なんだよ〜!! またPK?? 自分で決めろよ! (怒) (サッカー アジアカップ)

今週はキャンプの竹の切り出しやら、次の原稿の取材やらで、新しい記事がアップできなかった。
25日のアジア・カップ準決勝 対サウジ戦の日に、
私のサッカー応援キャリアについて書こうと思っていたが、気分が萎えた。
絶叫と罵倒も、娘に任せた。
日本代表、
 オバサンの熱中を持続させる試合しろっ! 


私はサッカー少年の母歴10年なのに高校野球好き と「高校生フェチ」の記事で書いた。
が、母がサッカー好きだったために、また弟がサッカー少年だったために、
私のサッカー観戦キャリアはけっこう長い。

小学生の頃、国立競技場で、釜本の試合を見た。
なんの試合だったのだろう。 メキシコ・オリンピックで銅メダルを取る前だったのだろうか。
もちろん リーグなんてないから、日本リーグのヤンマー戦だったのかな? 
小学生の時から読売サッカークラブに入っていた弟に見せるために、
母に連れて行かれたのだろうが、
あのパンツピチピチの色黒で目玉ぎょろっとした「カマモト」は一時私のアイドルだった(笑)

弟はサッカーの神様ペレが来日した時、読売クラブで指導を受けたのではないかな?
今でも老体にムチ打って、仙台でサッカーをやっている。らしい。
息子ももちろんサッカー少年だ。

さて、今夜はアジアカップ3位決定戦。対韓国戦。
国民性の違いがくっきり出るので(キムチを食べてるかどうかの差だ!)
悔しいが好きなカードだ。

そうそう、2002年ワールド・カップの年に、
大分ものがたり文化の会「薄荷水」に送った原稿を思い出した。
薄荷水の会は、大分のテューターやお母さんたちの勉強会。
宮沢賢治作品の研究や朗読、白いうた青いうたのコーラスで毎月集まっている。
毎回ていねいな報告を送っていただいて、その楽しそうな勉強会の持続にはいつも感服する。
「お勧めの本」コーナーに寄稿したものだが、ちょうど、今の気分にも合っているので、
大分の許可を願って、転載させていただく。

私のお薦めの本 『ターニングポイント』金子達仁 幻冬舎文庫

 10年近くサッカー少年の母をやっていたせいか、
娘の名前で応募したら 家族全員のチケットが当たり!
 リーグの開幕戦に行ったことがある♪ せいか、
2002年の我が家もワールドカップに燃えた。

「なぜ人は熱狂を求めるの?」と総会でNさんに問われたが、
スポーツにしろ音楽その他のパフォーマンスにしろ
「人を熱狂へとつき動かすものは何か」にはずっと興味がある。

だから?というわけではないが、
ワールドカップが終わっても高校野球地区予選、こどもたちの大会応援と
私の熱狂は醒めやらない。

スポーツと受験が 親子を熱狂へ巻き込むわかりやすさは、
テューターをやっていると本当に羨ましい。

狂騒的な練習。 有無を言わせぬ動員力。
そういうものに少なからざる不満を持っていたとしても、
勝負という熱狂には 自分も含めて 親子がなんなく呑まれていく。 うらやましい。

応援したい!と 自分を突き動かす昂奮が約束されている。
集中するこどもたちの顔を見るのは至福だ。
集中の果てのこの瞬間をこどもたちに持ってほしくて、 私だってパーティをやっている。
「勝敗」という仕掛けなしに人は熱狂できないものだろうか。
といつも思ってしまう。

しかし過酷な練習と ひたすら指示に従うことを余儀なくされた 長い拘束の後に
パーティにくるこどもたちは(週に2時間なのに!) もはや消耗している。

もう充分。 自分たちを 内側から突き動かすものがないのなら、
さらに厖大な指示に従わせることになんの意味がある? 

集中してあんなに一生懸命な瞬間を持っているなら、
全部にパーフェクトでなくてもいいではないか。 といつも思ってしまう。

だからダメなんだ、私は。
「ものがたり」と「文化」、 かくも成りがたき宿題を出した谷川雁さんの挑戦を思う。

にわかサポーターとなった中2の娘が 次々スポーツ誌を買ってくる。
初めて手にしたナンバーという雑誌で 金子達仁というライターを知った。
あの宮城でのトルコ戦の後、 日本はあの戦い方の 何を精神的支えとして次に進めばいいのか、
その夜の韓国の戦い方と比べて書いていた記事が
私の思いと同じだったので印象的だった。

『ターニングポイント』は 金子達仁が初めてスポーツの枠を超えて
各界のスターにインタビューした記録である。

平尾誠二 元ラグビー日本代表監督 
「サッカー、ラグビー、バスケット、ハンドボール、アイスホッケー・・
いわゆるゴールを奪うスタイルの競技って、日本人は全部弱いんですよ。(略)
判断力が弱いから。

日本の社会って、常に上の人間がどうするかを決める 意思決定型の社会でしょ。
学校では先生が、 会社では上司が、 これからなにをするか、どうやってやるかを
みんな決めてしまう。
そやから、日常生活で、一人ひとりが独自の判断で行動せなあかん場面て、
外国なんかに比べると少ないと思うんですよ。

でも、ゴール型のボールゲームは、
ボールを持った人間が瞬時に判断を下していかなあかん。
そういう習慣のある奴が集まった集団と、ない奴が集まった集団。
戦ったらどっちが勝つか、結果は見えてますよね。」

野田秀樹 劇作家、俳優
「この間ね、若い子を集めて 来年の新国立劇場でやる芝居の オーディションをやったんですよ。
そしたら、とにかくみんないい子だった。
僕が大きな声を出してくれって言うと、必死になって大きな声出すんだもん。
こっちが頼んでおいて 矛盾するようだけど、 僕が俳優の立場で同じことを言われたら、
絶対に 物凄く小さな声でしゃべると思う。
でないと、みんなと一緒になっちゃって アピールできないじゃない?
自分からなにかを仕掛けるクセがないっていうのかなぁ、
凄く無防備な素直さみたいなのを感じる」


「勝敗」という仕掛けではなく、 「挑戦」という仕掛けを自分に強いている 
トップランナーたちの言葉は 身に沁みた。

「ワールドカップは戦争だと、金子さんは折りに触れて書いている。
僕もその言葉は真実だと思う。
軍隊が戦おうが、サッカー選手が戦おうが、 その背後に自国の勝利を祈る国民が存在する限り、
それは言葉の正しい意味で まさしく戦争なのだ。
そしてあらゆる戦争がそうであるように、 戦争というものは残酷なくらい正確に、
それぞれの社会の姿を反映してしまう。
社会の意思決定システムから 若者の心のあり方といったディテールにいたるまで・・
金子さんが愛情あふれる筆先で描き出したのは、
そういう意味で、現代社会の赤裸々な実像だった。」 
(解説 石川拓治)

「28年目のハーフタイム」「決戦前夜」他、
サッカー日本代表のドキュメントも合わせて読んでみてください。                                   (以上 薄荷水より転載)

ぐぁあああ、28日のうちに おばんのゴリ押し 本「ターニング・ポイント」のタイトルで
アップするはずだったのに〜 延長戦の末、またPKかよっ。
しかもサドンデス(疲れる 汗)やられた・・・・記事も おばんの歯ぎしりに差し替え・・・だぁ・・

今日は参院選投票日。日本のターニング・ポイント。
社会の意志決定システム、若者の心のあり方・・・
一人一人が独自の判断で行動する社会と戦い方。 しようぜ、日本! 
| おばんの歯ぎしり | 00:28 | comments(3) | trackbacks(0) |

「超」機械オンチの  朗読録音 トホホ日誌

ものがたり文化の会芸術祭は、宮沢賢治童話の手作り絵本と、
こどもたちによる朗読テープ(またはCD)を出品する。
手作り絵本『ざしき童子のはなし』はなんとか完成した!
http://kankarakan.jugem.jp/?eid=173
が・・・ こどもたちの朗読テープは、難航を極めている。

何度も書くが、私は「超」がつく機械オンチである。

「機械は人間が指示したことしかやらない。力でねじ伏せようとしてもダメだ」
と いつも 我が家の IR氏に 言われているのだが、
パニックになってアチコチ押しまくるので、機械の方が音を上げて、こわれてしまう。(スマン)
ほどの機械オンチです(汗)

でも、私だけじゃないのね。
機械の 初歩的な使い方がまったくわからないために、パーティ丸ごと、トホホな徒労をくり返し、
朗読のテープの完成はいつになるのやら・・・

 5月12日 最初の録音
新しくできた けやきプラザの録音室を 初めて借りる。

え〜? 機械はどこ?
これかな?
なんか「1億円 入ってそうな箱」と あるくん。

たしかに(笑)
こんな録音機械初めてだ(不安がよぎる)

え〜、まったくつながらないよ。どうやってやるんだ?

え〜ん、あるくんのパパがいればなぁ!
プロ級の作曲家&ミュージシャン&エンジニアなのに〜



管理のおじさんに来ていただいたが、よくわからないみたいで、
まったく マイクにつながらない。
時間だけが過ぎて行く・・・


せっかく3グループ合同で、遠くから集まったのに・・・意味ない。

機械がつながるまで、 『ざしき童子のはなし』 朗読練習しててね。
早くも1時間半経過・・(汗)



やっと つながったぁ!
ハイハイ、マイクの前に スタンバって!

結局 6時に集まって、録音開始は8時半すぎ。
8時45分には、お片づけの 音楽が流れる。

今日は1話=14行! しか 録れなかった・・・トホホ
3ページ半の短編なのに・・・先が思いやられる・・・


070531_1548~01_0001.jpg5月26日 合同録音 2回目。

今日は3年前の『なめとこ山の熊』の
朗読録音で使った 新木の録音室。

でもここで、新たな問題発生!

前回のけやきプラザは、さすがオープンしたばかりで機器も新しく
MDでもCDでも録れる。

編集担当のアヤカが編集の簡単なMDにして!と
MDを買いに走ったのだが、

ここの機械は・・・ 
カセット・テープ だけ でした。(嘆)

音響、録音関係の 技術の進歩は よいとして(よいかどうかもわからんが)
その度に再生、録音機器のリニューアルを迫られるコッチの追いつかなさは、ハンパない。
(そもそも CDとMDの区別もわからない。 爆)

我が家に大量にあるカセット・テープ(の貴重な記録)も、
テレコ、ラジカセの絶滅危惧状態を考えたら、ただのゴミの山になってしまう。
いいのか。そういう、人間を置き去りにした技術革新!
(って、置き去りにされてるの 私だけ?)
 
                            この日は、絵本の作業と、げんきフェスタ用のプロジェクターのテストと同時進行でしたが、
和気あいあいと作業は進んだ。

が・・・・・ケイコちゃんにわざわざ持って来てもらったパソコンとプロジェクターもうまくつながない。
うちのパソコンもつながらなかった。

結局フェスタでのこどもたちの絵の投影企画は取りやめにした。
機械、言うこと聞かないからキライだぁ(涙)



ここで新たな問題発生。

みんな 静かにして!スタート!
と キューを入れた途端、
静けさの中で プ〜 っと 誰かさんの お○○が・・・(笑)

おかげで新人の リョウタローくん、笑いのドツボにはまってしまって
自分の番が来ても 吹き出してしまって まったく読めない状態。(笑)
テイク5くらいまで録ったけど NG×5で使えないので 後日リテイクとなった。

結局8時45分にお片づけの音楽が ガンガン流れた後5分で、大きい子たち担当の4話を先に録音。仕事帰りに駆けつけたユウコも録音に間に合って、パニクった様子もろとも収録した。(NG集の方が面白いよ 笑)

しっかし、まだ3話は残った。 
『なめとこ山の熊』なんて長編、どうやって録音できたのだろう と、今さらながら不思議だ。

ほんとはこれにオリジナルの音楽をかぶせるのだ。
他のパーティは音楽入りのCDとか、ちゃんと作っている。 ム、ムリ・・・(嘆)

この後、やり直しリテイクが3回、合同録音に参加できなかったたまちゃんの別録りが1回。
その度に 機械操作とレベル揃えがわからなくて、 レベルがメチャクチャ。

しかも、録音に来られなかったゆうゆは、亀有の亀さんまつりの発表の直後、
トイレであおいちゃんとすみれちゃんにも読んでもらって録ったのに・・・
なんと、私がテレコを倍速設定にして録ったので、
チップとデール(ディズニーアニメ)が話してるみたいになってしまってNG。ごめん、ゆうゆ。(涙)

こうやって、苦労して録音したテープのOK部分だけをつないでいく、地味で過酷な編集作業が・・・
アヤカ一人に委ねられる。
(かわいそうだけど、みんなでやれる作業じゃないのよね。全国の編集者さま、ホントお疲れ様です) 

ところが、リテイク待ってもらってる間に、アヤカがメチャ忙しくなって、集中力切れてしまって、
どうなる作業は!
070722_1018~01_0001.jpg
ラベルは完成してるのに・・・(絵は小6ユウキくんのはしかの子)

こうなったら、機械オンチ返上で、私がやるっきゃない!
人間、やってやれないことはない。
オバサンだって 進化する! 
とにかく なんとか、仕上げなくっちゃ。

というわけで、先週はブログもお休みし・・・・・・・・・・・・・・・・しっかし、操作がまったくわからないな。

なんだよ、このコンポ、頭出しはどれ? 録音ボタンはどれだよ?(汗汗汗)
いろんなボタンをガチャガチャ押してる間に・・・・・・・・・・・あれ???・・・・・無音・・・・・・・

ぎゃぁああ〜!リテイク消してしまったぁ〜!! ・・・・・↓撃沈↓↓↓・・・・・・

| がやがやがやがや | 08:48 | comments(5) | trackbacks(0) |

ぎゃあああああ〜! もったいない! (サッカーアジアカップ  準々決勝)

ぎゃあああああああ〜!
    
   もったいない〜!!
 

ノーベル平和賞 マータイさんの環境標語ではありません。

サッカーアジアカップ決勝ト−ナメント準々決勝 対オーストラリア戦。
ひさしぶりにフルで観戦。 コーフンした(汗)

いや、予選から日本戦は、全部見てるのですよ。
でもあまりのチンタラした試合運びに、 
 「てめえらやる気あんのか!
         パス練習してんじゃない!」
ってキレて
(スミマセン。車運転の時とサッカー観戦の時だけ 若干性格変わります)
ちゃんと見てませんでした。

ベトナム・ハノイでのアジアカップ。
湿度80パーセント。気温30度。 動き鈍くなるのもわかるよ。

それにしても、誰も一点突破しない 優等生たちのパス練習みたいなパス回し、毎度頭に来る。
いいのか、オシム! でも今日の動きは、ちょっとちがう。

前半戦は、上の もったいない〜の大連発。

オイ、マキ〜! なんだよ、エンドー! 
こら、タコ!たこ揚げしてんじゃないっ!
(19番のことを我が家ではタコと呼んでおります。タコなプレイが多いもので)
誰だよ、14番!回さないで、自分で入れろよっ!

ぐわあ〜 徹底的に攻めてた前半に、点入れないんだもん。それ見たことか。
後半、オーストラリアも盛り返してきたじゃないかぁ。
グワアア〜 やられたぁ。 オーストラリアに先制ゴール入れられたぁ〜〜(怒)
だから言ったじゃないかぁ。 ああ、カワグチ(涙)

3分後。 え? タコ? キャァアアアア ファンタジスタ!
やればできるじゃないか、タコ! マツキがスーパーゴールだってほめてるよ。

よしよし、これで振り出しに戻った。
さあ、ここからが勝負。 オイ、また14番! なに、ボケっと見送ってんだよ。
なに?ナカムラ? 2人いるのね。

ぎゃあああ、延長戦だぁ。
自分たちで墓穴掘ってるぞ。 苦しい闘い。 
なんだよ〜マキ、 なんだよ〜エンドー、 なんだよ〜アベ 
もう、もったいなさすぎる〜(歯ぎしり)

オイ、コマノ、おいシュンスケ、なんで止まる?
行け!タコ、押し込むんだ!アブナイ!
なんだよ、ケンゴウ!フライあげるな!
ナカザワ、頭で押し込むんだ。
エンドー、疲れてるぞ〜、 
強く打ってもよかった、なんて言われてるぞ。
行け〜行け!サトー、あげるな!
14番、なんで相手のキーパーにパスあげてんの?
自分で決めろってマツキも言ってるよ。 
ああ、やっと交代だ。 遅いよ、オシム!
070721_2159~02.jpg
ああ〜 オシムがうなだれてる〜、
ピ、PKになってしまったぁぁ。

ウウ、北京のアジアカップの再来か。
あのスタジアムの
すごい日本ブーイングがないだけマシだ。

カワグチ、頼むぜ!(祈る)

ありゃ、オシム、PKは見ないのね。
心臓に悪いよね。

よっしゃあ!守護神カワグチ!

こら、タコ!だからタコって言ってんだよ。

うう、神様。

やった〜ぁ!! 
ナカザワ! 
必殺仕事人!
 
勝ったぁ〜!

070721_2151~01.jpgふ〜 疲れた。(汗)
今日は サッカー好きなカナも旅行で、
1人で騒いで疲れた。(ダンナもいたのですが)
しっかも、それから、お皿洗いだぜ。

今夜アップするため、一日苦戦していた記事は、
急遽差し替え。

スポーツ新聞みたいになってきたなぁ(笑)

 


| おばんの歯ぎしり | 23:55 | comments(1) | trackbacks(0) |

台風一過

 ぎゃああああああ〜! 
070716_1128~01_0002.jpg台風4号 たいしたことなく
房総沖に抜けてよかった〜。
と思いきや、
と、とうもろこしが〜!!!
全部なぎ倒しだぁ〜(涙)
根元に土寄せした方がいいんだけど、と思いながら、
草取りの時間切れで さぼったから 
うう 予想通り(涙)
ス、スマン。 とうもろこしくんたち(謝)


070716_1230~01_0001.jpg人間と同じで、これくらい大きくなれば、
もういいだろう、自分で育て!と
手を抜くとコレだもんね。
風に負けずに ガンバレなんて
声援だけ送って、
やはり 足元固めるまでは 影ながらのサポートが大事ってことか。
人間だと ガンバレって言われると途端やる気なくしたりするけど
まさかそれはないよね?
一本一本起こして 肥料をやり 
土寄せをした。


070716_1239~01_0001.jpg070716_1238~02.jpg
なすとトマトの棚は無事でした。
こっちの方が川べりだったのに、やはり棒で支えてるからね。

070716_1234~01_0001.jpg070716_1246~01.jpg








きゅうりと 里芋は 雨降ってごきげん。 
里芋は 今年初めての挑戦。ボックイのおじさんからいただいた里芋があんまりおいしいので 埋めてみた。


070716_1240~01.jpg

今日は台風一過のお祝いに
枝豆ビールしちゃおうっかな〜♪

そういえばウチの豆好きビール好きお姉さんに、
つい最近
「ねえ、台風一家って 誰がお父さんなの?」
って聞かれて、目が点!

あのね、カナさん、
台風一過は ファミリィじゃないのよ(笑) 

| 川ベリノ畑ニ居リマス | 22:00 | comments(3) | trackbacks(0) |

シソ・ジュース♪

070710_1236~02.jpg070710_1001~02.jpg







シソ・ジュースは、
以前パーティに来ていたナツキちゃんのお母さん
キョウコちゃんに教わった。以来 毎年 作っている。
暑い日には、すっぱくておいしいから
(全然シソ臭くないよ)
ぜひ作ってみてね。

シソはなるべく無農薬のものを。
我が家のは完全無農薬。


070710_2053~01.jpg070710_2125~01.jpgシソをよおく洗って、茎ごと4リットルの水で
10分煮る。



             煮たら、シソを引き揚げる。
             煮汁は汚い 濃い緑色


070710_2124~01.jpg070710_2130~02.jpg砂糖 500グラム
クエン酸 大さじ2杯 を入れて
アクを取りながら さらに 10分煮る。

きれいな 透き通った 赤になります。



070714_0749~01.jpg

ね、きれいいでしょ?
ビンやペット・ボトルに入れて、冷やして
そのまま 召し上がれ。
| おばんのお勝手 | 23:38 | comments(0) | trackbacks(0) |

草! 草! 草!

ぎゃああああああああ〜!!  070626_1652~01.jpg
6月はげんきフェスタの準備と絵本作りで ゆっくり畑に行く時間がなかったら、く、草の逆襲だぁ!(涙)

イ、インゲンは どこ?

これは一番ヒドイ時で、今はもう少しマシです。
こんな写真 恥ずかしくて、ほんとは見せたくないが、
1週間さぼるとコレだ、という
厳しい現実をわかってほしい。(涙)

070626_1645~01.jpgピ、ピーマンが・・

夏は、この草との戦いだ。やっと刈り終わったと思うと、もう前のところが茂っている。
取っても取っても追いつかない。
まるで『シーシュポスの神話』だ。
もう、泣きたくなる。

でもこれは不条理の世界ではありません。
自然の摂理の世界。
植物の生命力には、ほんとスゴイ!
一番エライのは 植物だと 私は思っている。


070626_1646~01.jpgト、トマトちゃ〜ん、ごめんなさい。
これは、まだなり始めの6月末

昔、愛読していた和辻哲郎の『風土』に、
この草との闘いが
日本の農民と西洋の農民の大きな違いだとか
地べたを這いつくばって、毎日黙々と作業する日本人の気質を作ったとか、書いてなかったっけ?

わかる。田の草取りも一番草 二番草って
田んぼに入って 手で取ってたのだものね。
ぎゃあとか騒いでるヒマないでしょ。


070710_0919~01.jpgこのへんにじゃがいもがあるはず。
じゃがいもの木が枯れてしまったので、場所がわからない。
去年は4キロ植えて 60キロ収穫した。

今年も 男爵 メークイン 北あかり
全部で3キロ植えたのだけど、
ボチボチ掘っては使ってるから、計ってない。

070707_1645~02.jpgあった、あった!メークイン発掘
今年は追肥(配合肥料)を控えたせいか、なりが悪く、
いつもより長く畑に置いておいた。
先日、竜角寺のおじさんが来た時、畑を見てもらった。
畑に預けておいても大丈夫、都合がいい日に掘ればいいよ、と言われて、気がラクになっった。
人間、つい、自分に優しい方の言葉に流れるなぁ。

昔は、夏は朝4時に起きて 芝刈り(草刈り)に行った。
山の下草も、前の日に、明日はあそこを刈ろう、と目をつけておく。その芝草を全部埋め込んで 堆肥にする。

ハイ。
忙しいとか、言い訳です。
朝4時に起きてないし、
バアチャンが起きるまで、パソコンやってるし
夜はテレビの連ドラ見てます。(汗)


070713_1210~01_0001.jpg
昨日は 東京の迎え盆。
畑を借りてる 東京のおばちゃん
(亡くなったおじさんの畑だった)に
申し訳ないので せっせと
草を取る。

台風4号 本州直藝か?
大風来たら、せっかく花盛りの
とうもろこし、なぎ倒されちゃうよ(泣)
生活かかってる農家の思いは
どんなだろう、と思う。
(こんな猫の額じゃないしね)

負けるな!とうもろこしくん!
風をかわして 踏ん張ってくれ!


| 川ベリノ畑ニ居リマス | 22:45 | comments(3) | trackbacks(0) |

高校生フェチ (高校野球千葉県大会開幕)

きゃぁ〜! 早く言ってよ! マリンスタジアム! もう開幕してる!

070713_2237~01_0001.jpg朝刊見てぶっ飛んだ。
高校野球千葉県大会が、昨日開幕した。 んだって!
知らなかった!
新聞で今日知るなんて。
私としたことが。
なんたる不覚だ。ガ〜ン!!!

しっかも、初戦で、ケンカシ(県柏=県立柏)がサクラ(佐倉)にコールド負け!?
ガガガガ、クジ運悪すぎだろ(泣)初日にもったいないカード! あるのよね〜、不運な組み合わせ。
佐倉は長嶋の母校とはいえ、県柏も去年はシードで3回まで進んだのに〜。 どうした、キャプテン!
(知り合いではないよ)なになに? 春季大会1回戦で再試合の末 敗退?
う〜ん、死球くらっても点返したのに、春の雪辱ならず か。悔しい。

千葉といっても広いからね。 やはり安房とか長生とか遠くの高校よりは、ご近所の高校、特に知ってる子が行ってる高校には応援のモチベーション上がる。県柏には、ご近所のマーくんや 箱根駅伝に出たイトーくんや 私の高校の同級生たまごちゃんちと イトーくんちの お子様が行ってる。 野球部じゃないけどね。(野球応援のモチベーションにはかなり遠いかも。笑)

そうか。もう、我が家に 高校生がいない!! のだ。それで、今年は例年になくモチベーションが上がらないのね。パーティの第一世代も、高校生はサヨとノリコの2人だけ。第二世代のサキは東京の高校に通ってるから、このトーナメントに入らない。高校生が多かった去年までは、実況中継、学校にいるみんなにメールで送ってたりしてたんだけどね〜(いいのか 笑)

今日はアサヒ(船橋旭)もヒガシ(船橋東)も初戦突破したんですよ!しかも、船橋旭が安房水産にコールド勝ちって、すごくない?どーした!アサヒ。あんなに弱かったのに。これは娘の母校。
船橋東はパーティの子が3人も行ってたし、去年は保育園の時からねもパーにいたヒロが野球部の副キャプテンだったから、アヤカもユウコもエリコもノリコも青葉の森まで 応援に行ったよね〜。
スライディングがアウトで終わったヒロの高3の夏、最後の試合。私も 球場で泣きたかった。

新聞に対戦相手のトーナメント表が出たその日から、千葉版切り抜いて壁に貼って、夜ザーザーの千葉テレビ見て(アンテナつければいいのにつけてないの。よく映らない千葉テレビを見て苦節○年)娘と一緒にトーナメント表に赤を入れてきました。毎年(笑)
070710_1828~02_0001.jpg見よ!この歴代のトーナメント表を!(取ってあるし。どんだけだ?笑)
第81回、第83回って今年が第89回だから、何年前のだよっ。
守備範囲広すぎだろっ!

メンバーが紹介されてる朝日新聞の別刷りもみんな取ってある。ウチの中学の野球部の子たちが、どこの高校でどう活躍してるか、チェックしてた。
センマツで活躍したマツオカとか ナリタで活躍したミムラとか セイブダイで活躍したソウマとか・・なつかしいなぁ。
 
そもそも私はサッカー少年の母(10年やりました)なんだけどね〜。
長女が吹奏楽で地区大会も楽器背負って応援に行くから、私も野球部のお母さんと、船橋、天台、秋津球場へ応援にはせ参じました。いや〜、千葉テレビのダイジェストで見ると、あっという間だけど、あの攻撃までのドキドキした時間がたまらないッスよね〜。吹奏楽は、バッターごとにテーマ・ソング決めてるから、タッチだのサウスポーだのアッコチャンだの、野球部のベンチに入れない1、2年のアホどもが(失礼)バケツで水かけたりして、応援が可笑しいの。吹奏楽のOBもMY楽器持って応援に来たりして、楽しかったなぁ。そうそう、その娘の母校 二松も 今日 10対3のコールド勝ちしたよ!

娘の高校の野球部の応援Tシャツは、紺地に「親に感謝!」って白く抜いてあって、笑えた。
ホント、野球にしろ、サッカーにしろ、どんなスポーツや文化系の部活のコンクールにしろ、君たちを支えたのは、この自分の子が出るかも、というモチベーションだけで応援に馳せる全国のオカン、オトンのおかげですよ。このモチベーションを越える「人を動かす」ものは、いまだ ないな。 
親に感謝! というか 親には完敗! だ。
親も 文句なしに自分を駆り立ててくれる 子供たちに感謝!だよね。少年野球や少年サッカーから、
ずっと応援してきたお母さんが、それがなくなる高3の夏から、熱中ロスになって韓流に走る!
という統計が あるとか ないとか?(笑)

う〜ん、そういえばウチの息子の高3最後のサッカー選手権。センマツに3-0で負けてた最後の10分に、ベンチにいた3年生2人(含む息子)を使わずに、監督は1年生に交代した。私の横で応援していたOBが「信じられない・・先生や1年には来年があるけど、高校3年生には来年がないんだ」
と言った言葉が 忘れられない。

何を隠そう(隠してないか)高校生フェチ=大の高校生好き である。高校野球も高校生サッカーも、高校生クイズも見ます。まあ、中学生も小学生も好きなんだけどね。高校生の、初々しい集中には、いつもやられる。そして メンバーや チームや 高校3年生の回りに起こってるだろうドラマに 毎年泣かされる。
このブログを読んでる人には、私の精神年齢が、高校生のまんまだからだって、バレバレですよね(笑)
| おばんの歯ぎしり | 23:45 | comments(10) | trackbacks(0) |

こんなのが ざしきぼっこ です! 手作り絵本ふろしきぼっこ完成!

070611_1504~01.jpgねもとパーティの力作 芸術祭参加作品 手作り絵本
苦労してできました。
「こんなのがざしきぼっこです!」



またの名を「ふろしきぼっこ」070611_1005~01.jpg
風呂敷も縫ったのですよ。


070608_1934~01_0001.jpg文字を書くのが、いつも大変です。
あれ、書いてないページがあるよ。

アイディアはおもしろいが
形に「つくる」作業は 大変(汗)
絵は4月8日の記事「つくる人になろう」
で紹介したシルクスクリーンです。

070712_2234~01_0001.jpgどのページの裏に 何を貼るか。
一番 苦労したのは、それです。
ページ割りを書いた ミニ絵本。
えりこ(大3)と私の頭を悩ませました。

いよいよ ノリ貼りです。
キンチョーするなあ。間の布も 接着芯を入れて20本 縫いました。


最後の仕上げは、動物看護士のユウコが 
お休みの日返上でやってくれました(感謝!)
作業しながら、動物病院の仕事について
インタビューしました(近日公開します)

ノリが乾くまで たためないので 
部屋中 ざしきぼっこが・・・

うだるような日に3時間
あれ? 先生、仕上がったって気がしないんだけど・・・
ガ、ガ〜ン!
表裏ちがうページを貼ってしまったところがある(涙涙)
もう一度、ノリをはがしてやり直しです。(汗)

やっとできた ざしきぼっこ
ねもとパーティ苦労の結晶です。
秋から、他のパーティの手作り絵本と一緒に全国巡回します。
我孫子では 11月10日11日 新木近隣センター文化祭に
他の絵本と共に 展示する予定です。
見に来てくださいね。



| がやがやがやがや | 22:03 | comments(0) | trackbacks(0) |

無条件降伏 

7月2日 我が家の がばいばあちゃんが 88才の誕生日を迎えた。米寿だ!

今では80才、90才でお元気な方が本当に多いので、米寿といってもあまり珍しくないね。この年齢の方々は、みんな厳しい時代を生き抜いてきた強者揃いで、今でもカクシャクとして、どこの家でも60代、50代の子供世代の方がへたれている。(笑)だって、戦中、戦後を生き抜いてきた波乱の人生に、
中学出マシタ高校出マシタ大学出マシタ就職シマシタ結婚シマシタの私の人生の何が対抗できる? 
というわけで、25年前に同居した時から、戦いを好まない私は 即 無条件降伏。 白旗を揚げたまま、
傾聴に徹してきた。

とはいえ、日常生活の中で、人生に対するリスペクトを不断に伝え続けるのはけっこう難しく、老齢化に伴う要求の高さについていくのも、こうサドンデスになってくると、こっちの息が切れてきた。(汗)
朝から晩まで働きづめで動いてきた母が、最近はからだが思うように動かない分、頭は冴えてるので、
1日に何回も、憂える日本の現状について絨毯爆撃を放つ。

昔は女は14になったら、どこへ嫁に出しても恥ずかしくないよう、親が仕込んだもんだ。私も14で、着物も布団も一人で縫えた。今は女も学校ばかり行って、結婚しても外に働きに行って、家のことも手仕事も
何もしないで、中国人にやってもらっている。日本も滅びるのが当たり前だ。女が日本を滅ぼしたんだ!
原点に還って、女が家を守らなきゃ!


母がクリアしてきた人生を顧みれば、いや、ご意見ごもっとも!ではあるのだが、日本代表女子、私一人マンツーマンで立ち向かうにはけっこう重く、スルーして聞き流さないと身が持たない。(汗)
ごめんね、ばあちゃん。 というわけで、無事に米寿を迎えたことだし、改めてノートもテレコも録ってインタビューしました。(今回は、結婚から終戦までを中心に聞いた。母の記憶があやふやな部分は、軍隊手帳など父の資料から補填した)

母イクは、大正8年、千葉の印旛郡栄町安食竜角寺の農家の4人目、末っ子に生まれた。上の姉、兄と20才以上離れて生まれたので、イクが3才の時に姉が嫁に行き、6才の時には、跡取りの兄の子供(母の甥)が生まれたので、次々に子守りをする。デエモン(屋号)の庭に大きな松の木があって、その下にむしろを敷いて、毎日赤ん坊オンブしながら、村の子たち何人もでママゴトをして遊んでいた。16才の時には、早くに東京に出てほとんど会ったこともない従兄妹の父との結婚を、親に決められていた。兄の代になって、兄の子供も4人になっていたので、3世帯10人の大家族の毎日は気使いがいる。いつまでも家に置いておくわけにはいかないから嫁に行けと言われたという。4才上の姉より先に結婚が決まっていたが、妹が先に祝言をあげるわけにはいかないので、時期を待ったらしい。
農家に嫁がないことが、早くから決まっていたので、野良仕事はせずに、お針やお花を習わせてもらった。軍人の妻として恥ずかしくないよう、千葉に住み込みで家庭見習いに出されたが、働き者でよく仕込まれていると喜ばれ、教えることは何もないと言われたという。

父は、大正元年、同じ印旛郡興津の農家の4人目に生まれた。末っ子だと思ってスエと名付けたら、もう一人妹が生まれたので彼女の名前はトメにしたそうな。昔の農家は総領(長男)以外は、家を出て自分で身を立てるしかなく、向学心の高い父は、田舎では勉強できないと思って、高等小学校卒業後14才位で、風呂敷包み一つで東京に出た。男親の従兄弟で四谷見附で左官屋をやっていた根本家(父は根本ではないが、後でそこの養子になった)を頼って書生になり、そこから早稲田に入学する。ところが、頼りの叔母叔父が亡くなり、後妻が財産持って夜逃げしたため、資金援助がのぞめなくなる。神田の問屋の主人が、おまえは見所があると援助してくれ、しばらく早稲田に通うが20才で徴兵に。早稲田を中退し、郷里に帰って入隊する。(早稲田が専門学校なのか、大学なのか、このへんのことは母もよくわからないらしい)

昭和9年。野戦車砲兵第4連隊に入隊。軍隊は2等兵で入隊し1年で1等兵になるのが普通だが、成績優秀のため抜擢されて、その年のうちに下士官候補生として愛知県の豊橋陸軍教導学校(下士官教育のための学校)に入校し寮に入る。翌10年11月に卒業、12月には伍長に任命され、教導学校の教官になる。(学校附きと軍隊手帳に書いてあるが、それが教官のことなのか未確認)

昭和14年10月、豊橋から3日間の休暇で帰った父と、明日祝言(シュウゲン)をあげようと親が言い出し、急遽仲人を立てて、次の夕方親戚に集まってもらい祝言(結婚式)をあげた。イク19才。スエ26才。今まで、ほとんど会ったことのない相手とのスピード結婚だ。翌日成田山にお参りして記念写真を撮っただけで、父はまた単身豊橋の寮へ。新婚生活はお預けだ。

昭和15年1月、父は寮から出て1軒構えられる待遇になったので、母も豊橋へ行き、晴れて新婚生活が始まる。どこへも出たことのない田舎者で、右も左もわからず不安だったが、父は次の日から富士山に1ヶ月の演習に出てしまい、1人残されてしまう。非常に不安だったそうだ。父には別当が2人ついて、靴を磨いてくれたり、身の回りの世話をしてくれたので、妻としてきちんとやらないと別当の方がましだと言われてしまうと思って必死だったという。父は馬術も教えていて、時々忘れ物があると馬に乗ったまま、取りに帰ってきたらしい。

豊橋は気候も穏やか、魚も近くで取れ、ずっと住みたいほどよい土地だった。ところが昭和15年秋、父は神奈川県座間の陸軍士官学校に入校することになり、豊橋は引き揚げ、母は1人千葉に戻った。10ヶ月だけの新婚生活の後、また別居生活を余儀なくされ、それは終戦後21年まで続く。

父は座間の陸軍士官学校を卒業、少尉になる。と同時に、満州 牡丹江に出征が決まる。それまで家族同伴だったが、直前に家族同伴ならずとなり、昭和16年10月8日 末は単身、門司から釜山を経て、満州へ出征する。真珠湾攻撃の2ヶ月前だ。

大平洋戦争勃発後、「山奥へ演習へ行く」という便りを最後に、主人からの連絡が途絶えた。満州にいるとばかり思っていたのに「シンガポール陥落の日にシンガポールにいる」(昭和17年)という便りで初めて、南方へ移ったことを知る。しばらくは、スケッチ入りの日記のような葉書が続けて届いた(軍の検閲があるので、居場所とか詳しいことは書けない)が、その後、昭和21年6月21日に帰還するまで、生死もわからないまま、父からの連絡は4年間 まったく途絶えた。

母は遺骨をどうしても自分で受け取りたかったので、安食に部屋を借り、お針を教えながら生計を立てた。(軍人の妻はよそに働きに出てはいけなかった)留守宅渡しの給料は、無事に還った時のために積んで、父の帰りを待ち続けた。

父は マル秘のウ号作戦(インパール作戦)でビルマ(現ミヤンマー)から、インド国境まで入っていたが、帰ってくるまで、母は知る由もなかった。

半藤一利『昭和史』に次の一節がある。
昭和18年の末頃から、実はこの作戦(注:インパール作戦)が考え出されています。インパールというのはビルマ(現ミャンマー)の国境線の向こう、山を越えたところにあるインドの主要都市です。常識的には「今ごろインドに進攻してどうするのか」という話なのです。それにビルマ方面軍というのは、ビルマ防衛が本来の任務です。ところがなぜそんな任務が立てられたのか。実は、不利になりゆく戦勢で不人気になりつつある東条(英機)内閣への、全国民の信頼を再燃させるために、という政治的意図がありました。要するに、何かでかいことをやって、功一級の金し勲章をもらおうという、まことに個人的な野望にはじまる作戦であったのです。

日本を敗戦に導く悲惨な戦局の最前線で、副官として砲兵隊の撤退の指揮を取ることになった父は、復員後、厚生省で戦死者の広報の仕事に就きながら、行き帰りの電車の中で、インパール作戦敗退の記録を、200ページの手記にまとめた。未公開の貴重な資料だと思うので、いずれ紹介できたらと思う。




| 明滅 | 09:23 | comments(2) | trackbacks(0) |

Moon light serenade   私とジャズ その3

NHKの「この人にトキメキ!」で綾戸智絵をやっていた。綾戸智絵とジャズの出逢いはフランク・シナトラ、映画の中で と聞いて、妙に納得してしまった。知らなかったけど、綾戸は57年生まれの1コ下。
同世代やんけ。私も映画の中で出逢ってるもん。急に親近感わいた。

綾戸智絵は 私がプロデュースしているジャズ・シンガー鈴木道子(ゴメン!気持ちだけだけど 笑)の
売れ筋対抗馬(スマン!勝手にだけど)なので、よく研究している。
声の奥深さや歌唱力はこっちがイケてると思うんだけど、あの関西弁の弾丸しゃべりと ビートルズやプレスリー、ジョン・デンバー、果てはスマップまで、聞いたことある曲を JAZZYにアレンジして歌うところが、時代に乗っている。と思う。今は親子が仲良しだし、親世代がさまざまな音楽で育っているので、親世代が若い頃に聴いた曲を、今風にカバーすると両世代にヒットする。ストイックなJAZZファンとちがって、私のようにミーハーなオバチャンは、JAZZYなムードを楽しみたいだけなところがあるので、ベストアルバム買ったらけっこうハマってしまった。テレビでも歌ってたけど、綾戸が息子に向けて書いたオリジナルの Get into my life なんか ホンマ、ええわぁ〜♪  

すまん、綾戸は話のツマ、ていうかオードブルなんだ。 映画の話です。
綾戸も親が映画好きで、フランス映画もアメリカ映画も、かぶれていたと言ってたが、ウチと同じだ!
私の母は、すごい映画好きだった。あの頃(私が小学生、中学生の1960年代)はもちろん衛星放送なんてないし、日曜洋画劇場が始まるまでは、ゴールデンタイムに洋画をやることもなかったから、深夜映画。毎晩やっていたのかな。何時から何時だったのだろう。
「チエ、この映画絶対見た方がいいよ。明日学校休んでもいいから見なさい」って、どーいう親だ?!
もちろん、まだビデオなんて時代だから、小学生の生活に合わせて録画しておくなんてできない。
サイナラ、サイナラおじさん、淀川長治の日曜洋画劇場が始まったらそっちにスライドできたから、今調べたら1966年。私が小5か。じゃぁ、小5より小さい子に、深夜映画見せてたのか?!
ったく、改めてどーいう親なんだ!(笑) 夜にメチャ弱く、今までの人生で一度も徹夜したことない(エヘ)爆睡型の私には、かなり迷惑な話だが、おかげでけっこう映画は見た。

『いちごブロンド』 『毒薬と老嬢』 『我が家の楽園』 『スミス氏都へ行く』などなど。白黒の古き良きアメリカ映画。今、wowowでもこういう映画やらないよねぇ。また見たいなぁ。名作だよ。DVDになってるなら、みんな今からでも見て!

それから、綾戸が言ってたフランク・シナトラとフレッド・アステア、ジーン・ケリーのMGMミュージカル。
大好きでした♪  『踊るニューヨーク』 『雨に唄えば』 などなど。
ずっと後で 『ザッツ・エンタテインメント』 を見た時、なつかしいって思えるくらい見てたんだよ。
『ウエスト・サイド・ストーリー』 を劇場公開で見た時、「うわ〜 新しいタイプのミュージカルだ!」って
リアルタイムで思った。小学生にしては、なかなかコアでしょ?(笑)

ネットってたいしたもんだわねぇ。日曜洋画劇場の全放送作品が出てる!
1969年12月 グレン・ミラー物語
1970年12月 ベニー・グッドマン物語
そう。これですよ! 69年なら、もう中学生になって、フランク・シナトラもミュージカルもカスミガセキもレイも通った後じゃないか。どんなに私にヒットしたか、わかる。
特にグレン・ミラーは、『スミス氏都へ行く』で私の 完全理想ヒーローになっていた ジェイムズ・ステュワートがグレン・ミラーで、母と新宿の名画座で見て涙グシャグシャなのに2人ともハンカチ持ってなかった『若草物語』の 私的完全ヒロイン次女のジョー役の ジューン・アリスンがグレン・ミラーの奥さんなの! もう、はじめからごきげんですよ。

この夫婦がいいんだなぁ。(この2人でベイ・ブルースの映画もあったような)
奥さんのヘレンはね、ステキなことがあると首の後ろがピンとなって、髪の毛が逆立つようになるの。
それってわかる! いい音楽聴いた時の、あの鳥肌立つ感じ。
彼女がずっと、その勘で、ちっとも売れない時から、グレンを励まして、あの独特のサウンドを生み出すまで支えてきた 名プロデューサーだったんだ。

グレン・ミラーはトロン・ボーン奏者で、作曲がやりたくて、ニューヨークに出ても、楽団で吹いたり、食えなくて楽器を質に入れたりしていた。楽団もそれぞれ個性を持つべきだ、いつか自分だけのサウンドをみつけたい、と言ってプロポーズしたまま、ニューヨークに出て、2年も音信不通だったのに、何年かして電話1本で婚約を解消させて強引にヘレンを呼んで、その日のうちに結婚した。でも生活のために、作曲の勉強もやめていたグレンに、ヘレンが「自分の楽団を持つべきだ」って進めて、自分の楽団持って、ドサ回りを続けていく。なかなか満足のいくサウンドができなくて、売れなくて、お客もまばら。ある日、トランペットがケガしてしまって、そのパートをクラリネットに編曲してやったら、ダンスホールに、だんだん人が集まって来る。それが、Swingの名曲「Moon light serenade」 

偶然の所産とはいえ、アーティストが新しいものをぶつけた時の、え? ちょっと今までとちがう、
でもなんかいいねぇ! ってみんなが惹きつけられていく。それが、ダンスホールに集まる人の、どんどん増えていく数ではっきり見えた。あのシーンは、忘れられない。

人の心とからだが「なんかいい」って動いていく時の、一人一人の内側に確実にヒットしているもの。その一人一人を納得させる、新しさと質。そうやってたくさんの人の心を動かすものは何なのか って、私はいつも考えている。その原風景が、今思えば、この映像だったんだねぇ。
(『天使にラブソングを』でも 尼さんの新しいゴスペルのサウンドに惹きつけられて 街の若者たちが教会に入ってくるシーン、あるよね)

だから、Swing 好き♪ なのでした。って書いててわかった(笑)
からだが 自由に Swingできる 心の状態 大事だよ。


附記
ダンスホールに人がどんどん増えて行くシーンは「ベニーグッドマン」だよって息子に言われた。そうでした。

| 音楽の話をしよう♪ | 20:30 | comments(5) | trackbacks(0) |

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古谷田奈月 『ジュンのための6つの小曲』

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