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長崎八人兄妹物語 テツオ その2

6月は 余裕がなくて編集作業ができず、母の兄妹の聞き書き 長崎8人兄妹物語の
テツオおじのインタビューの続編は、テープ起ししたまま 放ってあった。

そしたら テツおじの方で 待ちきれなくなったのか、
7月はじめ、ブログ用資料 と貼った 分厚い古いアルバム1冊と 太良での写真数枚、
長崎師範学校付属小学校の文集、おじさんのメモなど たくさんの資料が ド〜ンと 届いた。

なんと 長崎片淵町付近と 響写真館の見取り図、太良の地図が 3枚 細かくえんぴつで書かれ!
ポイントに番号がふってあって 全部 丹念な 解説が 書いてある。
おお! こういう位置関係なのか!と テツおじの記憶力と リアルな 描写に びっくり仰天する。
(だって60年前のことだよ!)

いやはや 思い出マジック!  
またしても Old Boy を 元気にさせちゃった。(笑)
面白いので、そのまま 打ち込んで いずれ 公開しようと思う。 
以下は 5月のインタビューの続き。  新しく届いた 写真(緑字が テツオのコメント)を混ぜて 載せる。


       太良は 天国

―   長崎から太良に引っ越しても、太良は田舎だから、楽しかったでしょ?
テツオ 楽しかったさぁ〜!(力こめて)お隣さんがさ、田んぼのあぜ道を500mくらい行かないと
    ないんだぜ。(笑)
    近所の悪ガキが いろんなこと教えてくれるからさ、この草は食える。この草は食えない。
    電気も水道もないところだったからさ、原始の生活だよ。
―   電気も水道もないんだ? 電気 どうするの?
テツオ 佐賀県藤津郡多良村大字糸岐字針牟田小字スギサキ。 電気も水道もないところ。
    この草は食える、この草は食えない、滝ツボから川に潜って魚を獲るやり方を教えてもらった。
    それから ウサギのワナの小型を使って、小鳥を獲るやり方を教わった。
    でも一番 美味しいのは、やっぱり ヒヨドリだね。 おいしかったよ〜。(美味しそうに言う)
    色々食ったけどね、ヒヨドリは美味しい。
太良の 石段下の 洗い場。
昭和21年8月撮影


―  てっちゃん フーテンのトラさんみたいに転々としてたみたいだけど、
   今までで どこが一番よかった?
テツオ それは 太良だね。だって道ばたのこの草は食える、この草は食えないって生活だもの!
    うちの兄妹で、滝ツボに飛び込んで魚獲れるのはオレだけだもん。
― キャハハハ(拍手)じゃあ、家族を養ってたの? 魚で?
    一番伝次郎の思惑にハマったってことじゃない。
テツオ そう! もうドル箱スターだよ。(笑)
―   ドル箱スターって(笑)

響写真館の お弟子さん ヒゲをすりつけてくるイガグリさん。
イガグリさんに ウインクを習った。

 

―   じゃあ、長崎の響写真館で、
    あの おしゃれな 格好 させられてた頃は? ↑
テツオ もう悲劇だったよ〜! 子どものくせにルパシカなんか着せられてさぁ。
―   そうそうそう! あれ誰の趣味? 梅子さん?
テツオ いや、親父だろ? だからぁ、家に帰らなかったんだよ。
    夜遅くまで外で遊んでて、暗くなってからそ〜っと 女中部屋に もぐり込んだ。
    ともかく 家が イヤだった。
―   そうなんだ。(笑)キュウクツだったんだ。
テツオ キュークツだよ、毎日怒られてたし。 
    オレは野人だったもん。 だから太良はもう、オレの天国だったよ!


        授業拒否     

―   アハハハ 兄妹でもずいぶん受け止め方がちがうなぁ。 ミヤちゃんは 長崎に戻りたがってたよ。
    じゃあ、ミヤおばちゃんみたいに、毎晩長崎帰りたいって泣くことはなかったんだね、テッチャンは。
テツオ あったりまえよ。だからベクトル合わないのよ。メソメソ泣いてばかりいたよ、ミヤは。
    でも 高校の時は、ちょっと可哀想だったな。 高校の時、おれが言うこときかなかったでしょ。
    校長室の前に 毎日座りこんで、授業受けなかったのよ。
    みんなが、あのバカってオレのこと言うからね、自分の兄貴が みんなから バカって 言われたらね。
    「文部省の 学習指導要領は間違ってる!そんな授業は受けられん!」 って言ってさ。
    なんのことはない、何もわからんくせにさ、先輩の受け売りなんだけどね。(笑)
―   アハハハハハ それって太良 鹿島高校?
テツオ いや、奈良に移ってからだな。
    「ニュートンの 万有引力なんて アインシュタインの 相対性理論で
    間違いが 指摘されているだろう!」とかなんとか言ってさ、
    とにかく 授業受けないわけよ。 試験も全部、白紙ばっかり。
―   へええええええ? 全部白紙?
テツオ ぜんんんぶ 白紙!(笑)  よく卒業させてくれたよねぇ、学校も。
―   そういえば、徹生の字をもらった 私の弟 徹も、中学のテストの 解答欄に
    全部 サッカー選手の 名前を 書き込んだんだよ!
    母親の 夏木が 学校に呼び出されて 怒られてた。
    アハハ 名前もらっただけあって やることも引き継いでたんだね!(爆笑)
   
テツオ だからミヤちゃん、かわいそうだったよね。 あのバカの妹だってことで。
    佐賀にいる時は、鹿島中学を 受験したんだけど、落ちて、一浪したの。
    試験の前日まで、裏山に メジロ獲りに 行ってたからね。(笑)
    だから落ちるわけだよ。で、一浪して、高等学校に 入ったところで 終戦。
    で、6、3制がしかれて、中学校2年に入るところを1年に入った。
    それでオレの落ちた 旧制中学校が 6つの学校が統合されて、1年生だけで16学級あったかな。
    マンモス校だったよね。そこでイズミさんの真似したわけ。髪を切らなかったんだ。
―   アハハハハハ

         サッカー部

テツオ 封建的な学校だったからね、全員坊主なんだけど、何千人といる中で、
    おれだけが髪を伸ばしてるわけ。
    教師が「どうして髪を切らないんだぁ!」って言うからさ、サッカー部だったんだけど、
    「ヘディングしたら 英語の単語が 飛んじゃうから 切らないんです。」って言ってた。
    もう退校寸前まで  追い込まれたよ。
―   アハハハハ まったく井手家は 先生たちに嫌われてただろうねぇ、代々・・・
テツオ 退校寸前まで追い込まれて、そこで転校になったからよかった。
    で、転校したのが、奈良県立添上高等農学校。
―   農学校?
テツオ うん。 まあ、そこは自由だった! ほんとに自由だから、
さっき言ったみたいにオレが校長室に座りこんでも、
   「うん、おまえの言うとおりだ」とか先生も言ってさ。(笑)
    2年生の途中で転校して、で、サッカー部をやめた。

    佐賀の時は、球児を甲子園に送るために、我々は泣いたんだよ。
    野球部に、グランド譲ってたんだから。
    雨が降った時だけだよ、 サッカー部が グランドで練習できるのは。
    あの頃は 野球の方が メジャーだったし、鹿島高校は 強かったからね。
    柴田って巨人の選手がいたでしょ? あれが法政二校だったんだよね。
    佐賀県立鹿島高校は、甲子園で 決勝で 法政二校の 柴田に敗れたんだ。

―   おじちゃん、サッカー部だったんだ。 だから、夏木はサッカーが好きだったんだね。
    自分の息子に 名前もらっただけじゃなく、読売サッカークラブに入れて 小学生からやらせてたし。
    まだ あの頃(昭和40年代)小学生で クラブチームに入るのは 珍しかったと思うけど。
   テツおじの頃は、なおさら サッカー部って、珍しくない? 元祖サッカー部だね。
テツオ 珍しかったよぉ。ともかくスパイクも自分で作ったんだから。登山靴の底に、皮をはめて。(笑)
    親父は、とにかく家庭あっての 学校だから 家庭が第一。
    農作業の方が 大事だ。学校 やめるなら やめてもよい。  
    とか言ってた。(笑)
    学校やめようかと思ったんだけどさ、サッカーが面白いから行ってたんだよね。(笑)
    でも一番厳しいのはイズミさんだったよ。


       働かざるもの 食うべからず

テツオ 最初 中学に入ってからは、バレーボールやってたから、夜 遅くしか帰らないでしょ。
    だから イズミさんに 叱られたんだよ。
    「農作業を ほったらかして、スポーツをやるとは何事だ!」
    「働かざるもの 食うべからず」って。 イズミさんは厳しかったよ〜。
    サッカーやって、腹ぺこで帰ってくるでしょう? でもイズミさんは食わしてくれない。
    オレつらかったよ〜。 腹減ってね〜。 高校生だもん。
―   じゃあ 暗くなってから 農作業やってたの?
テツオ 暗くなってからね、寝てたら、お袋がそ〜っっと おにぎりを 寝床に しのばせてくれたけどね。
―   アハハハハ イズミさんは農作業が好きだったのね。


昭和24年4月撮影。 太良で 農作業中?の
テツオ。
テツオの 頭の 左上あたり見えるのが
お隣の 新宮家。
お隣まで 何もない。 



       伝次郎とイズミの ケンカ


テツオ ああ、好きだったんだね。 イズミさんは高校出て、長崎の大久保月光さんのところに
 写真の 修行に 行ったんだが、行く前に 父親の 伝次郎と 大げんかを やったんだよ。
―   なんで?
テツオ 「おれは ここに 骨を埋める! おれは、百姓になるんだ!」って イズミさんは言ってね。
    「文明社会には出て行かん!」って。
    おやじは 「出てけ〜!」って怒鳴ってた。まあ、すごかったよ、2人の喧嘩は。
    伝次郎と イズミの 喧嘩だもの。 もう大喧嘩だよ。 最後は、イズミさんが わんわん泣き出して。
    おれは生まれて初めて、イズミさんの涙を見た。
―   イズミさんは、太良を出ていきたくなかったんだね。イズミさんと 伝次郎は よく喧嘩してたの?
テツオ いや、最初で最後の 喧嘩じゃないかな。 
親父は、イズミの言うことは、いつもその通りだって言ってた。
―   じゃあ、最初っから 父親として、イズミさんには一目置いてたんだね。
テツオ 一目置いてた。イズミさんだけには、一目置いてた。
―   へえええ、そうなんだ。だってイズミさんは、すごい父親に反抗してたんでしょう?
テツオ 反抗してたけど、一目置いてたんだよ。
―   へえええ、伝次郎 太っ腹だね。
    イズミさんが高校を卒業して、大久保月光さんが 伝次郎の一番弟子だったからね。
長崎の大久保月光写真館に 弟子入りしろって言って、追い出されたわけ。
―   伝次郎は イズミさんを 写真屋にしたかったんだね。
テツオ そう・・・・かもしれないけれども、親父としては やはり 親離れ させたかったんだろうね。
    出て行け〜!って。
    そしたら イズミさんは 「出ていかない〜!」って。

昭和21年頃撮影 
大きな 梅の木 
手前の 丸い井戸は テツオくんが おっこちるためにあったようなもの!
と 書き手 不詳(ももたろうか?)のコメントが。
  


テツオ  あ、 2回喧嘩したんだ。1回目は、太良に移る時。
    イズミさんは、「オレは逃げん。長崎を離れん!」って言って、イズミさんは長崎に残ったんだ。
―   ああ、やっぱり残ったんだ。 なんか誰かに、イズミさんは 長崎に残ったって 聞いたような気がしてたんだけど。
テツオ そう。イズミさんは、長崎に残って、吉田直哉とか友だちのところを転々と泊まってたんだと思う。
    親父はね、疎開先からイズミを探しに来た。 そしてとうとうイズミを探し出したんだ。
    イズミは「オレは逃げん! おれは卑怯者じゃない!」って言ってね。
    伝次郎さんは 、引きずるようにしてイズミさんを引っ張って来たらしいよ。
   
   流された 盆栽  

―   てっちゃんは伝次郎に怒られることはなかったの?
テツオ いや、毎日だよ!だから 家に帰らなかったんだよ。
―   アハハハハハ
テツオ とにかくね、一財産っていうような盆栽を
    ひっくり返すでしょう?
    キヨさんとチャンバラごっこして、
    一財産っていうような 高級な シナ鉢を
    割っちゃうでしょう?
    親父はジョーロ持って追いかけてくる。
    ジョーロでぼかぼか殴られた。もう、こんなコブだよ。
    (楽しそうに)
―  アハハ 伝次郎は 子どもより 盆栽が大事だって 言ってたもんね。
テツオ そう! 伝次郎と言えば ジョーロだよ。
    ジョーロで殴られる。)

 (テツおじのアルバムで 初めて 盆栽の写真をみつけた! 貴重な1枚→
  原寸はヨコ2.5センチタテ4センチの 小さいもの。 現行犯の証拠?(笑)
 
 
テツオ 太良に疎開した時、トラックいっぱい 盆栽 持ってったのよ。

    それが、(また語り調で) ジュディス台風の時に 流されたのよ!
    キティ台風の後に ジュディス台風って 大雨の台風が 来たのよ。

    子どもたちは 親父の盆栽が 濁流に流されたから もう大喜びだよ。
 「流れろ♪ 流れろ♪ 」 (歌う)って 両手叩いて、大騒ぎ。
 「テツオ おまえ 声がでかいから 助けを呼べ!」って伝次郎に言われて、
    「助けてくれ〜!」って叫んだけど、なんも。誰もおらんし、聞こえんもん。
    復員して帰ったばかりの コウゾウさんに「助けを呼んで来い」って言って、
    コウゾウさんは 泳いで濁流に 呑まれて見えなくなっちゃったよ。

―   指揮官の命令だから仕方なかったんだって。(笑)
テツオ そう。でその次に だあああああああ〜って堰が切れて、盆栽が 全部 流れて 行っちゃったわけ。
おれと キヨさんと イズミさんは3人で 「流れろ!流れろ!流れろ!」 って
手を叩いて大喜び。伝次郎はジダンダ踏んで半狂乱、「私の 盆栽が、私の 盆栽が〜!」って。
どうどう逆巻く 濁流に呑まれて 行っちゃったよ。

―   ハハハハハハハ ああ この話は 何度聞いても おかしいなぁ。 盆栽は どうなったの?
テツオ 盆栽なんて、もう流れて、有明海の藻屑と消えちゃったよ! よかったねぇ!
―   よかったねぇって(笑) 有明海のモクズって(笑)  何百万の損害?
テツオ もう、一財産だったろうねぇ。盆栽の雑誌に載るような、1本で一財産のようなのが多かったからね。
    そういうのがだだだだ〜〜〜って流されるんだから、我ら三兄弟は  「流れろ♪流れろ♪流れろ♪」(手拍子)って愉快だったねぇ。

写真 まんなか当たりに 石垣が 見えるだろうか。
最初石垣はなかった。
スギサキの水害の直後、部落の人たちが総出で、
井手家の 畑を守るため 石垣を築いてくれた。
もちろん 無料奉仕。
みんな情の厚い人たちでした。
白いのは 梨の花。その右が 鶏小屋。
  
       レコード

―   アハハハハハ ほんと これ 映画にしたいなぁ。(笑) レコードとかは無事だったの?
テツオ レコードは、おれとイズミさんとキヨさんと3人で 長崎まで取りに行った。
―   そうなんだってね。手で 持って来たんでしょう?  
    何回も 運んだって キヨさんが言ってた。
テツオ 何回も運んだよ! 親父が 医者の友だちとか、何人かに、太良に行く時預けてたわけ。
    その中で、1軒だけ、原爆を 免れた家があって、そこに取りに行った。
―   じゃあ 原爆以後なんだ、レコードを取りに行ったのは。
テツオ そうそう。終戦後すぐに取りに行ったね。
―   おじちゃんも レコード聴いてた?
テツオ うん、聴いてたよ。オレは、ジャズが好きでね。
    もう、ジャズが好きで、イズミさんには よく怒られた。 「この俗物が!」って。
―   アハハハ 出た!俗物!親近感わくなあ。(笑)
    (私も父親に ビートルズなんて ミーハーだと言われてから 音楽に のめりこんでる)
テツオ  もう ハワインアンギターと トランペットで パンパ〜ン♪ パパパパ〜ン♪ って
    「雨に唄えば」とか もうジャズばっかり聴いてたね。
―   へえ、ジャズのレコードもあったんだ。(ムム 親近感わく) 楽しかったねぇ。


       なぜ長崎に 戻らなかったのか

―   ふうううん・・・・・なんで 伝次郎は、・・・長崎に戻らなかったのかな?
テツオ うん、やっぱりね・・・一つは、昨日まで、忠君愛国、鬼畜米英と言ってたやつらが、
    一夜にして、どうしてアメリカさまさまになったんだ?って。  それが一番強かったみたいだね。
    「あの俗物どもが〜!」って言ってたよね。
―   でも、それと長崎は関係ないじゃない? 佐賀だってそういうことはあったでしょう?
    長崎より もっと強かったんじゃない?
テツオ 伝次郎は一生 太良で 百姓をやろうと思ってたんだ。
―   へええ。 もともとそういう 農村生活とか 農業をやりたいとか、
    そういう願望が伝次郎さんにはあったのかなぁ。
    ミヤちゃんの話では、戦後一時、長崎の 浜野町で 小さな写真屋をやってたって 言ってたけど・・
    終戦になったら、長崎に戻って 写真屋を 復活させたいって思わなかったんだろうか?
テツオ うーん 大久保月光写真館に ちょっと教えに行ってたりはしたけどね。
    東京の写真学校の校長にも 招かれたんだよ。 
―   ほおおう!そうなんだ。
テツオ それを断ったんだ。
―   へええええ! そうなんだ。東京の話を断ったんだ。
テツオ やっぱり、アメリカの属国になるのはイヤだって言ってね、
「一日にして鞍替えしやがって!」って、もうすごかったよ、終戦の時は。
    戦争反対論者だったからね。一日にしてアメリカさまさまになっちゃったでしょう?
    怒り心頭に達したわけよ。 親父としては、もう一生 太良で 暮らすつもりでいたんだね。
―   そうなんだ。 なんか 白洲次郎と 似てるなぁ・・・・


太良の2階  
記述はないが 8人兄妹全員が 写っているので
終戦後 復員後の写真だと思われる。
(左から 長男桃太郎 前で頬杖ついた5男徹生 半分かくれた4男清明 津崎のマア坊 2女美夜 長女夏木 次男幸蔵 抱かれた3女深雪 右 3男泉)  



テツオ ところが・・・(もったいぶった語り口調で) ミヤちゃんの一言で変わったんだ。
―   へえええ!そうなんだ! ミヤおばちゃんは、ずっとここにいるつもりなら、
    私は家出するって 伝次郎に言ったって言ってたよ。 
テツオ そうでしょう? それで、親父と喧嘩したわけ。
    ミヤちゃんも、あの時は 爆発してたからね。
    「こんな 田舎で 私たち下の兄妹の 教育は どうするつもりなのか!」
    「高校行く時に 娘にセーラー服も着せられないのか!親の資格ない!」とか 伝次郎に言ってね。
    ミヤちゃんは 口が達者だったから。それで、大喧嘩だったよ。
    親父も娘にそう言われたらねぇ・・・弱いわねぇ・・・それで決心して太良を出たんだ・・・それで奈良へ出たわけだ。
―   へええええ! すごいじゃん、ミヤちゃん! あの伝次郎を動かしたんだ!
    ミヤちゃんに そう言われた後に、ちょうど 奈良の 印刷屋さんの 話が 来たから、
    奈良に 移ることにしたんだね。

      夏木はどこに?


―   そうだったんだ・・・じゃあ、夏木が 学徒動員で 三菱大橋工場に 働いてたんだけど、
    みんなが 佐賀の太良に 疎開した時、夏木だけ 長崎に 残ったでしょ? どこにいたか 知ってる?
テツオ 夏木は・・・・(思い出す)・・・・どこにいたかは知らん。
―   アハハハハ
テツオ 誰も知らん! これは、もう ですよ。
―   アハハハハ
テツオ 謎!(嬉しそうに)謎! 謎の女!  
―   アハハハハ なんで〜 もう みんな。(笑) Nobody knowsだよ〜
テツオ うん。 ただ、ある日ね、(また秘密を教えるような語り口調で)
    夏木さんは、工場さぼって 太良に来たわけ! その日に 原爆落ちたんだよ。
―   うん、そう!
テツオ 悪運の 強い やつだ!(笑)
―   アハハハハ 悪運の 強い やつだよねぇ〜。(爆笑)
    なんでだろう、 てっちゃんも 知らないのかぁ。 夏木は いったい どこにいたんだろう〜??
テツオ どこにいたのか知らんけど、どっかに もぐり込んでいたんだろうなぁ。(楽しそう)
    イズミさんも、太良に来ようとしなかったしね。
ガンとして、友だちのところを 転々としてたのを 親父は探しあてて、連れて来たんだから。
―   イズミは連れて来たのに、なんで夏木は連れてこなかったの? 
テツオ え? 夏木? 夏木はもう学徒動員で軍隊の支配下だから。
―   学徒動員は軍隊の支配下なんだ。親はもうどうしようもないんだ。
テツオ うん、しょうがないよ。軍隊だもん。学徒動員となったら、もう軍隊なんだ。
―   しっかし誰も知らないなぁ。てっちゃんと夏木は仲良しだったんでしょう?
    それでも てっちゃんも知らなかったんだ。
テツオ うん、仲良しだったから、後でまっちげとかに 聞いた。

    
   終戦の日

―   終戦の日のことは、覚えてる?
テツオ 覚えてるよ。なんか 朝 起きたら 日本が 負けたって言うからね・・・
    そんなはずはない! って学校に 走って行ったんだよ。
    忠君愛国で 洗脳されてたから。
―   洗脳されてた?
テツオ 洗脳されてたよ、小学校6年だもの!
―   イズミさんは洗脳されてなかったってよ、不真面目だったからって(笑)。
テツオ おれは完全に洗脳されてた。 霞ヶ浦に行くつもりしてたから。 霞ヶ浦の 予科練ね。

―   おじちゃんの友だちも 原爆で亡くなった方いる?
テツオ たっくさんいる。  毎日 踏切で見送ってたんだ。
    太良の丘の下のところで、線路がぐわんと曲がるんだよね。 
    丘の上から、貨物列車に 遺体がたくさん 山のように積まれて 運ばれてくるのが見える。 
    でも どうしようもないしさ・・・・ 
―   お元気な方もいる?
テツオ いるよ。来月 クラス会やる。もう団結がすごいもの。毎年東京と長崎でクラス会やってる。
    付属小は 2クラスしかなくて 1年から6年まで先生がずっと一緒だしね。
    だから 結束が 固いんだね、今でも。
    先生の卒業の時の 言葉が書いてあるよ。

    巣立ちゆく君たちに贈る。 原爆の 焼け野原の中で、君たちに花束一つやれないが、
    言葉だけはやれるからって。

       フーテンの テツ

(ここからテツオの 放浪遍歴が 語られる。
  高知→ 津山 → 鳥取砂漠→大阪今里新地 → 奈良→ 藤沢)
   
テツオ 高知で 響写真館の息子がこんなところで何やってる! と言われ、
    ヤバイ!こんなところに近寄るもんじゃないって 本州に戻った。
    鳥取は よかったよ〜。 砂漠が気に 入った。 
    どこまで行っても 砂の上に自分の足跡しかないんだぜ!
―  夏木も砂漠が 好きなんだよ。 シルクロードとか ラクダに乗った写真ある。
   砂漠の砂お土産に持ってきた。
    なんか やっぱり テッチャンと ベクトル合うのね。(笑)
テツオ だろ〜?(笑) 砂漠でも冬は雪が降って、その中で寝てたら気持ちいい。
    このまま死ねたらいいなと思ったよ。
    で 1年ぐらい そのまま 牛乳配達して 暮らしてた。(笑)

テツオ ところが、ここから 惨劇が始まる・・・(語り口調で)
    どういうわけか おれの居場所が突き止められたんだよ!
    今里の新地、韓国人の多いところにしばらくいた。鉄工所を回って、流れ職人をやってた。
―   今で言うハケン労働者だね。
テツオ そう。でも仕事なくなって食えなくなって、キヨさんにもらったギターで流しをやってた。
    もっとうまくなってから来い!と どこへ行ってもつまはじき。
    縄張りがあって、土地のおあにいさんが来る。
    「誰の 許可を得て やっとんのや〜」どうやらそのへんから、あしがついたんだな。
    流しのテッチャンのウワサを聞いて、キヨアキ兄さんが探しに来た。

    しまった〜! 足がついた〜!

    奈良の 井手家に 連れ戻されたんだよ。 その後 キヨさんと一緒に 写真屋を 始めた。
    オレが 商売なんかやって つとまるわけないよな。(笑) 1年でつぶしちゃった。

―   1年でつぶれちゃったの?
テツオ おれがつぶしたんだよ。 めちゃくちゃやって。売り上げ全部 呑んじゃうんだから。
―   だめじゃん! 自慢してどーする。(笑) いくつくらいの時?
テツオ 25才。
―   キヨさん 苦労したねぇ。

テツオ それから ナショナルが、藤沢に 冷蔵庫工場を作るから 臨時工がいるというので、
    そこに行ったのが 運のツキよ。
―   堅気になったんだ。フーテンのトラみたいだもんねぇ。(笑) 戦後の復興期だからね。
テツオ そう! 堅気になっちゃんたんだよねぇ。運のツキだったよ。
    藤沢に 行ってみたら、びっくりしたよ!
    藤沢の駅の ホームは 板張りだもん。 
    藤沢から 辻堂まで ず〜っと何もないサツマイモ畑でさ。(笑) 富士山がどっかり見える。
    我々は 来る日も来る日もイモを抜いてね、イモ食いながら。
―   アハハハハ まだ工場なかったんだ。開設要員だったんだね。 あまりにもおじちゃんに ピッタリだね。(笑)
     それで堅気になっちゃったんだ。イモ畑のせいで。(笑)
テツオ  そう! 堅気になっちゃった!  イモ畑のせいで!
―   時代だねぇ〜!
テツオ そうだよ、時代の最先端を行く 冷蔵庫工場だもの! 松下幸之助もバカじゃなかったんだねぇ。


―   夏木は なぜ東京に出たのか知ってる?
テツオ 大村で 学校の先生してたんだよね。そこでGHQの仕事があるからって東京に行った。
    それから 貿易会社の シュリロ紹介の 秘書で入った。 
    そのころ 針生っていう ワルガキと知り合ったらしい。(笑)
―   ワルガキね・・・(笑)


      伝次郎とテツオ  


―   おじちゃん、ほんと フーテンのトラさんみたい。(笑)転々としちゃったね。
    伝次郎、 心配してただろうね?
テツオ おふくろは心配してたらしいね。でも親父は、「それでいい、それでいい」って 言ってたらしい。
―   ええ? ほんとぉ??  自分に都合よく 話を 作ってるんじゃないの? てっちゃん!
テツオ うん・・・・、ほんとかウソか 知らんけどね・・・・(モゴモゴ 照れ笑い)
    
    オレ、パナソニックに入ってから1回奈良に帰ったことあるんだけど、
    その時 オレの飲み屋のツケが、なんか知らんが伝次郎に回っちゃったんだよ。
    もう、その時の 親父の 激昂ぶりはすごかったらしい。
    「なんという!」 飲み屋のツケなんて初めてだったらしい。怒り心頭に達した。
    あれで親父は死んだと言われてる。
―   アッハハハハハ(笑いころげる) ぜんぜん「それでいい それでいい」じゃないじゃん! 
テツオ それで おれは金を払いに家に行ったら、おふくろが出てきて「中に入るな!
    おまえの顔を見たら、お父さん卒倒する。何するかわからないから入るな」って。
    それで、とうとう 親父の顔は 死ぬまで 見ず終いだった。
―   じゃあ、いつから会ってないの?
テツオ キヨさんと写真屋をやる前かな。
―   じゃあ、あんまり伝次郎としゃべったことない?
テツオ ないよ!
―   ないの? 小さい時から?
テツオ 小さい時から ないよ。 とにかく 恐い親父って イメージしかないから。
―   ずーっと逃げ回ってたんだ。  (笑)
テツオ ずーっと 逃げ回ってたね。一人前になってからでも、家に行くとおふくろが
    「おまえの顔を見ると、お父さん心臓麻痺で死んじゃうから」って会わせてくれなかったもん。
―   アハハハハハ あああ〜あ (笑い疲れる)
    でも、どうなの? 親父は? 逃げながら見ると、伝次郎はどんな人?

テツオ まあ、ドン・キホーテやな。
―   ドン・キホーテ! アハハハハハハ
テツオ まあ、あんな 喜劇役者は いないわぁ。 ドン・キホーテとしか 言いようがない。
―   ヒーヒー (笑いすぎて声が出ない)確かに・・・誰と戦ってたの? ドン・キホーテは?
テツオ 誰と戦ってたんだろうねぇ、あの親父は。 ドンキホーテなら水車と戦ってたんだろうけど。
    東郷青児や 藤田嗣司が 戦争画を 描いた時にも、怒り心頭で机ぶっ叩いてたね、
   「あの野郎〜! あの裏切り者〜!」って。
    親父は 激情家だったからね。
―   夏木と 親父さんの話することあった?
テツオ 夏木さんと? ないよ! 禁句よ、親父の話は。
―   アハハハハ だって 夏木は 伝次郎 大好きでしょ?
テツオ まあ、そうかもしらんね。でもおれらの中では 禁句だった。

―   夏木と テッチャンの ベクトルが合ったって話が 今日は ヒットだったなぁ。(笑)
テツオ だから いつも夏木にくっついて歩いてたな。たぶんアイスクリーム買ってくれるからだと思う。
―   そんなお金持ってたんだ。だって井手家は、おこづかいくれないんでしょう?
テツオ うん。だから いつも畑のもの盗んで 食ってた。
    お百姓さんが 「コラ〜!」って鎌 持って 追っかけてくるんだけどね、
    お百姓さんも ちょうど腹いっぱいになった頃、追っかけてくるんだよね。(笑)
―  アハハハハハ いい時代だねぇ。
テツオ 鎌持って追っかけて来るんだよ。つかまったら殺されるぞって。まあ、逃げた逃げた。
―   てっちゃん 一生逃げてるんじゃない! アハハハハハ(笑)
テツオ 一生逃げてるねぇ! そういえば! オレ 何から逃げてるんだろうなぁ。(まじめに 考えてる)
―   アハハハハハ 何から逃げてるんだろうって・・・アハハハ 伝次郎の対極だ。

泉おじによる 伝次郎デスマスクのスケッチ。
Don Quixote と書いてある。




| 長崎8人兄妹物語 | 14:00 | comments(2) | trackbacks(0) |
Comment
「長崎八人兄妹物語」を興味深く読まさせていただいております。実は、太良は、私の故郷です。物語に出てくる、糸岐川のもう少し上流が私の実家でした。私は、1952年生まれですが、兄が戦後すぐのころ「確かそこに同級生の女の子がいた」ということを覚えておりました。私の生まれる前の風景や事柄を知ることが出来て感動しています。有難うございます。
2009/07/25 11:35 AM, from kawakami
わぁ kawakamiさん、太良が故郷ですか! 私は一度も行ったことがないのですよ。ただ映画『風と共に去りぬ』のタラと同じ地名なので、すごくなつかしい感じがする。(笑)
どういう巡り合わせで、長崎8人兄妹物語に たどりついたのでしょう? 読んでくださってとても嬉しいです。 右側のカテゴリィで 古い記事も辿れるので、見てみてくださいね。
2009/07/25 8:51 PM, from かんからかん









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