2009.11.14 Saturday
圧巻! 鹿踊り(ししおどり) 奥州江刺百鹿大群舞
11月12日 12月みたいな 寒さの中 二重橋まで 天皇即位20周年の 祝賀パレードに 行って来た。
といっても ちょうちん振りに 行ったわけではない。
全国の 祭礼の 御輿や 踊りが 奉納で かなり集まる、
しかも 鹿踊りの 群舞も 出るという知らせが しのぶちゃんから アヤカにあり、
『祭の晩』を やってる 私としては 血が 騒いだ。
ねもとパーティで 2000年に 宮沢賢治の 故郷 岩手花巻を 訪ねた時に、
花巻農学校の 生徒たちが 体育館で 鹿踊りの 練習をしているのを 見せてもらったことがある。
でも その時は 高校生は ジャージで、
その前年 高野パーティが 羅須地人協会の前で 見せてもらった時の ビデオだけで
実のところ 装束をつけた ナマの 鹿踊りを 見たことがなかった。
3年前、戸隠テーマ合宿のテーマで 宮沢賢治童話『鹿踊りのはじまり』をやったとき、
合宿担当の しのぶちゃんが 岩手まで 鹿踊りの 足さばきを 習いに行き、みんなに 伝授した。
その後 しのぶちゃんは すっかり 鹿踊りに 魅了され、
なんと 毎月 金津流石関鹿踊りを習いに 岩手に通っているという。
太鼓フェチ 民俗芸能大好きの アヤカも しのぶちゃんに ついて
鹿踊りの練習に 岩手まで 行ったこともあるので、
「衣装を つけたのは 見たことないでしょ? ほんとに カッコいいんだから! 見なきゃダメだよ!」 って 前夜から はっぱかけられ、急遽 皇居へ 向かった。
地下鉄を上がって、
銀杏並木で 待機する鹿たちを
見た時、
もう 震えが来た。
おお! こ、こんなに?
警視庁音楽隊、カラーガード、
全日本鼓笛バンド・フォームバトン連盟、
東京消防庁音楽隊、カラーガーズ隊
の後に 控えしは・・・
奥州江刺百鹿大群舞(おうしゅうえさし)4流派 100人の 鹿踊り(ししおどり)群舞。
いやあ、圧巻!
太鼓が 腸の底から 突き上げる。
バチが 太鼓の ふちを打つ時の 乾いた音と、
きりっ きりっと 足を あげて 身を 翻す時の ささらが 鳴る音が、
自分の内側を 払ってくれるような トランスになる。
なんか こういう 原始的な 単調な響きに からだを 委ねるって いい!
祭りの日に 通奏低音として ずっと流れている 太鼓の 響き。 それが 子どもや 村人を 突き上げる 非日常は、自治会や 商店街の お祭りでは わかりにくい。
豪華な 山車や、大きな ネブタよりなにより、
なんてったって 鹿が 戦闘的で かっこいい。 震えが来る。
スタートから 終点まで、40分間 ずーっと追いかけて、
沿道の 人垣から 撮影ポイントを 探して 何往復も した。(笑) がくがくだ。
それにしても 天皇の名において 全国から 招集された 奉納は、
しばた台輪(新潟県) ↑
御諏訪太鼓(長野県)、
母ヶ浦面浮立(佐賀県)↑
飛騨高山まつりの森屋台「金鶏台」(岐阜県)
東金ばやし(千葉県) →
刈谷万燈祭(愛知県)↑ 足利八木節(栃木県)↑
郡上おどり(岐阜県)→
佐渡おけさ流し(東京都)
館林八木節(群馬県)
五所川原立佞武多(ねぶた)(青森県) ↓
正調阿波踊り(東京都) ↓
と すごい 揃いぶみ。
おまけに、皇居の まん前では、
日枝、神田、大國玉、熊野を筆頭に、
東京の8神社 10保存会等の みこしが
奉祝の練り歩きを ずっと やっている。
(撮影 あやか 鹿踊りのみ私の携帯)
東北の まつろわぬ民 蝦夷にも 源流があるのではないかと 言われる 鹿踊りが
天皇に奉納されるのも どうかと思うが、
テレビのニュースは もっと どうかと思う EXILE と 提灯や旗を振る 映像が中心で、
あんなに たくさんのカメラが回ってたのに、奉納芸能も 編集段階で ほとんどカットされたようだ。
放映されなければ 無きに 等しく、
みんな 仕事休んで 青森や 岩手から せっかく来たのに ヒドイ!
と テレビのニュースを見て 憤慨するあやか。
交通費、 装束の輸送費は、 個人負担か、地方財政負担か、それも貢納というわけか。
しかも テレビで見たら パレードの時間、当の お祝いされる両人は、
ニコニコして 政府主催の 祝賀会に 出ていて 皇居には いなかった!
アハハ まさに 象徴に みんな 奉納したわけだ。
誰でも 与えられた機会と任務を つつがなく まっとうしようと
ただ 誠実で 真面目で お祭り好きなだけなんだけどね。
その真面目さが なだれていく 末は どこなのか。
たかが 6000人のアンケートで すっかり 定着 肯定をはかる 作戦同様
現場に馳せて 昂奮している自分も含めて、
ささやかな 安寧と 平和を祈る 人々の祭りが、ちゃっかり 祀りに からめとられていく 構図。
寒さのせいだけでなく 震えが来た。
附記
どうかと思ったので、久しぶりに 『ものがたり交響』(谷川雁 筑摩書房) を読み返した。
宮沢賢治『鹿踊りのはじまり』の解題だが、明解で スっとした。
少し引用するが、興味のある方は ぜひ ご一読を!
今年もまず豊作の見通しがついた九月はじめのある日、北上とか花巻とかの小さな都市へ村々から鹿踊りの組が集まってくる。黒を基調にし、赤白、青のいさぎよい色をふんだんにあしらった角あるものの群れが街路を埋め尽くすさまは、さながら大地にわいた郷村騎士団の閲兵式だ。はなばなしく、ひっそりとさびしい。この芸能の底を流れているものが戦士の美しさであることは否定しがたい。それでは風は、戦士の美のはじまりを説こうとするのだろうか。
(中略)
鹿踊りを軍隊になぞらえるとき、ぼくたちは農民がそのまま戦士であって、農民でない戦士は一人もいなかった時代があると仮定してみればいい。かれらの敵はどこにいたか。敵は異族である前に、まず飢えであり、病気であり、天災地変だった。それは近代の軍隊よりはるかに奥行きのある軍隊だ。 (中略)
人間は魚や獣をどのようにとることが許されるのか。どのように林を伐り、土をたがやすことができるか。水と火をどのように用いればよいか。それは『狼森と笊森、盗森』にみられる人間と自然との契約関係のようなものだが、こうして打ち立てられた基本法をふみにじるところに軍隊の悪のみなもとが
あると言える。人間の人間に対する悪以上に、人間の自然に対する悪を重くみる立場をとると、この問題の所在を知っていた唯一の軍隊は、君主を持たない農民、戦士団であって、それ以外ではなかろう。そのような軍隊がいつ、どこにあったかという歴史上のせんさくを棚上げにして、(それは農民のまぼろしであったとしてもよい)、このような軍隊を成り立たせているエネルギーを、ある構図に写しとってみればどうなるか。それが鹿踊りだ、と十月の風に吹かれて眠る青年(わたくし)は夢うつつのなかでおもった。この疑問はこう言い換えられる。軍隊が溶けていったさきに鹿踊りがあるなら、鹿踊りが解けたさきはなんになるのか。 谷川雁 『ものがたり交響』より
といっても ちょうちん振りに 行ったわけではない。
全国の 祭礼の 御輿や 踊りが 奉納で かなり集まる、
しかも 鹿踊りの 群舞も 出るという知らせが しのぶちゃんから アヤカにあり、
『祭の晩』を やってる 私としては 血が 騒いだ。
ねもとパーティで 2000年に 宮沢賢治の 故郷 岩手花巻を 訪ねた時に、
花巻農学校の 生徒たちが 体育館で 鹿踊りの 練習をしているのを 見せてもらったことがある。
でも その時は 高校生は ジャージで、
その前年 高野パーティが 羅須地人協会の前で 見せてもらった時の ビデオだけで
実のところ 装束をつけた ナマの 鹿踊りを 見たことがなかった。
3年前、戸隠テーマ合宿のテーマで 宮沢賢治童話『鹿踊りのはじまり』をやったとき、
合宿担当の しのぶちゃんが 岩手まで 鹿踊りの 足さばきを 習いに行き、みんなに 伝授した。
その後 しのぶちゃんは すっかり 鹿踊りに 魅了され、
なんと 毎月 金津流石関鹿踊りを習いに 岩手に通っているという。
太鼓フェチ 民俗芸能大好きの アヤカも しのぶちゃんに ついて
鹿踊りの練習に 岩手まで 行ったこともあるので、
「衣装を つけたのは 見たことないでしょ? ほんとに カッコいいんだから! 見なきゃダメだよ!」 って 前夜から はっぱかけられ、急遽 皇居へ 向かった。
地下鉄を上がって、
銀杏並木で 待機する鹿たちを
見た時、
もう 震えが来た。
おお! こ、こんなに?
警視庁音楽隊、カラーガード、
全日本鼓笛バンド・フォームバトン連盟、
東京消防庁音楽隊、カラーガーズ隊
の後に 控えしは・・・
奥州江刺百鹿大群舞(おうしゅうえさし)4流派 100人の 鹿踊り(ししおどり)群舞。
いやあ、圧巻!
太鼓が 腸の底から 突き上げる。
バチが 太鼓の ふちを打つ時の 乾いた音と、
きりっ きりっと 足を あげて 身を 翻す時の ささらが 鳴る音が、
自分の内側を 払ってくれるような トランスになる。
なんか こういう 原始的な 単調な響きに からだを 委ねるって いい!
祭りの日に 通奏低音として ずっと流れている 太鼓の 響き。 それが 子どもや 村人を 突き上げる 非日常は、自治会や 商店街の お祭りでは わかりにくい。
豪華な 山車や、大きな ネブタよりなにより、
なんてったって 鹿が 戦闘的で かっこいい。 震えが来る。
スタートから 終点まで、40分間 ずーっと追いかけて、
沿道の 人垣から 撮影ポイントを 探して 何往復も した。(笑) がくがくだ。
それにしても 天皇の名において 全国から 招集された 奉納は、
しばた台輪(新潟県) ↑
御諏訪太鼓(長野県)、
母ヶ浦面浮立(佐賀県)↑
飛騨高山まつりの森屋台「金鶏台」(岐阜県)
東金ばやし(千葉県) →
刈谷万燈祭(愛知県)↑ 足利八木節(栃木県)↑
郡上おどり(岐阜県)→
佐渡おけさ流し(東京都)
館林八木節(群馬県)
五所川原立佞武多(ねぶた)(青森県) ↓
正調阿波踊り(東京都) ↓
と すごい 揃いぶみ。
おまけに、皇居の まん前では、
日枝、神田、大國玉、熊野を筆頭に、
東京の8神社 10保存会等の みこしが
奉祝の練り歩きを ずっと やっている。
(撮影 あやか 鹿踊りのみ私の携帯)
東北の まつろわぬ民 蝦夷にも 源流があるのではないかと 言われる 鹿踊りが
天皇に奉納されるのも どうかと思うが、
テレビのニュースは もっと どうかと思う EXILE と 提灯や旗を振る 映像が中心で、
あんなに たくさんのカメラが回ってたのに、奉納芸能も 編集段階で ほとんどカットされたようだ。
放映されなければ 無きに 等しく、
みんな 仕事休んで 青森や 岩手から せっかく来たのに ヒドイ!
と テレビのニュースを見て 憤慨するあやか。
交通費、 装束の輸送費は、 個人負担か、地方財政負担か、それも貢納というわけか。
しかも テレビで見たら パレードの時間、当の お祝いされる両人は、
ニコニコして 政府主催の 祝賀会に 出ていて 皇居には いなかった!
アハハ まさに 象徴に みんな 奉納したわけだ。
誰でも 与えられた機会と任務を つつがなく まっとうしようと
ただ 誠実で 真面目で お祭り好きなだけなんだけどね。
その真面目さが なだれていく 末は どこなのか。
たかが 6000人のアンケートで すっかり 定着 肯定をはかる 作戦同様
現場に馳せて 昂奮している自分も含めて、
ささやかな 安寧と 平和を祈る 人々の祭りが、ちゃっかり 祀りに からめとられていく 構図。
寒さのせいだけでなく 震えが来た。
附記
どうかと思ったので、久しぶりに 『ものがたり交響』(谷川雁 筑摩書房) を読み返した。
宮沢賢治『鹿踊りのはじまり』の解題だが、明解で スっとした。
少し引用するが、興味のある方は ぜひ ご一読を!
今年もまず豊作の見通しがついた九月はじめのある日、北上とか花巻とかの小さな都市へ村々から鹿踊りの組が集まってくる。黒を基調にし、赤白、青のいさぎよい色をふんだんにあしらった角あるものの群れが街路を埋め尽くすさまは、さながら大地にわいた郷村騎士団の閲兵式だ。はなばなしく、ひっそりとさびしい。この芸能の底を流れているものが戦士の美しさであることは否定しがたい。それでは風は、戦士の美のはじまりを説こうとするのだろうか。
(中略)
鹿踊りを軍隊になぞらえるとき、ぼくたちは農民がそのまま戦士であって、農民でない戦士は一人もいなかった時代があると仮定してみればいい。かれらの敵はどこにいたか。敵は異族である前に、まず飢えであり、病気であり、天災地変だった。それは近代の軍隊よりはるかに奥行きのある軍隊だ。 (中略)
人間は魚や獣をどのようにとることが許されるのか。どのように林を伐り、土をたがやすことができるか。水と火をどのように用いればよいか。それは『狼森と笊森、盗森』にみられる人間と自然との契約関係のようなものだが、こうして打ち立てられた基本法をふみにじるところに軍隊の悪のみなもとが
あると言える。人間の人間に対する悪以上に、人間の自然に対する悪を重くみる立場をとると、この問題の所在を知っていた唯一の軍隊は、君主を持たない農民、戦士団であって、それ以外ではなかろう。そのような軍隊がいつ、どこにあったかという歴史上のせんさくを棚上げにして、(それは農民のまぼろしであったとしてもよい)、このような軍隊を成り立たせているエネルギーを、ある構図に写しとってみればどうなるか。それが鹿踊りだ、と十月の風に吹かれて眠る青年(わたくし)は夢うつつのなかでおもった。この疑問はこう言い換えられる。軍隊が溶けていったさきに鹿踊りがあるなら、鹿踊りが解けたさきはなんになるのか。 谷川雁 『ものがたり交響』より