってないし、こんなことやってる場合じゃない・・・・
 
おととい、ねもとパーティは1月13日の発表会(後日掲載します)で発表する
『北守将軍と三人兄弟の医者』の年内最後の合同練習を終えた。練習と言っても、
この場面はどうするか、こどもたちがすべての動きを話し合って決めるので、直前まで表現を作っていて、純粋な「練習」はいつも直前の数回のみになってしまう。ううう
果たしてこれで仕上がるのだろうか・・・

071117_1951~02_0001.jpgでも、合同練習は、幼稚園児から小学生、大学生(高3のサヨも参加してたが、さすがに入試で 諦めた)社会人、お母さん、まで一緒にワイワイやるので、毎回 妙に楽しそうだ。まだ見学中の親子も、送ってきたパパまでいきなりチームに入れられ、ナレーターを振り当てられてる(笑)


071201_2031~01_0001.jpgさすがに ここに来て 引きつってる私が ムダに怒鳴っているものの、(笑)
みんな慣れたもの。
適当に(ほとんど全部)スルーして、
チャクチャクと(?)進んでいる。

今年はたまちゃんが言うように、学生戦隊ガクレンジャー5
が揃っているので強力だ。
たまちゃんは、知る人ぞ知る レンジャー・フェチ だ。
○○戦隊○レンジャー すべての動きを体現できる。(笑)
今回 みんなに指導してくれた。表現にも生かされたかな?
 
15年前に白井でパーティをはじめた時の元祖メンバーが(まだ保育園のお迎えに私が行ってた子もいる)5人大学生で揃っている。既に社会人になった2人も出演、音楽係でサポートする。 あ、写真 真ん中のリーダーらしきレンジャーは、
初めて見学に来たお母さんですョ。なじんでるなぁ。(笑)

さらにこの春入った新人クンも加え、小6が5人いる!(最期の黄金期かも) 
リーダーのしほ、ユウチ、トツカ3人をサブの(いや実は影武者)ちーちゃん、おーさん、モエが支える。また、春のオープンパーティで入会してくれたマーくんもいるので、女の園だったねもパーも 例年になく男子が多い。あるくんでなくても ウキウキだ♪ 5才のれんくんが全部の聴覚の動きを指導してくれたし(ほんとだよ。このチームの聴覚はすべてれんくんが考えた 笑)

過激な動きが定評だったハッチャケ・ママ ジュンコさん フキさんの2人が抜けた穴も かなり強力な布陣で臨む構えだ。 あくまで、構えです。


9月から馬に乗ったり、大学生が交替で、万里の長城や城郭都市、中国古代の武器や戦闘態勢、中国古来の治療、気功のレクチャーなどをしてくれ、あちこちから迫ってはいるのだが・・・

十万の兵、三十年といふ黄いろなむかし、砂漠を馬で駆け通し、城壁で囲まれた中国古代のラユーという都市、中国古来の医療、治るということが本人にとっていいのか・・・などなどの問題を、今の私たちの生活からイメージして 表現するのは はるかな道だ。野田秀樹 の芝居 『キル』を観た夜は 砂漠にうなされて眠れなかった。

まあ、このお話を楽しんで みんなで取り組めただけで、ある意味 私は満足で・・
テューターの望みのレベルは いつも低い! これが表現の刷新をはかれない理由か?(ス、スマン)

いみじくも ものがたり文化の会の機関誌「十代」最新号で高野竜くんより指摘されていた 言語班の問題も 下等さ の表現不足も メソッドの刷新も ・・・うん、うん。
そう思う点も多々ありなのだが・・・(詳しくはリンクものがたり文化の会にお問い合わせのうえ、機関誌十代を 読んでください)

今年は 発表会の後すぐに、こどもゆめ基金助成事業 子どもワンダースクール表現教室の3回連続ワークショップも控えているので、そちらのチラシ作りや発送もあり、去年はやってなかったブログもあり・・・(言い訳するなっ! やるのは彼らだ)

今は たまちゃんの気功レクチャーであった荘子の言葉

気が集まれば生となり、気が拡散すれば死となる。  ・・・ の境地・・・

後は こどもたちの気の集中 に賭ける。しかない。

しっ、 ふう、 どう は 北守将軍が30年間乗り続けた愛馬がヘタってしまった時にかけるかけ声であるが、将軍の馬への愛情の深さは並々ならない。馬と離れて、抜け殻のようになってしまった将軍の最期を どう表現するか・・・年明けの課題だ。

みんな、正月明けは しっ、ふう、どう!! だ! 

附記
そうそう、かねてより やりたかった太極拳を、行きがかりで始めることになった。(笑)
11月に絵本展をやった文化祭で、太極拳とムーラン拳を実演してくれた方に、子どもたちに見せたいのでビデオ撮影を申し込んだら、彼女が団地で太極拳教室を開いていたのだ。偶然にもアヤカの同級生のお母さんで 長年の香港在住から帰って教室を開いたばかりだという。いい師に出逢った! と直感する。(この直感がクセもので 笑)新しい出逢いと 次の展開 てんこ盛りの絵本展でしたね。
 

| がやがやがやがや | 23:59 | comments(3) | trackbacks(0) |

おばんの子に育てられ サンプル その3

おかげさまで(というべきだ!)
男のサンプルには 恵まれて育った。

男のサンプルの話ばっかで、女のサンプルの話はいつ出てくるの?
これってつまり、お母さんが 男好き だから だよね?


と末娘に言われた。 うーむ、それもあるけど・・・(汗)

何度も言うが、これは、一応若いお母さんをターゲットにした子育て支援のページで
(っていうか発想法の話だけどね) 男女問題の遍歴を書いているわけではない。
が、母親としての女の私を作っている経験値としてのサンプル(ヒトの標本 典型)を辿っているので、まずは男の話 になっている。男好きとは関係ありません。

私たちはいつ出てくるのよ! (って けっこう娘に待たれてるのか? 笑)

うーむ、・・なぜか女のサンプルは、特徴が浮かばないんだよね〜。
自分が女だから、女についてはマジになっちゃうし、そもそも理解不能なサンプルとして研究、分析したことがないから・・・(笑)
女の子のお母さん、女性の方、もう少し待ってください。次回はサンプル4、5は置いといて、
女の子のこと書きますから。

24年間一緒に暮らした男は (もうわかるよね。いわゆる父親と呼ばれている男)
生活レベルでは、まったく無能力、世間知らず 甚だしかった。

ギョーザに ラー油の代わりにバニラエッセンスをかけて、1皿食べ終わってから、「今日のギョーザは変わった味だったなぁ」 とか。 母が入院してる時 「おむすび山」の袋に お湯を入れて、
「3分待ったけど、おむすび にならなかったぞ」とか・・・(涙)
暴露本書いて一儲けしようかと思うくらい、ありえない武勇伝(?)にこと欠かない。
母も、こまめにフォローする内助型ではなかったので、革靴左右反対にはいて一日歩き回って、
「今日はなんだか足が痛かった」 と帰宅した父を、「バッカねぇ〜、あなた!玄関でよく見なさいよ」と喝破していた。

このサンプルから学んだこと = 言論上の展開と 生活上の能力は一致しない。

この男の言論上の展開を詳しく知るわけではないし、24年で同居も解消したので、不一致が私の生活に多大な影響を与えたわけではない。 が、だいたい女は男の言論上(または行動上)の展開に
心動いて結婚するので、結婚した後にわかる生活上の不一致の数々は、けっこう女性にとっては
その後の生活を支配する大問題となる。(あれ、やっぱり男女問題か?)

こうしてサンプル1、2、3に囲まれて、私の初期20数年間は形成された。おかげさまで、必然的に、男に対する無用な幻想を抱いたことがない。つまり 男好きな割に (キャア!とか ワァ!とかレベル
だよ。誤解のないように) ロマンティックじゃない。(エヘ)
31才、9才年上、無職 の男(サンプル4)と 躊躇なく結婚すると決めたのも、今思えばこのサンプルたちに育まれた 「スタンダードのなさ」 のおかげ だったかもしれぬ。

個人内のスタンダード(基準)は、大きく初期家族に決定される。女姉妹だけで育った人と、男の兄弟がいた人では、経験値やスタンダードにかなり差が出る。でもこれは、個人が選択できることではないので、天から家族から授かった運命と ありがたく享受するしかない。

でも、この運命はかなりありがたい。私などは、ものがたり文化の会のテューターとして、親子のさまざまな問題に立ち会うことがあるが、経験上のサンプルのバラエティの豊富さはけっこう役立つ。
なぐさめにはならないけど、こんな人もいるよ、と語ってきかせると、けっこう みんな なごむ。(笑)
みんな少ないサンプルのスタンダードに、自分の子があてはまらないからといって、ものすごい脱落感、疎外感 を持っているからだ。社会の、人間の、バラエティのなさこそ問題なのに・・・

娘たちにも常日頃から言っている。「お兄ちゃんを見てれば、たいていの男は、うーん、あれよりは
マシか と思えるよ。ありがたいねぇ、お兄ちゃんは」

まあ、でも自分の息子となると、なかなか一筋縄ではいかない。その話(サンプル5)は来年だね。
 
| おばんの 子に育てられ | 09:20 | comments(7) | trackbacks(0) |

やさしさのスイッチが入るとき  

「ふつうの生、ふつうの死」http://kankarakan.jugem.jp/?day=20071019
で紹介した 土本亜理子さんの新刊です。


中学生が、3級ヘルパーに!
茨城県美野里町(現小美玉市)で、社会福祉協議会が主催、中学校が協力して2002年から始まった中学生3級ヘルパー養成研修。第1期は80人近い応募の中から抽選で39人が受講、全員資格を取った。その後シニア世代も一緒に介護を学ぶ体制になり、今、修了生たちが地域福祉の担い手として活躍しているという。
亜理子さんは、2005年秋から4ヶ月間、7期生の聴講生として毎週研修に参加。この研修の開設前の裏方の苦労から、その後の展開までを密着取材したルポルタージュです。


やさしい人と やさしくない人が いる わけではない。
誰でも やさしい面と やさしくない面を持っている。
それが、どう出るかは、周囲の人々との 関係次第だ。

人間の肉体の老いと 精神の老いは 同じペースでは来ない。
だからこそ、人の気持ちはねじれるし、周囲の気持ちはそれを受け止めきれなくて、さらにねじれる。
介護する側 と 介護される側 というふうに、力関係が絶対的になった時は、ある意味 「終末」だ。

ヘルパーという第三者は 救世主になるのか。

そんな聞き慣れないカタカナを受け容れるまでに、老人の心の鎧は堅く、ガンコにさらにねじれる。
そのねじれたガンコさが、「個人の尊厳」というやつだ。

ところが、ヘルパーというカタカナは、明るい笑顔で 小走りに家の中に入って来て、3分間しか地球にいられないウルトラマンのごとく、さささっと目の前の緊急課題を解決して帰っていく。
なんだ・・・という物足りなさと、でも なんとなく次の出現を待つ・・・待望感を残して。

ヘルパーは救世主になるのだ!

家族には語れない、いや、さんざん語ってきたために疎まれてることを、短い時間でも笑顔で聴いてくれる。手作りの食事が用意され、身の回りが少しすっきりする。煮詰まった生活の中に、新たなリズムが生まれる。なにより、家の中に、ちがう風が吹く。

この本の筆者 土本亜理子は、医療現場や介護現場の取材をする中で、
自分の中に決定的に足りないもの、欠落している何かを感じ、まず車椅子を押せるようになりたい、身体感覚で現場の力を知って、その上で伝えたいと感じて、介護の講習会に行き、ヘルパーの資格を取った。そして近くの事業所に登録し、今は週に3回、在宅訪問の仕事をしながら、(そして中学生と小学生の子育てをしながら)ルポルタージュを書いている。

だから、ヘルパーを迎え容れる老人と家族の心の屈折も、救世主としての限界も、現場の中で身に染みて感じてきたと思う。それをまったく出さないで、初めてヘルパー研修に取り組む中学生と一緒に机を並べて、このルポを書いているところが、ほんとにエライと思う。
(昔からの友人なので、どうしても私は姉目線になってしまうが。笑)

今のこどもたちは、年相応の逸脱行為があったとしても、基本的に、とても やさしい。
私たちを含め、親の世代が生まれた時から優しくされて育っているし、至たれり尽せりの状況で、生きるか死ぬかの修羅場をくぐり抜けてきた子は少ない。まじめだし、ロスが少ないし、だからこそ、はずれた時にどうしていいかわからない。ささやかなことで、ものすごく悩んでいる。学校と部活と塾しか行ってないんだもの。自分の夢を探して、進路を決めろとか言われたって、何をしていいかわからない。目的も 覇気も ない、ように見えてしまう。

そんなまじめな子たちと先生に追い打ちをかけるように、教育現場は管理の網を強化している。
心の教育も、ボランティアも、「やさしい」とか「美しい」とかいう言葉にくるまれて、キナ臭い強制にならないという保障はない。

そんな現状も、たぶん承知しながら、美野里ヘルパー研修の立役者である美野里町社会福祉協議会の石川美恵子さんの第1回講義「生きるということ」は圧巻だ。石川さんの授業報告だけでも、1冊書いてほしいくらいだ。サービス提供の基本視点という副題はついているものの、資格取得のためのHow toをはるかに越えた人間学だ。
死んだ人を見たことがある人いますか?その中で死んだ人を触ったことがある人は?」という問いかけから講義は始まる。
無視されたつらさ、仲間のないつらさ、皆さんもわかるよね。やさしさって見えますか?一番つらいことって人に言えますか?」
中学生の胸に響くわかりやすい言葉で、講義は続く。介護とかお年寄りとかの問題だと思っていたことが、実は自分たちの問題だと、中学生は引き込まれたことだろう。
良質の授業は、必ずや若者の内側を揺さぶっている。

この研修が始まるきっかけを作った茨城県立医療大学附属病院院長(当時)の大田仁史医師も、研修の講義を受け持っているが、「相手が中学生だからといって、講義内容のレベルは落とさない。(略)制度を教えるのではなく人を大事にするとはどういうことか、ということを教えるわけですから、中学生だからこのへんでいいなんてことはないのです。」と言われている。

大田医師と石川さん、この2人を中心にたった2ヶ月で実現に至った中学生のヘルパー研修。実現までの苦労もスリリングに書かれている。亜理子さんが花の谷ホスピスのルポ(前出)のあとがきに「ホスピスは「場」でも「人」でもなく、しかし同時に「場」や「人」なのだと知った」と書いている言葉を思い出す。 教育も 福祉も 「場」であって 「人」なのだ。

「将来ヘルパーにならなくたっていい、ボランティアに参加しなくたっていい。自分の中のやさしさのスイッチがオンになればいいんです。」と石川さんは言う。石川さんが言われる「体験の力」に私も賛同する。「体験」したことと「体験」しなかったことの違いは、何十年後かに必ず出る。

それにしても、なんと遠回りな、やさしさへの第一歩であろうか。

東京のような大都会ではなく、どこにでもある地方都市の美野里町においても、こうなのか。
自分の家で、自分の親や祖父母に、自然にやさしくヘルプしてあげればいいではないか。
学校や総合学習やヘルパーや資格やといったシステムをくぐっての、なんと遠回りな、第一歩。
いのちの現場と ものつくりの現場から、あまりにも隔絶してしまった、現代の私たちの生活のいびつさ 体験と力不足 を感じないわけにはいかない。

それでも人間同士が生身で向き合う時に、発生する力は すごい。
在宅訪問した中学生に、90才のおばあちゃんが、「どうだい、今日の感想はなんだ?」と聞く。
「面白い人に会いました」
「面白いババア、でいいんだよ(笑)今日の感想文書かされたら私も90歳まで生きたいですってそう書くんだぞ」 
  この中学生が自然に取った行動にも みんなが驚く。

私だって、ババアになって、こんな中学生が来たら、「今日は、どんなことを言って揺さぶってやろうか」って手ぐすね引いて待つだろう。(笑)

中学生よ、相手は、ねこなで声で「オジイチャン」「オバアチャン」と呼びかけるような 弱者ではない。
したたかな愉快犯だ。 君たちも、これから、たくさんの人や本に出逢って、彼らに対抗する感性と土壌を鍛えよう。
そして、この制度に生き方を合わせなくてはいけない理不尽な社会に対するオブジェクションや、
音楽の話やコイバナ(恋の話)を、オムツ交換のわずかな時間に 語り合おうではないか!

中学生や高校生、そのお父さん、お母さん、教育現場の方、行政の方、たくさんの人に読んでほしい。中学校や高校の保健室に1冊置いて、ブレイクに来た子に、「こんな学校あるんだよ」と勧めてほしい。右の「やさしさのスイッチが入るとき」をクリックすると、アマゾンから購入できます。
アマゾンのレビューも書きましたので、合わせて読んでください。

| おばんの病みつき | 09:30 | comments(3) | trackbacks(0) |

おばんの子に育てられ  サンプル その2

おかげさまで(というべきだろう)
男のサンプルには恵まれた。

20年間 一緒に暮らした男は(以下男子と呼ぶ。一般的には弟と呼ばれている)
高校2年生を3回やり、修学旅行に3回行った。
(ネタにしてるが、フィクションではありません)

理由は、こうだ。(聞いたことないから想像だけど)
我が家は両親が超夜型生活人間で、夜中遅くまで起きて仕事していた。で、
子どもも必然的に、体内リズムが少しずつズレてしまったのね。高校になったら急に朝起きられなくなってしまったのか?(私は学校へ行ってたから、よく知らないが)母が何度か起こしてはみるものの、母はその後また寝てしまうので、学校に行ったかと思っていたら、実は押入れの天袋に隠れて寝ていた、なんてこともあったらしい。(笑)

その頃は、「不登校」なんて言葉はなかった。「登校拒否」という言葉の出始めくらいだと思うが、むろんサンプル2には、拒否なんて確固たる意志はなく、学校は大好きなんだけど、ただ単純にからだのリズムに合ってない、ということだったのだろう。
 
結果、午前中の授業が年間通してずっと欠課になり、単位取得できず、留年。
でも学校は大好きだったので、重役出勤で登校し、放課後は満喫していたようだ。(笑)女の子たちにもけっこう人気があって、学校に来ない日があると「タカシくんファンクラブのものですが」なんて電話がかかってきたりした。留年しても、各学年と仲良くしていたのね。修学旅行3回行って、お土産3回もらった。が、当時のシステムでは修学旅行の実績は取得単位に換算されないらしく(今でもだろっ!)
結局高校は卒業できなかった。だから中卒だ。

まあ、学歴はいいとして、朝起きられないというのは、その後の彼の人生に大きく響いているような気がする。PSSもここまで来るとけっこう深刻だが、さしもの太っ腹な母親は、学校の先生から電話来るたびに、「まあ、先生もそうカリカリしないで」とか先生をなだめていたようだった。サンプルその1が
母親としての彼女を鍛えた後だったので、「寝てる」なんて大人しいもの、だったのでしょう。(笑)

どーゆう家庭だ。親の顔が見たい。 って反応は昔からある。
でも、別に責任を回避するわけではないが、親が責任取れる範囲ってどんだけなんだろう?
ってことは、親になってみれば、けっこうある。
本人が起きないものを、高校生くらいになると抱きかかえて連れて行くわけにも行かないし、
こういうケースじゃなくても、こどもの反応って親だからってどうにかできるものではない。
いや、親がヘタに動くと悪化する場合が多い のだ。

サンプル2は、小さい時は丸ポチャで、女の子みたいに可愛かったので、ネッカチーフをかぶせて、
女形にして遊んでいた。私とサンプル1(すぐ下の弟)で「おまえは橋の下から拾ってきたんだ」と
ストーリーメイクして聞かせてたので、信じてしまったらしい。幼稚園の時、家出した。
私はしまった!と自責の念に駆られたが、サンプル2はパトカーに拾われて、ガムをもらって帰還。
一躍、ヒーローになった。(私と弟がうらやましがっただけだけど。笑)
また、橋の下拾われっ子ストーリーを児童よみもの作家の山中恒氏に送って、出版記念会に呼ばれたこともある。

どうもこの男子は、母の兄弟たち(長崎8人兄妹)に見かけも中味も似ている。戦中戦後の混乱期なら、悪いこともたくさんして飄々と生き延びて、その名を馳せたかもしれない。でも、この平和ボケで
去勢された、チマチマしたスタンダード蔓延る現代においては、逆境を生き抜ける飄々は、あまり有用ではない。お悔やみ申し上げる。もちろん本人の志向もあるけど、こうやってスポイルされてる人材ってけっこうあるような気がする。

日常そんなに密接に関わっているわけでもないのに、叔父や叔母に気性が似ている、というケースは思い当たる人も多いのではないか。父親や母親の兄妹の影響って、私たちが思っているより実は大きい。血縁の恐ろしさってヤツだ。(笑)
でも身内にこんなヤツがいる、という親戚内の笑い話が、四面楚歌の状況では、大きな救いになったりするものだ。豊富なサンプルが 親子を救う のです。

人間は希少性を排除し、差別する生きものだ。特に島国単一民族(?)の日本人はそれが甚だしい。
自分の中のサンプルをいかに増やすかは、人類史の課題だ!
と思って、自分の子に望んでほしい。(あんまり救いにならないか 笑)

| おばんの 子に育てられ | 08:36 | comments(4) | trackbacks(0) |

音楽の話をしよう♪ その8 山と 心もよう

吉祥寺の大学に入ってからは 体育会のワンダーフォーゲル部(山歩き)に入ったせいもあり、音楽が遠かった。家が下北沢から多摩川の川向こう、生田に引っ越して移動時間が格段に長くなったのに、まだウォークマンもないし、もちろんipodもないから、モバイルで音楽は聴けなかった。体育会は週に3日吉祥寺から善福寺まで走ったり、その後ミーティングがあったりで忙しく、毎日のスケジュールをこなすのがせいいっぱいだった。

中学の親友ミッコの紹介で、下北沢のバンガロールという、小さなカレーやでアルバイトをしていた。
まだ、本多劇場も駅前劇場もできる前の下北沢南口。駅の階段を下りたらマクドナルドがあって、
(マックは中学の時にできて、けっこう大事件だった 笑)そのまま八坂神社の方へ下る道をすぐ右に入った袋小路。ちょうど駅のホームから見える松山ビリヤードの裏手だ。住んでる人間でも気づかないほどの間口で、4人がけのテーブル1つと2人がけのテーブル、あと3人座れるカウンターで満杯になるくらいの小さな店だった。(今はもうない。バンガロールのチキンカレーとポタージュは最高に美味しかった。この話は長くなっちゃうから、別に書くね。)
 下北沢駅前再開発 断固反対します! 街の空気が 人間を作るって、わかってない! 
店の有線で流れる音楽とラジオが、この時代の私の(無選択の)バックミュージックだった。

ワンゲルは、ほぼ毎月 山へ行く。普段は夜行日帰りとか2泊3日の山行だが、夏や春の合宿は10日位山から下りない。毎日気象係が、気象情報を聞いて天気図を書くから、ラジオだけが巷の頼りだ。山の上のテントで、いつも井上陽水やユーミン(荒井由実 今は松任谷由実)が流れていた。一つ上のオオシマ先輩が陽水が大好きだったから、彼の生歌だったのかな?(笑)
ともかく山の上でも、カレー屋でも、時代は陽水とユーミンだった。

「中央フリーウェイ」はすっ飛んで行ける気がして好きな歌だが、ユーミンの鼻から抜けるような声は腑に落ちない。それなら弟がよく聴いていた大橋純子の伸びやかな声の方が好きだった。

陽水は、歌詞が新しくて、メッセージ性も強かったのに、なぜか居心地が悪かった。「氷の世界」「傘がない」はイライラした。中学生の時フォーク集会をやって岡林信康や高石友也を歌ってたのに、陽水のあの居心地悪さはなんだったのだろう。誰か教えてほしい。

でも「心もよう」は、切なかった。ちょうど19で、高校の仲良しだった連中はみんな浪人してたから、なんか微妙に噛み合わない。大学もけっこうお嬢様おぼっちゃまの大学で、自分を大学へと駆り立てていた気持ちのベクトルと、実際の生活が噛み合わないまま、なだれていく気がした。
トラッドのスーツ来てる女子大生が多い中、わらぞうり履いて、破れたジーンズ履いて、通ってました。 一人で新宿のDIGとか下北沢のマサコとか行ってた。 山に登ってる時と、ジャズ屋のCozy cornerにうずくまっている時が、一番落ち着いた。

陽水は、もっとずっと後になって、「いっそセレナーデ」や「新しいラプソディ」のあたりから、好きになったよ。(歌っている顔を見なければ、だけどね 笑) やはり、時代の通層低音に流れていた音楽は、
好むと好まざるとにかかわらず からだの中に蓄積されているのかもしれない。ゴールデンベスト出た時、誕生日に娘に買ってもらった。 「長い坂の絵のフレーム」 私の一押しです。 泣いちゃう。
  
ワンゲルは山好きのローカルな方が多かったので、アットホームでした。うちらの同期は女子が5人もいた!ので、5人囃子とか言われて、かしましく楽しかった。男子も5人いたから、絶滅の危機がささやかれている今からは考えられない黄金期だったのかもしれない。25〜30kgのキスリング(テント地で作られた重たい横長のリュック)かついで10日も山に入るなんて、今時 流行らないよねぇ。
今、山は中高年ばかりだって聞くし。(笑)

山の歌は、よく歌った。山の上にはテレビも何もないから、自分たちで歌って踊るしか、娯楽がないのよ。下山後の打ち上げでは、バカみたいにお酒飲んで、ヤストさんていう先輩が 「アルプス一万尺」を 踊るのが 定番だった。うたと踊りは 人間の芸能の原点だ!ってその時悟った。(笑)

先日ワンダーフォーゲル部の50周年!なんて式典があって、卒業後初めて大学に行ってOB会にも初めて参加した。(そーゆーのキライだって言ったでしょ 笑)
マメな幹事くんが 山の歌の歌集を作ってくれて、先輩たちのギター生演奏で歌ったのだけど、なつかし〜♪ いい歌がホントに多いのよ。私は「北帰行」が好きでした。
 窓は〜夜露に濡れて 都すでに遠のく 北へ帰る旅人一人 涙流れて止まず〜 

上州武尊に単独行もした。避難小屋に一人で泊まって、サンテグジュペリの「人間の土地」読んでました。今考えると、女の子なのに恐いもの知らずというか(冷や汗)
北海道大雪、九州阿蘇、沖縄西表、越後守門、北越雨飾・・・今でも 思い出す。
風景が 私をつくってる、と感ずる。いつか山について話そうシリーズ 書こうかしら・・・


附記
ユーミンのデビュー年を確認するために、wikipediaを見ていたら、荒井由実は中学の頃、六本木のイタリアンレストラン「キャンティ」に出入りしていて、そこで出会った村井邦彦に勧められて、歌手デビューした、とか書いてあって、「えっ?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」って フリーズした。

それを読むまで、まったく私の記憶から落ちていたのだが、私も大学の時、たまたま父に連れていってもらった 「キャンティ」で出会った K氏(店のオーナーの息子?)に、どういう話の流れだったのか、私の友だちで歌のいい子がいるから、とかなんとかスーさんのデモ・テープを聴いてもらうことになって、後日スーさんと K氏のプランニング事務所を訪ねたのだ。

さらに辿っていくと、K氏は、村井邦彦と一緒にアルファー・レコードを設立とあった。

村井邦彦は「赤い鳥」の「翼をください」を作曲したヒットメーカーで音楽プロデューサーだ。
このまえ「たけしの誰でもピカソ」で、1960年頃から、それまで日本のヒットチャートを占めていたPPMやボブ・ディラン、ビートルズ、カーペンターズといった洋楽が消えた理由について、
1945〜1952年まで、米軍の占領下occupied japan だった日本は、ともかく欧米の文化が憧れだったが、次第に高度経済成長の中で、ユーミンみたいな日本の歌なんだけどカッコイイ、それに憧れる、自前の憧れを作れるようになってきて、洋楽が Fade out していったんだよ。 
と話していた。ちょうど私もこのシリーズでビートルズやPPMで育った話を書いてた時だったので(9月16、17、19、日の記事)妙に納得して聞いたばかりだった。その時まで、村井邦彦という名前も顔も知らなかったんだけどね。

アルファー・レコードは荒井由実、YMO(坂本龍一、細野晴臣、高橋幸宏)カシオペアなどを世に送り出している。スーさんを売り込みに行ったのは、彼女が1年遅れて、私と同じ成蹊大に入学して、私が彼女をJAZZ研に連れて行った75年か76年だろうから、ちょうどアルファーレコードがユーミンの「卒業写真」や「ルージュの伝言」が入った3rdアルバム「COBALT TOUR」を出した年だ!

ガガガガガガガガガガガガガガガガガ〜ン!
まったく知らないで、ドンピシャ、ピンポイントに スーさんを売り込みに行ってたんだ!
コワイもの知らずっていうか・・・知らないって・・・・・スゴイ。(冷や汗)
K氏と新人女優とのスクープで、スーさんのデビュー(?)が立ち消えになった話は前にも書いたが、
・・・・運命って・・・・・・・

まあ、そこでメジャーに食われなくてよかったんじゃない? と もと音楽業界のゼンセイに言われた。
ゼイゼイ・・・・・そうですね・・・・・・

こうして紆余曲折(この後の紆余曲折は、そのうちスーさんにインタビューするね)
ジャズ・シンガー 鈴木道子が誕生しました。  ・・・・チャンチャン♪
私が今まで知らなかったんだから、スーさんはまったく関知していないと思うけどね。  アハ ハ









| 音楽の話をしよう♪ | 10:20 | comments(5) | trackbacks(1) |

合唱フェチ ♪

何を隠そう (隠してないが) 合唱好き♪ である。

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3人の子どもの小学生の歌声発表会から、中学、高校の合唱コンクールまで、通算18年、欠かさず聴きに行った。全学年、全クラスをビデオに撮ってある。(腱鞘炎になる程だったので、夫が一脚を買ってくれた)それを帰ってから家族全員で見て、全員で講評して(笑)、さらに何人もダビングしてあげてきたので、毎年この時期は、からだの中がすっかり合唱モードになってしまう。誰が何年生の時の
どのクラスのあの歌が良かったとか、家族全員がデーターバンクを共有している。我が家にそうした歌声イベントのある中学生、高校生がいなくなって7年経つ今でも、パーティの子たちの合唱にビデオを抱えて馳せ参じる。先週、湖北中の合唱コンクールに行って来た。今高3のサヨ以来、3年ぶりだ。

今の中学3年生は、小6の時、ねもとパーティに参加していた男の子が5人、キャンプに参加してくれた子も含めると8人もいる。小5で「山男の四月」をやっている時、ゴローが友だちを連れて来たのだ。

そもそも小5になって男の子が、この説明しにくい活動に友だちを連れて来るってことが驚きだったが、ついて来た子たちがけっこう楽しんでるのも驚きだった。ウチの息子は、サッカーの友だちにものがたり文化の会を説明するのがイヤで、発表会でサッカーを休む時、親戚の葬式に行くと言っていたからだ。「1年間でもいいから入って。男の子は群れで育つから」とゴリ押ししておいて申し訳ないが、まさか4人も入ってくれるとは思わなかった。(笑)
この世代の親が、いかに文化的感度が高いかを示している。

もっと驚いたのは、この男の子たちの、まったくマイナス方向に向かわないエネルギーの出し方だ。
少年野球のチームでがんばっている子が多かったし、他にもたくさん習い事をしていたが、淡々と、大した抵抗なく、どれにも集中できることは、私のそれまで見てきた男子とはまったく違っていた。
こんなロスのない男の子たちは初めてだ!  彼らと一年かけて作った『かしはばやしの夜』は楽しかった。(私はマイナス方向だろうがエネルギーの出量は同じだと考えているが、それは おばんの子に育てられ コーナーで別に書く)

どのクラスもレベルが高くて、び、びっくりする。3年生の課題曲、アカペラの「学生歌」も、男子の声が充分に響いて、女子と拮抗し、ほんとうにきれいだ。選択合唱のレベルの高さもハンパなかったから、音楽の先生の力が大きいのだろう。でも、やはり4年前に、私を驚かせたロスのない男子の集中が、全体を大きく引っ張っているのかもしれない。合唱は、クラスの雰囲気や子どもたちの空気を如実に反映する。「いい顔」「いい声」「いい心」なんて言ったって、ほんとにみんなの心に火がつくまでは、どこのクラスもけっこう大変なんだ。だからこそ、このハーモニーに 心打たれる。

先週 学校帰りのチューヤに会った。「合唱 何やるの?」と聞いたら 「指揮」 と答えた。
え!チューヤが指揮! しかも歌うのは「むぎや」だという。うちの息子も高校で歌った。富山 五箇山の民謡だ。だから今日は聴きに来たんだ。
チューヤのちょっと恥ずかしげな指揮に、すばらしいジャントコイが響く。やるじゃん、チューヤ!
生徒会長えんちャんの姿がりりしい『海の匂い』。私の大好きな歌だ。歌に描かれた風景、後からでもいいから、日本のどこかで 出会ってほしい。わお、よっちゃんもすっかりかっこよくなっちやって!わからなかったよ! 『若返りの水』 こんなむずかしい歌を よくここまで歌いこなしているなぁ。まるで、アニメーションを見るように歌の情景が見える。女の子たちの笑い声の元気なこと。キャァ ゴローとネモチョ、かっこいい! おい、歌じゃなくて男見てるんじゃないってアヤカに言われそうだ。
わお、このクラスはキャンプに来たジマとユタカとヨースケがいるよ! 

 広がる空に 僕は今 思い馳せ

ピアノの前奏に 滑り出す女声コーラスに、男声が静かにかぶる。
え? この曲・・・ 鳥肌が立つ。
 
 色のない世界 不確かなものを 壊れないように 隠し持っている
 
指揮者の手が上がると、つられてこっちの首が伸びる。指揮者の手が大きく開くと、その指先から、目に見えるように拡がるハーモニーに、瞬間 首筋からてっぺん、肩から足先、2方向にぞわっと血流が走るのがわかる。ほんとに、自分が この若い混声の波の中に放り込まれたようになる。

 僕らの出会いを 誰かが 別れと呼んだ 

歌の力だろうか。若い声の力だろうか。
あまりのハーモニーの美しさに、涙が溢れる。ビデオ撮ってるのに、鼻をすする音が入ってしまった。さらに家でそれを娘たちに見せてて、また泣いてしまう。 ボロ泣きだ。
「アハハ、いいよ、おかあさん。 いいと思うよ」カナに笑われた。

後で プログラムを見たら 森山直太朗の 『虹』 だった。

あれだ! 今年の春、NHKの春歌で 森山直太朗 を丸く囲んで中学生の混声が流れた時、今まで聴いたことない歌に、震えた。 このCDほしい! 探してきて! と娘に頼んだものの、
その後一回もテレビで流れたのを聞いたことがない。夏までリピートされてた『さくら』のことを思えば、どこに埋もれているんだろう、あの歌は、と思っていた。ずっと探してたんだよ。こんなとこで出会えるなんて。中学校の合唱曲用に書かれた曲だったんだ。

審査結果も 私の体感と同じ(同じでない時もある)  『虹』 が最優秀賞を獲得した。

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そして、全体合唱 『大地讃頌』が響く。

こんなにたくさんの 歌うことの好きな中学生。
ずっと ずっと 歌い続けてほしい。
学校の伝統だから とか 言われなくたって
何が大事か たくさんの歌の中で
充分つかんでいるよね。


うた に対する 私のこの偏執はどこから来るのだろう。個人的に探りたくて「音楽について話そう♪ 」シリーズを書いている。自分でも、合唱に対する熱狂は、フェチとしか呼びようがない。
(まあ、サッカーでも高校野球でもこうなんだけどね 笑)

ホントはね、年明けに発表会を抱えているので、歌声に浸ってる場合じゃないんですよ。(汗) 
でもせめて ウチの発表も、みんなの心に火がついて、伸びやかな声を出すところまで
辿りつけたらなぁ・・・って、合唱を聞くといつも思う。
| 音楽の話をしよう♪ | 21:15 | comments(2) | trackbacks(0) |

おばんの子に育てられ  サンプル その1

おかげさまで(というべきか)
男のサンプルには 恵まれて育った。 

人間をサンプル扱いしてヒンシュクものだが、宮沢賢治作品に多く親しんでいると、
たかが生物の1種類であるヒトが、こんなにもはびこってしまったための勘違い、
は かなり オカシイ。
「人間偏重主義」に疑問を持って、ヒトも生物の1標本 と考えると けっこう発想が転換するヨ。

22年間一緒に暮らした男は
(以下、男子と書く。これは一応子育て支援のページなので、何かの遍歴と間違われては困るから。)髪はクルクルパーマで、目は寄り目で、何年も口をきかなかった。

小学校に上がると、口でうまく言えない分 からだを使った過激なパフォ−マンスに出て、
父のところに来たお客に、いきなりツバを吐いたり、弟とケンカして血を見るバトルもあった。

一緒にニコニコ写ってる写真も残されているから、仲が悪かったわけでもないようだが、
私的には理解不能な部分が多い男子(弟と呼ばれている)だったので、
微妙に距離を置いていた。

父親もまた困ったサンプルで、いつもはまったく不在、母子家庭同然なのに、
たまに家にいる時には、急に父親ぶろうとして、
件の男子を、自分の着ている着物の帯でぐるぐしばって、押入に閉じ込めたりしていた。
どーゆう家だ? こどもながらに、この対応はマズくないか?って思っていた。

サッカー好きの母は、男子を読売サッカークラブに入れ、
彼の行き場のないエネルギーをサッカーで使い果たさせようとした。
(のではないかな? これは想像)

しかしサッカーだけでは、まだ有り余るエネルギーの持ち主だったらしい男子は、
高校に入ると暴走族に入り、○○参上!とか壁に書いて、パラリヤパラリヤやっていた。
(のではないかな?現場は見てないのでこれも想像)
髪はリーゼント、ヤンキー座りで、絵に描いたような マー坊でした。(笑)

しかも、このブログの音楽について話そう♪シリーズを読んだ男子から書きこみがあって、
なんと、私の行方不明の愛盤レコード、遊ぶ金欲しさにこの男子が売ってたらしい。
今まで、知らなかった。
うう、なんてヤツだ!

一応大学には入ったものの、「入学したのが間違いでした」と学長に手紙を書いて、すぐ自主退学。
しばらくトラックの運転手をしていたが、ダイヤモンドを掘るとかで、ブラジルへ渡った。(笑)

そんな時、父の実家、仙台の味噌屋を継いでいた叔父が、亡くなった。
長男のくせに味噌屋を継がずに東京に出た父は、自分を棚上げして、
「ここで先祖代々続いた老舗ののれんを降ろすのは忍びない」とか言って、
ブラジルにいる男子に 「後を継いで 商売をやってみる気はないか」 と丸投げした。

「人の下で働くのは性に合わないから、いっちょやってみるか」 と男子は日本に帰国。 
老舗ののれんと莫大な赤字を引き継いだ。

男子は孤軍奮闘。 旧態然とした 殿様商売を大整理、1年で大赤字を黒字に転換し、
味噌屋の権利は 古くからの従業員に譲り、 その間に取ったITの資格で、 起業した。
だから、今では、ITコーディネイター会社の社長だ!(社員1人。儲かっているかは定かでない。)

このサンプルから学んだこと →暴走族でも 社長になれる!  なんちゃって。

でもこのネタはけっこう子どもたちに受けている。

先日もパーティで話し合いをしてたとき、
小6のシホが さんまのテレビで 暴走族がホームレスのおじさんに感謝された話をしてたので、
うちの弟も暴走族だったけど、今では会社の社長だよ、と言ったら、
「え! 先生の弟 社長なの? 」とすっごくビックリして、すっごく尊敬された。(笑)
人間、紆余曲折こそが 生きる力になる。

このサンプルから学んだこと その2 →
男子のエネルギーは、理解不能。
 説明がつかない。
 


一姫二太郎は、子を持つならば「一番目は女の子で、二番目は男が良い」ということだが、
母親的レベルで言うと 一太郎二姫の方が絶対いい。
(まあ、こればっかりはしょうがないけどね)

若くて体力あるうちに「男」と対決しないと、へばる。
男は 女の母親のそれまでの経験値では計れない挙に出る。

うちのパーティのお母さんミチコちゃんも、三姫の後に一太郎に恵まれ、
三人もの子育ての経験がまったく生かされない
想定外の一太郎クンの行動に、へばっていた。(笑)

長女の私が、親を甘やかしたので、
母は、二太郎のエネルギーにはかなり辟易していた。
しかし、母は長崎8人兄弟で、
今じゃありえないような男子のサンプル5人に囲まれて育ったので、
そんじょそこらの母親よりは太っ腹でしたね。

たくさんの理解不能なサンプルを知っていること
=経験値だけが あなたを救う。
 

 のです。ホントだよ!
| おばんの 子に育てられ | 07:54 | comments(4) | trackbacks(0) |

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