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長崎8人兄妹物語 三男イズミ その1

9月、長崎8人兄妹の長男 桃太郎の三回忌があり、兄弟が集まったので、
その後 イズミおじのインタビューをさせていただいた。
イズミは 8人兄妹の 4番目 3男。 昭和5年生まれの 来年80才。  
すでに、他の兄弟の話で イズミの暴君、豪傑ぶりが 語られてるので、
イズミさんは 人気が高く ぜひ単独インタビューを!と 読者からの 要望が多かった。
井手家の8人兄妹で インタビュー可能な インタビューは これが最後である。
 
 今年の春 長崎新聞社の紹介で知り合った 響写真館のお弟子さん 山崎喬さん(故人)の
娘さん姉妹(るみこ、かよこ)も お父さんのことや、イズミさんの話を聞きたいと 長崎から来てくださり、
長崎の話題も 入って 賑やかな インタビューになった。
(他に桃太郎の妻で私の母ナツキの同級生ムツコおば、ねもとパーティのお母さんミチコ、ねもとが同席)

          響写真館は 当時のトレンド


るみこ  響写真館は、当時(昭和のはじめ)、長崎で とても流行ってたので、
     母の友だちは、みな響写真館で写真を撮るのが夢で、みんなおしゃれして、
     「今度 ヒビキで 撮るのよ〜、撮るのよ〜」って はしゃいだそうです。
     うちの母親の年代はみんなそうです。
みちこ 響写真館で 写真を撮ることが 当時の女性のステータスになってたんですね。
ムツコ 今で言うと、おいくつぐらいですか? お母さんは?
るみこ 82で 亡くなりましたから、今年で84才ぐらいかな。
ちえ   じゃあ ムツコさんと あまり変わらないですね。
ムツコ 私のもうちょっと上の人たちで ハイカラな人たちだね。
るみこ もう 「響写真館に行けるのよ〜行けるのよ〜」って。
     もう母親の友だちの世代はみんなそういってましたね。
ムツコ みんな あのツタのからまる建物に 騙されて。(笑)

ちえ  建物のせいじゃないだろうけどね、伝次郎の 写真の
     腕が よかったんだろうから。
みちこ 響って名前がステキね。
ちえ  さっきの法事で 幸蔵さんが、
    山崎喜久一さんて 伝次郎の親友の歌人が
    響の名付け親だって 言ってましたね。 

イズミ それから天皇行幸のような時には、皇族でも、
     長崎でシャッターを きっていいのは、響写真館だけ
     だったんですよ。
ちえ  へえええ!そんなことがあるんだ。
     宮内庁御用達だったんですね。 

  
     





イズミ やはり絶対失敗できませんからね。
     伝次郎は、そういう点では非常な努力家でしたから、
     信頼があったんです。万が一 天災で 何かあった場合の予備で、
     二重三重に 写真を撮る ところは、あまりなかったから。
ムツコ  よそより 写す枚数がはるかに多かったそうですね。
るみこ  母より上の年代は、響写真館を ほんとになつかしがりますね。


         お弟子さんの思い出

 イズミ  私たち井手家は、佐賀県太良に疎開しておったんですが、
      オヤジは 私を写真家にしたか ったのか、 
            終戦後、オヤジに 弟子の大久保月光さんが 長崎で開いていた 月光スタジオに
      行って 勉強して来いと 言われました。
      それで1年間 月光スタジオにお世話になりました。
かよこ  それは何年ですか?
イズミ  たぶん昭和26年じゃないかなぁ。
ちえ  え?そんなに後ですか? じゃあ6年間は 疎開先の多良で、農業をやっていたんですね。
イズミ ええ、まあ、農業なのか 養鶏なのかわかりませんが
ちえ  養鶏はマッカーサーですね。(マッカーサーと 鳴くにわとりがいた。詳しくはキヨアキ参照)
ムツコ 誰も落ち着かない時代ですよね、その4、5年は。
イズミ 僕が月光さんにお世話になってた、たった1年の間に、
    山崎喬さんとは、2回くらいお会いしてると思います。 
    山崎さんは印象は覚えてるんですけど、響写真館の時代は、まだ僕は小学生ですからね、        
    お弟子さんたちと 話をしたとか言うことはなかったと思います。
    非常に人なつっこいお弟子さんは、子どもにちょっかい出しましたけどね。
ちえ  イガグリさんとか?(笑)  イガグリさんは、なんてお名前ですか?
イズミ 細谷さん。 テツオの記事には、細谷印刷と書いてありましたが、
     正確には、細谷真美館です。 そこの息子が 響に弟子入りしていたのです。  
         伝次郎が 生前作った『長崎』と『雲仙』のアルバムは、コロタイプ印刷でやりましたが、
    大阪の細谷真美館が担当しました。 技術的にうまかったんですね。









昭和12年頃の 響のクリスマス。まん中より右 着物の女の子(私の母夏木)を抱いてるように見えるのが山崎喬さん)




    山崎喬さんと 響写真館の出会い


イズミ 山崎さんのことは、あまり覚えてないんですが、
     伝次郎に大変信望があったように 子どもなりに思います。
     いろんな性格の方がおられた中に、キャラクターとして見た場合に
     やはりモダン・ボーイの感じがありました。 モッサリしたタイプではない。
ちえ  観察してたんですね。(笑) モダンボーイグループとモサグループがあったのね。
イズミ  ああ、ありますねぇ。 2つに分ければね。 中間型もあるんやけどね。
かよこ  父は 友だちを作らなかったですね。 いつも1人でいたようです。
イズミ  ああ、そういうところは存じませんが、話し方が歯切れがよくて スカっとしてるんですよ。
     そういうことで、なあなあな感じはなかったですね。
     とにかく、言葉使い、話し方でも パッパパッパしてる。
かよこ  一見おとなしいと思われてるみたいですけど・・・
イズミ  ええ、大人しい真面目な方ですけれども、スカっとしてる。
     そしてやっぱり技術的にも 伝次郎の 信望が高かったのかな。
     父が 母親に言ってるのを聞いたことがあるような気がするんですが、
     「山崎くんは絵を描くからだねぇ」とか言ってたのを聞いたことがあるんですよ。
かよこ はい、父は、本当は絵描きになりたくて、東京に出て行きたかったんですけれども、
     父親が亡くなって 母と妹が一人いたものですから、その夢はかなわず、
     一番近い仕事として、写真を考えていたら、たまたま町を歩いていたら、宣伝があって、
     そこが響写真館だったそうです。
みんな  へえええ
イズミ  そうですか。

          
          写真と 絵 


かよこ  人間の顔は真ん中にハイライトを描くけれども、人間の鼻はフラットだから、
      このへんにライトが来るというのが、写真の修正の時大事なんだって。
イズミ  そういう意味で、伝次郎がちょっと示唆を与えても、すぐわかるらしいようで、
     やっぱり絵を描くからだねぇと 伝次郎が話していたのを 聞いたことがあります。
かよこ やっぱり絵と写真は近いですよね。 父も最後まで 絵を描いていました。
     父は 伝次郎さんのことを 響のオヤジさんと言ってたのですが、 
     オヤジさんは、そう言ってくれたと言ってました。
イズミ ああ、でも お父さんに似てらっしゃるなぁ。
ちえ  やっぱり・・・・そうですか。 まさか 響写真館の末裔が こんなところで 出会うなんてねぇ。
     幸蔵さんは、山崎さんに子どもの時 勉強をみてもらったって、さっき言ってましたね。

イズミ はっきりは覚えてないですけれども、僕が山崎さんに
    「絵を描いてるんですか?」と言ったら
    「ああ、書いてるよ」ってなんかちょっとぽっと見せてもらったことがあるんですよ。
    カンバスに、なにか、僕の印象で言うと、ちょっと暗い日没か薄明か・・・
るみこ 夜明けの絵・・・ああ 多いですよ、そういう絵が。真昼の絵はほとんどないですね。
     朝か 夕方か。
イズミ ああ、だったら 当たってるわ。僕の印象ではね、何を描いてるというのではなく、
     風景を描いてるんだけれども、影の多い薄明かり、が多かった。
るみこ 朝から描くのはムリだったでしょうから、夕方が多かったでしょうね。
かよこ なにか神戸から帰ってきて、
イズミ 神戸ですか?
かよこ 父はもともとは長崎なんですけど、父の父親が神戸の方に養子に出て、
     テーラーをしてたんです。
ちえ  少年Hの家と 同じだね。
かよこ その頃は恵まれてたんですけど、父親が亡くなって、
     母と妹と長崎に戻って来たんです。 その頃がとても貧乏だったようです。
     絵を描く紙がなくて、 馬糞紙に よく油絵を 描いてたようです。
イズミ あの頃は、裕福でない人は よく馬糞紙を 使ってました。 あれは 油絵にはいいですよ。          油を適度に吸収して。ロートレックがよく馬糞紙を使っています。

         
         絵かきに なりたかった


ちえ  イズミさんは、写真屋になりたかったんですか?
イズミ いや、絵かきになりたかった。
ちえ  伝次郎も絵かきになりたかったんですよ。 桃太郎も絵かきになりたかった。
      山崎喬さんも絵かきになりたかった。 みんな 絵を諦めて 写真に進んでるんですね。
イズミ 桃太郎も 絵かきになりたかったって ほんとですか?
ちえ  だって、東京の美大に 行ってるじゃないですか。
ムツコ いや、それは写真の勉強で 行かされたんだけどね。
イズミ 桃太郎はどっちかというと、始めから写真をやる気で東京に行かれたかもしれませんよ。
     私が絵かきになりたいと言ったら、ええと、まずやっぱり桃太郎に相談したのですが、
     僕は身の上相談は、桃太郎にしてたんです。
ちえ   ああ、そうなんだ。へええええ
イズミ そしたら、桃太郎は「ううん、いまどきねぇ・・・」って言うんですよ。(みんな笑)
みちこ あはは 食べていけない・・・
イズミ  「まあ、強盗かなんかになるよりは、まだましかもしれない」・・・って。(みんな爆笑)
ちえ   桃太郎らしいね。(笑)
イズミ  食っていくっていうことが、前提になるんだったら、やっぱり、学校の教師でもして
      まあ、自分のことですよね。(桃太郎は活水の美術教師だった)
            絵を描いてれば、絵は描ける、と 言われました。 
      伝次郎にも 相談したことがあるんです。
      そしたら、「ううむ、」って黙りこんで、なかなか言わなかったけど、
      「私でさえ、絵描きにはなれなかったのに」(みんな笑)
ちえ  アハハハハハ それは説得力あるね。
イズミ 本当に 純粋で 天才的であれば、絵描きには、なかなかなれんぞ、って。
ねもと  真っ正面から 答えてくれたんですね。
ちえ  だってイズミさんが一番才能あるじゃないですか、ね?
イズミ さあ、どうやろ。あまりないよ。
ちえ  いえ、それは 美夜おばも 言ってたし、絵を見れば わかりますよ。
イズミ まあ、兄妹はね、桃太郎も イズミはある程度描けるなぁとは言ってくれました。
     学校の美術の先生でも、なかなかここまでは描けんぞ、と言われたことはあります。 
     小学校の時から、僕は 勉強もできなかったし、昆虫採集とか、そういうことで、僕はなんとか   やってたわけですから、
      絵というのはね、まあ、そこそこ。(照れる)特にずば抜けてと言うわけではない。























    
         観察好き


ちえ  あのう、井手家の子どもたちは、家庭教師がついてたでしょう。イズミさんは?
イズミ ああ、ついてました。 ついてたけども・・・・
ちえ  ちゃんと受けてたんですか?
イズミ ちゃんと受けてはいたけども・・・・・
ちえ  へええええ(信じられない)
イズミ もう、僕は 先生を観察してるから。(みんな爆笑)
ちえ  アハハハハハハ 
イズミ ああ、僕は観察は、昔から好きでした。
ちえ  ああ、観察ね! それでね、今はカエル博士ですから。 
          イズミさんは、奈良の千石先生と言われてるんですよ。
るみこ カエル?(びっくりする)
ちえ   家庭教師も 両生類か ハ虫類みたいなもんですもんね。(笑)
イズミ そうそう!(うれしそうに) ともかく、まともに教えてもらって、
     それを素直に受け容れて学習するなんて タイプじゃないんですね、僕は。
ちえ  でもその時間、座ってたんですか? おとなしく?
イズミ  ああ、そりゃあ、苦しかったですね。 授業時間でも、外ばっかり見て、
     蝶が飛んできたら、もう そっちの方ばかり 見てました。 だから勉強できんわけよ!
ちえ  キャハハハア
     さっきの法事で、みなさんに聞いた話では、
     イズミさんは ヨゴレっていうあだ名だったんだって。
     いつも汚い格好して顔も汚れてるから。 長靴はいて・・・
     最初にそうなったのは、何がきっかけですか?
ムツコ それは本性よ。
イズミ  思い出せる限り、考えてみると、5才ぐらい。
ちえ   5才。 何が一番?
イズミ  やっぱりヘビですね。 うつくしいなぁと 思いましたね。 
      生きものでこんなに美しいものがいていいのかって思った。
ムツコ  今日はいないの?(ニヤニヤして)
イズミ   いるよ。(ニヤニヤ)
みちこ  ええ? (ビックリして)いるんですか? どこに?
ちえ   いつも カバンに 持ち歩いてるの。 東京来る時も。
みちこ  ええ? My ヘビ?
ちえ  そう。(写真の他に 何匹も 笑)
 亀も!
       

             干渉されたくない

ちえ  あの、イズミさんが 西山川に伝次郎に縄でつるされた時のことは、覚えてますか? 
     何が 原因だったんですか?
イズミ わかりません。僕は、聞いてるだけ。記憶にはないんです。
ちえ  記憶にないんだ。なにか、伝次郎に怒られて、縄でぐるぐる巻きにされて、
     西山川の崖につるされたそうですよ。 
     父親のことをキっとにらんで、絶対謝らなかったって。 伝説化されてますね。
     その崖にヘビの穴がたくさんあって、観察してたとか。(みんな笑)
ムツコ できすぎだねぇ。(笑)
ちえ  それは、キヨアキが 言ってました。脚色されてる?
イズミ 脚色されてますよ。
みちこ おっかしい〜
イズミ まあ 普通の子どもだったら、ぎゃああと 泣き出すんでしょうけれども、
     それ以上に こっちは 恐怖で 声も出なかったのかもしれないし、わかりませんよ。




ちえ  イズミさん、写ってる写真、全部ヘンな顔してますよね。(笑)
イズミ ねえ?変な顔してるでしょう? 今日も送ってくれたガラス乾板の写真を 見たけどねぇ、
     僕は無邪気な 子どもらしい顔 してないでしょう?
みちこ やらされてて、イヤだったのかな? おしゃれな服を着せられたり、強制・・・
イズミ  ああ、そうそうそう!
ちえ   家族の集合写真に 写ってないしね、イズミさんは。
るみこ そうなんですか?
イズミ  家庭にせよ、幼稚園にせよ、小学校にせよ、全部、外部からの指示で 勉強しろ!
      お遊戯しろ!って言うのは、全部イヤでしたね。 
      要するに干渉されるっていう感じがあって。それがイヤだったんです。   
      自発的な、我が道をやっていけないか。
ムツコ  それはもう、井手家の人たちは、みんな一貫してるわね。
ちえ   確かに 一貫してるよねぇ。(笑)
ムツコ  一貫してるんだけど、ちょっとそれぞれ出方が違うのね。
 

イズミ 写真を見ると、テツオくんでもキヨくんでも、上の2人はもちろんのこと、
     まあ この世に出てきたことに 一応 納得してますよね。
     でも 僕は 納得してないんです。
ちえ   納得してない! 確かに。 顔がひどいもん。(笑) 憤懣が 顔に表れてますよ。
イズミ でしょう? ヘンな顔してますよね、子どもらしくない。
ちえ   アハハ ありえない顔だよね。(笑) わざとじゃなく なぜ こんな顔ができるのか・・・
イズミ  うん、すべては、自分を干渉するものが、イヤだった。
ちえ   でも・・・親はそんなにうるさかったですか?
イズミ いや、普通の家庭に比べたら、自由だったですよね。
ちえ  でしょう? だから余計なのかな?


           虚弱体質


イズミ  僕は 帝王切開だったんですよ。いつまでたっても出て来ないんですよ。
ちえ   はあ そうだったんだ? 何してたんですか?
るみこ  イヤだったんじゃない?(笑)
みちこ  この世に出てくるのがイヤだったのね。(みんな爆笑)
イズミ  河童のようにおへその穴から この世を覗いてたのかもしれない。
みんな  アハハハハ
みちこ  羊水の中で 泳いでいたかったのね。
ちえ   知られざる イズミの 出生の秘密。(笑)


     
ちえ  で、イズミさんは、佐賀県の鹿島高校で 留年して キヨアキと同じクラスになったとか?
イズミ ああ、なりましたね。鹿島高校では 沈殿組って クラスがあったんです。
ちえ ちんでんぐみ?(爆笑)
イズミ 僕の話は 小学校から言わないと   意味がわからないでしょうけどね。
     小学校でも1年留年してるんですよ。
ちえ   え?小学校で留年なんてあるんですか?
ムツコ 休学だよね。
イズミ ああ、肺をわずらってね。 やっぱり虚弱体質で、栄養不良と言われたんですよ。
     二十歳までは生きられないって言われたんですよ。
かよこ まあ・・・
ムツコ じゃあ ずいぶん生きたねぇ・・・(ニヤニヤ笑)
イズミ そう。おかしいですよ・・・・・もうすぐ80です・・・・・(困る)
ちえ  両生類のおかげですね。
イズミ 生命線は、もうとっくに切れてるんですよ。(見せる)
     それが生きてるんだから不思議やなぁ。
ちえ  やっぱり、名前が勝ったんですよ。 水の中に入ってるから。 泉だから。

  
          井手家のファーブル


かよこ 性格的には、イズミさんが 伝次郎さんに一番似てるって、書いてありましたよね?
イズミ  ああ、似てるでしょう。テツオが言ってたかな? 
           幸蔵さんも言ってましたね、おまえが 一番似てるって。
          今話したことでは、僕は強がりみたいに聞こえますけど、
      実際には弱かったんじゃないでしょうか。  
         虚弱体質で・・・小学校へ行くのでも、体力的にも知能的にも、弱かったと思いますね。
ちえ  それで、幸蔵さんが 昆虫採集に 連れて行ってくれて、好きになったって言ってましたよね。
イズミ  だけど、天性のものはあったですね。 幼稚園の時から・・・
          青蛙が雨の時に跳ねているのを見て、非常に生き生きとした印象に残っています。
          今日見せてもらった響の庭の この石の下に何がいるとか、全部わかってましたから。
みんな すご〜い!(笑)
ちえ   この テツオが書いてくれた 見取り図の中に 入れてくれませんか?
ねもと  響の 生態図が できますよ。
ムツコ 井手家のファーブルだからね、イズミさんは。(笑)
イズミ  ヒキガエルをテツオくんが イタズラしたって 言ってましたが、
      ヒキガエルもいたんですよ。
         庭の中で、ヒキガエルもこのグループとこのグループがある。
          でも2つのグループはあまり行き来してないな・・・そういうのが面白かったですね。
ちえ   ほううう。観察してたんですね。
みちこ 敷地内で まかなわれてたのも、すごいね。アハハハハ
ムツコ 昔はそうですよ。 みんな、みんなそんなにいたんですよ。
イズミ いましたよね。それが今は非常に少なくなってますし・・・。


           懸垂で 長崎中学に受かる
 

ちえ  イズミさんは、学校キライな割に、学校の滞在年齢が 長いですね。
イズミ  ああ、そうだね〜。(自分で驚く みんな笑)
ちえ  小学校は7年行って、中学校は何年行ったんですか?
イズミ 編入したんだけど、途中から学制が変わって、中学から高校になったからねぇ。
ちえ  まず長中(チョウチュウ)に受験で受かった。勉強キライなのによく入れましたね。
イズミ それが不思議なんだよねぇ〜。(みんな笑)
     当時は今とちがって、体育ということをすごく大事にしたんですね。
     そっちの方は、受験を前に一所懸命からだを鍛えました。
     懸垂なんかは、ものすごくよくできたんですよ。
ちえ   崖に吊されてたからね。
イズミ  検査の間、ずっとやってるものだから、「もう、よし!」って言われたくらい。
みんな 爆笑 アハハハハハハハ
イズミ チビで体重軽いからできたわけですよ。
ちえ   アハハは それで受かったと。懸垂で、長崎中学に 受かったわけですね。
みちこ またそう、断定しちゃうのも(笑)
イズミ 毎日夕方になって、人通りが少なくなったら、
     れんがを両手に持ってしばって、走ってました から。
ちえ  鍛えてたんですね。 長靴で? 長靴で?(笑)アハハハハ
イズミ まあ、そういう体育的なファクターで受かったわけです。勉強で受かるわけないんです。
     長崎中学は、ほんとに秀才の行くところですから。

     
            デジタルな記憶  


イズミ  チエさんのブログを精査して、マチガイをチェックして、書き込みました。
     キヨアキ テツオの話は、フアンタジーとしては面白いが、
     事実としては、かなり いい加減な ところが多いので。 (みんな笑)
     (赤のたくさん入った 原稿を渡される)
ちえ   ありがとうございます。
イズミ  まあ 誰でもデジタルな記憶を 自分なりにアナログに再生しておるので、
      それぞれ違うのが当たり前で、それはそれで 面白いし、
      ちえさんのまとめは一つの作品になっているので、余計なことなんですが、
      具体的な人や事実に関することは 一応チェックしておきました。
ちえ  ほんとに。ありがとうございます。

            
            迷蝶

             
イズミ テツオくんの話で、蝶の渡りとかなんとか言うのがありましたが、あれもいい加減なことです。
ちえ  では、事実を言ってください。イズミ側からの 答弁。(笑)
イズミ あれは蝶の渡りではないんです。テツオの話でアサギマダラとかいう話が出てましたが、
     それはアサギマダラではなくて、渡りの蝶というよりは 迷蝶です。
ねもと ああ、台風なんかで迷って来るやつですね。
イズミ ええええ、そうです、そうです。 今頃だったら、ここを通るし、
     僕もつかまえたわけではないんです。たぶん、あれじゃないかなあと目撃しただけなんです。    
     今年はそういうのが飛ぶんではないかと、自分も一所懸命見てるんだけども、
     テツオにも「オマエも見張っておけ!」と言っただけです。
     渡りの蝶というよりは、偶産蝶で 台湾とか琉球にいる蝶で、タテハモドキだとか、
     僕が一番憧れていたメスアカムラサキとか・・・
ねもと あ、その蝶は 僕の弟が獲って、新聞に載りました。
ちえ  すごい標本なんですよ、うちも。父が麟翅学会に入ってたので。
ムツコ へええ、そうなんだ。
イズミ 僕は、子どもの頃は、学校の勉強は何もしないで、そういうことばかりやってましたね。
みちこ すごいですね。そんな台風の時に。
ねもと やはりそういう台風の時に、弟も見張ってたようです。
     台風の上昇気流に乗って運ばれてしまうのが、たまにいるんですよね。
イズミ 僕は 最近は 蛙の調査をやっておるんですが、昆虫研究家の友人に頼まれて
     アサギマダラのマーキングに参加し、秋にしては 非常に珍しい
     北上の例を 報告したことがあります。


          技術 学問の 先進地 長崎


ちえ  昆虫採集は、虚弱体質だった小学生の頃に、幸蔵さんに連れて行ってもらったのが、
     きっかけだとすると、虫の名前とかも、幸蔵さんに教わったものが多い?
イズミ うん、それと 基本的な標本の作り方とかも 教わりました。
ちえ  幸蔵さんは、誰に習ったのかな?
イズミ 習ってないでしょう。 独学かな。
ねもと でもあの時代で考えるとすごいことですよね。独学かなぁ・・
ムツコ よその土地から比べると、長崎っていうのは、そういう、ね、
     東京大阪で ありえないようなことがありましたよ。
     それに、三菱大国でしょ? 一流の技師たちが住んでいたわけだから。
ちえ  ああ、なるほどねぇ・・・
イズミ 幸蔵さんの友だちなんかでも、やっぱり学校の先生や、大学の先生や、
     その頃から台湾に  行った人が多かったですね。
ちえ  幸蔵さんも、今も長崎にお友だちおるけど、一流どころが多いみたいに 言ってらした。
イズミ 僕の友だちの家も 学者だとか 大学教授とか 医者が 多いですね。
ムツコ イギリスの イシグロさんの お父さんも 桃太郎の 友だちだもん。
みちこ まあ、カズオ・イシグロさんですか?  『日の名残り』 とかを 書いた?
ムツコ そのお父さんたる シズオさんは、普通じゃなかった。
みちこ 海洋学者ですよね。
ムツコ 毎日、潮の流れを見て、自分だけの考えで、大浦天主堂の上から毎日潮の流れを見て、
     あげくの果てに イギリスに渡ったのね。 イギリス海軍が放さなかったわね。
     そういう人たちが、長崎には、ちらほらいたみたい。

イズミ  もっと広い生物との関係ではシーボルトがいますね。
みんな ああ、ああ。そうか!
イズミ  弟子たちに調べさせた標本を、大英博物館に持って行ったりしてますから、
     そういうことやってた伝統は、長崎はあるんですね。
みちこ 医者が多いというのも納得ですね。考えてみれば、学問の先進地だったわけですよね。
     江戸時代、勉強したかったら長崎に行くんいですからね。
イズミ まあ、そういうことはあったでしょうね。西洋文化を取り入れたんだから。
     昆虫採集も西洋のものですよね。
     日本人は直に自然と接して、それでよかったわけですから、分類したりするというのは。
     ドイツでいえばヘルマン・ヘッセもそうですね。
ムツコ そういう流れの光はありますか? 今の長崎に。
るみこ 長崎は、自分たちが住んでるからかもしれませんが、
     いろんなものがまぜこぜにあるところが、長崎なんですね。
      統一感があると、長崎って感じがしない。 いろんなものが まぜこぜが 長崎。
ちえ  まさに チャンポンですね。




 
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