<< あびこ子ども劇場 特別公演  狂言 鑑賞会 | main | 長崎8人兄妹物語  ミヤ その2 >>

長崎8人兄妹物語  ミヤ その1

私が 小学生の頃、 代々木上原で一人住まいだった 美夜おばちゃんの家に、
遊びに行くのが 楽しみだった。
オンワードのデザイナーだった おばちゃんが、生地見本の小ギレを貼り付けたカタログや、
おしゃれな ボタンを たくさん くれたから。
結婚して、浜松や 仙台に住んでいたので、ずっと疎遠になっていたけれど、
初めて 蕨の お宅を 訪ねた。


―  井手家は、生後すぐ亡くなった長女の
   翠さんの他に、
   一番上の夏木の他 3人の女の子がいるけど、
   ミヤおばとミユキおばは、何才離れてるの?
ミヤ  私は、昭和11年生まれで、
    深雪は、昭和14年生まれなんだけど、
    深雪は2月生まれで、私は11月生まれだから、
    実質2年10ヶ月、3年ぐらい離れてるわね。
―   夏木(私の母)とは いくつ離れてる?
ミヤ  9つだと思うけど。
―   夏木は 昭和3年2月生まれだから、8つだね。
    8才離れてるとだいぶちがうよね。
ミヤ  あら、夏木姉さん 昭和2年だと思ってた。
    誕生日は紀元節だよね。
2月11日 になると、ああ 今日は
   夏木姉さんの 誕生日だなぁって 思い出す。
(夏木に抱っこされてるのが 末っ子の深雪
 イスに座ってる美夜 後ろに母親 梅子)


   兄妹の 序列

 ―  夏木は、いばってたんでしょう? 
   「いつも 夏木姉さんは、私たちのことを
    あんたたち って呼ぶ」
   って 法事で 言ってたよね。(笑)
ミヤ  だって 昔は、ほら、兄弟でも序列があるから。
―   そうみたいね。この前 桃太郎の法事の時、
    いつもはよくしゃべる キヨおじが、
    コウゾウさんとイズミさんがいたからか、
    借りてきた猫みたいに 大人しかったよ。(笑)
ミヤ  あんまり しゃべらないでしょう?
ちえ  お互い 話したことないもんなぁ なんて。 
ミヤ  ああ、そうかもね。男兄弟の 上の2人
    桃太郎と幸蔵さんは、年も近いし
    仲がいい。
    下の3人 泉、清明、徹生が
    ひとかたまりになってた。
(←夏木と美夜 男子は手前から 徹生 清明 泉)

ミヤ  イズミさんは、母さんに言わせると、すごく暴君だった。
    弟2人を 子分のように してた。 
    キヨさんと テっちゃんは、イズミさんには 頭が上がらなくて、いつも 命令されてる状態だった。

ちえ  すごかったんでしょう? 
    イズミさんの 父親に対する反抗が。
ミヤ  私はそんな感じはあまりしなかったけど。
    父 伝次郎が 帯で イズミを 
    中島川につり下げたって話は、
    私も母さんから聞いた。
    イズミは まだ小さいのに 下から じーっと 父親を にらみつけたてたんだって。 
    この子はオソロシイって思ったって。

ミヤ  母さんは、「モモタロウ、コウゾウ、ナツキと、ちゃんとしつけして、
    言葉使いや 家の中の態度もすべて きちんとしつけたのに、
    イズミが それをすべて ぶちこわした」って 言っていた。
    「イズミが 全部ぐちゃぐちゃにしたおかげで、それ以後の
    キヨさん、てっちゃんも ぐちゃぐちゃになってしまった」って。(笑)

ミヤ  確かに、イズミが うちのしつけを
    チャラにしたって面はあるよね。
    ナツキ姉さんは、かなり大人になっても、
    親に対して 敬語を使ってた。
    あの時代の ある程度の家に 生まれた子たちは
    みんなそうだった。
    親に対して 友だちみたいな 口の利き方は
    絶対しないから。
    ナツキ姉さんまでは 一応しつけもできたんだ。
    
ミヤ  イズミさん、今は 最も達観したような
    穏やかな人物になっちゃって、
    信じられないくらいだよね。(笑)
    イズミさんは、うまく年とったなぁって 感心する。 
    昆虫採集も いっぱい持ってて すごかったよね。

(後列 右=長男 桃太郎 左=美夜を抱く 次男 幸蔵 前列 右 座ってるのが 三男 泉 五男 徹生 四男 清明 着物着てるのが夏木)

    親子の 相性

―  梅子さんは 厳しかった?
ミヤ  うん。 けっこう 厳しかった。 口やかましい・・・ ていうか・・・
    まあ 私は相性が悪かったからね。
―  ふうん。 そうなんだ。
ミヤ  だから 早く家を出たし。
―  やっぱり子どもでも 会うと喧嘩しちゃうとか あるよね。

ミヤ  私もコウゾウ兄さんに 聞いたことがあるんだけど、
    「母さんは 子どもに対して平等に愛情を注いだって言ってるけど、
    私にはそういうふうに思えない」 って 言ったことがあるの。
    そしたらコウゾウさんが 「彼女(梅子)にとっての私(ミヤ)は一種の鏡みたいなもので、
    自分の一番好きでない部分が、ミヤに遺伝して 写ってて、
    自分のイヤな部分を見るかのように おふくろさんには 見えるんだよ」
って 言われた。
    ああ なるほどねって思った。
―  それはあるよね。私も 次女のアヤカと
   いつも喧嘩しちゃうんだけど、
   似てるんだわ、確かに、私の イヤな部分に。
   だから イライラしちゃうのね。
ミヤ  ふふん どうも そうらしい。(照れくさそうに笑う)
  母 梅子

―  梅子さんて どんな人? 
   私、あんまり おばあちゃんの記憶がないんだけど。
ミヤ  ああ ちゃんと教養もあって、優等生だったんだわねぇ、
    その時代としては・・
―  だって あの時代に 佐世保から、
   東京の 和洋女子に 遊学してたんでしょ?
    佐世保のミチさんに 去年の春に会った時、
   すごく梅子さんにかわいがってもらったんだって。
   梅子さんは、文章がすごくうまくて、
   手紙とかが すごく上手でねぇって 言ってた。


ミヤ 確かに教養人では あったわね。
   写真館の経理もやってたしね。
―  響写真館が あれだけ繁盛したのは、
   梅子さんの 才覚も大きかったんじゃないかって
   誰かが言ってたよ。 
ミヤ うん、ふだんは そんなにしないけど、帳簿が合わなかったりすると、
   ちょっと 見せてごらん、って言って
   ババ〜っと 帳簿見て、合ってないところを 見つけて
   合わせちゃう。
(← ツタのからまる 響写真館) 


ミヤ  それから梅子さんは、お父様はなんでもできる人だって言って、非常に尊敬してたわね。
    絵も描けるし、琵琶も弾けるし、音楽にも美術にも長けてたし、からだも 痩せてたけど 筋肉質で、
    家に 高鉄棒と 低鉄棒が 砂場のところに あったんだけど、大車輪のようなことやってた。
    なんでもできる人だって、夫を 尊敬してたわね、梅子さんは。

ミヤ  父が 亡くなった時の(母の)短歌を読んだ時に、
     ああ、やっぱり この人にとって、
    伝次郎は、永遠の夫なんだなぁって 思った。
    すごい大恋愛で結婚したんだなあって思った。
    それが 死ぬ間際になって、それこそやせ衰えても、
    やっぱりその時の 想いっていうのは 残ってるのねぇ。
    すごいなぁと思った。
    イズミさんが、その短歌を送ってくれたんだけどね。
―  へえええ 見たいなぁ。その短歌持ってる?
ミヤ  それよ! 何日か前から、チコちゃんが 来るっていうので、
    ずっと探してたんだけどね、出てこないのよ!(笑)
                        (→ 伝次郎)


       スケッチ

ミヤ  それから イズミさんが スケッチした 伝次郎の デスマスク。
―  あ それは 見たことある。
ミヤ  見たことあるでしょ? イズミさんは 非常に上手いのよねぇ。
イズミさんが スケッチする時 私も何回か 一緒に横で 描きだしたことが
あるんだけどね、
    20分か 30分して ふっと横見たら、私はもう ガ〜ン!って 感じだった。
    なんでこういうふうに 描けるの?! 同じものを描いてるのにって。
    伝次郎さんが エノキを描いたのもあるんだけどね、
―  伝次郎も 絵描きになりたかったんだってね。
ミヤ  そう。 それは知ってたんだけど、初めて1回だけ 水彩画みたいな絵を見た ことあるんだけど、
     すごい 力強い感じで、水彩というよりは なんかもう油絵みたいに 地面の木漏れ陽と、
     力強いエノキを わあああって描いてる。 九州って ああいう 大木が多いじゃない?
     親父さんのは、それしか 見たことない。 
  
     母の 一言

ミヤ 梅子さんは、長崎は けっこう ハイカラな 町だったから、
   戦前は Vogue とか フランスのファッション雑誌を 毎月 取ってた。
   それから Coty の化粧品を 使ってたのね。 
直接 取り寄せなんて その頃は できないだろうから、
   そういう 貿易会社が あったのか 代理店があったのか。 
   あんまり きれいな コンパクトだから、私は 長い間 それを 持ってたんだけど、
   自分の 引っ越しの時に、どこかへ行っちゃったんだ。
   で 梅子さんが毎シーズンとってた Vogue の 写真の部分 グラビアの部分、   手書きの部分を、 私は 小さい時 たんねんに描いて・・・ 
―  真似してたのね。
ミヤ  そう、真似してたわけね。 そしたら 母が、
   「おまえは ほんとに 飽きもせずに、こういう スタイル画をかいている。 
    そんなに好きなら 将来 デザイナーに なったらいい。」

って言ったのね。

ミヤ  それから 戦争で、
    長崎にいられなくなったし、
    太良に疎開したりで、
    それどころじゃなくなったんだけどね。
― でも 梅子さんに言われたとおり、
   おばちゃんは、ほんとに
   オンワードの デザイナーになったんだね。   

―  私も 赤ん坊の時 おじいちゃん(伝次郎)が 私を抱いて、
   「この子には、私の血が 流れてる」って 言ったらしいよ。
   私って そういう 暗示に弱いから、今 こんなことしてるのも
おじいちゃんに予言されてたのか って気になるよ。(笑)
   まるで 用意されてたかのように 写真がたくさん 発見されたし。
 
       家出

ミヤ ともかく ある時期から、私と 母は どうしてもソリが合わないというか・・・
  何をしても 私は叱られるの。 妹の ミユキは 叱られない。
    なんで 私だけが叱られるんだろう・・
―   梅子さんに?
ミヤ  そうそうそう。 便所の掃除も お風呂の掃除も みんな私ばっかり。
    ミユキはしなくていい。
―  へええ?? そうなの?
ミヤ  ミユキはしなくていい。 ミユキは勉強するけど、おまえはしないでしょう?って 言われた。
    まあ確かにそうだったんだけど。 ミユキは優等生だったから。
―  え? ミユキおばちゃんって 優等生だったの?
ミヤ  うん、ミユキは 優等生だった。小学校の時から 高校までずーっと級長ばっかりやってたし。
   ミユキは、伝次郎と梅子さんの 最後の子どもだしね、45過ぎてから生まれたし、なおかつ優等生で 素直でしょう? よく言うこと従順だったし。

―  ミユキおばちゃん
   優等生に見えないなぁ。(笑)
(深雪おばは、久本マチャミを年取らせたような、ガサガサして にぎやかな大阪のオバチャンのイメージがある)

(写真左 深雪 右 美夜 右 美夜)
ミヤ うん あんなになっちゃったけど、(笑)
   若い頃は、優等生だったのよ。
―  そうなんだぁ。
ミヤ それに 10才ぐらいまでは、
   ミユキには ずっと婆やが ついてたでしょ。
   婆やは常に ミユキの見方だし、
    両親は最後の 子どもだから可愛いし、優等生でしょ。
   私は 誰も 可愛がってくれない。 
   私なんか ものの数ではないのね。
―   なんで・・・?・・・ミヤおばちゃんだって 可愛かったじゃない。


     兄たちに 育てられる

ミヤ  だから、私はお兄ちゃんたちに 可愛がられたの。 お兄ちゃん子に なっちゃったの。
―  ああ なるほどね。
ミヤ  彼らも 私を不憫だと思ったのか、相性がいいと思ったのか、どの兄さんも 可愛がってくれた。
    桃太郎兄さんは 賛美歌を 教えてくれたり、芥川龍之介を読んでくれた。
    幸蔵兄さんは 私を膝の上にのせて 北原白秋の詩を読んでくれた。
  肺浸潤になって、しばらく長崎に帰って来てたのね、大学の時。
―  え? 軍隊に入る前? 明治大学の時?
ミヤ  そうそう。しばらく 帰って 来てたのね。その時は よく 詩を 読んでくれて、
    文学に対する目を開いてくれた。
    桃さんと イズミさんは 絵に 対する目を 開いてくれた。
    キヨさんは モミジの木で バイオリン 作ったりしてたし。(笑)


ミヤ おこづかいも ない中で、一生懸命 楽譜を取り寄せたりして練習してた。
    そういうものに 囲まれて 私は 育ったのね。
    家には 本が いっぱいあった。 レコードが たくさんあった。
    それと同じくらい、複製なんだけど、ヨーロッパの絵が こんなにあったわけ。
    それを見て、もう私は魅了されてしまったの!(昂奮して力が入る)
    なんていう世界があるんだろうって!
    それが太良に疎開してた頃、小学校の頃ね。
―  え? 太良で 小学校の時?
ミヤ  うん。それから高校ぐらいになったら、イズミさんが働いた給料で、
    ダビンチとか ゴッホとか ドラクロアの 画集を 買ってくれたのね。
    それを見て 一生懸命 模写した。
    自分にはそういう才能ないってわかってたけど、でもやっぱり好きで。            
    その頃 私はある人 ある天才に 私は 嫉妬したのね。
すごい ジェラシーを感じた。
    ミケランジェロ ダビンチ それから あとね ベートーベン。
    この3人に 対して 私は嫉妬したの!(ものすごく力こめて話す)
―   アハハハハハハ
ミヤ  その生涯がいかに悲惨なものであったか知らない。およそ幸福ではなかったかもしれない。
    でも、これだけのものが 残せたなら どんな悲惨な人生でもいいじゃないか!と 思ったわけよ。
    私が逆立ちしても、一生、絶対何も残せないことは 明々白々だと思ったの!
    それにくらべて 自分自身は 自己嫌悪。
    ああ 自分は こんなに汚い心を持ってるんだって、イヤになるくらいだった。
―  うん うん
ミヤ  だって時代を超えて、国籍を超えて、性別を超えて、人々の精神生活の中に入ってくるのよ! 
    一度 子どもの時に入ったものは 終生変わらないわよね。
    やっぱり人生捨てたもんじゃないって 思ったわね〜。
―  アハハハハハハ(おばちゃんの迫力に圧倒される)

     疎開先の 太良で

ミヤ  その頃も、そうやって 兄たちに可愛がられて、ちっとも淋しくはなかったわ ね。
     ただミユキは そういうふうにいい子だったからね、小さい時は。
だから 私の 邪魔になったの。
    特に 太良に疎開してた時は、よその畑に入って、いろんな物を、スイカとか栗とか、
   盗らなくちゃいけないでしょ。
―  アハハハハ この家でしょう? イズミさんにもらった太良の家の写真を見せる)

ミヤ  そうそう この右の木は 
桃の木なんだけど、
栗の木とか
 たくさんあった。
 で、よその畑にも入るし、
よその人も うちの畑のもの
 盗ったかもしらんね。
―  アハハハハハ 
ミヤ  後何日で あれとあれとあれが
 食べ頃だなって 思ってたのに、
いつのまにか なくなってた。
―  アハハハハハ


ミヤ  まあ、うちは 野中の一軒家だから 通行人もあんまりないんだけど。
    ミユキは よその畑に 盗みに行った時に、
「よその家のもの 盗ったら いけないんとちがう?」とか 言うのよ!
    そういう時は 邪魔なのよ。
―  アハハハハハ たしかに。

      

―  畑もやってたんだ。
ミヤ  畑は もちろんやってたわよ。 疎開した年は、やっぱりうまくできなかった。
   荒れ地だったしね、開墾してやらなければいけないんだから。
でも 2年目からは、
伝次郎さんは 盆栽が上手だったから、やっぱり 植物を育てるのが 上手なのよ。 
    野菜もね。土地の人に教わりながら、もうどんどん ほとんどの野菜を作ったよね。
    里芋だとか、粟だとか、キャベツとか キュウリとか 茄子とか トマトとか     日常食べる野菜の ほとんどは 作ってたわね。 そのほかに 薬草の たぐいも 作ってた。
    イズミさんとか 子どもたちにも 手伝わせてた。
    お米は なかったけど、ほとんどの野菜は、2年目からは けっこう 食べられた。

―  太良には、 どのくらいいたんですか?
ミヤ  5、6年いたわね。
―  6年? そんなにいたんだぁ。
ミヤ  もう やんなっちゃったよ。 もう絶対 こんな田舎に 埋もれてなるものかっ    て。
―  キャハハハ ってことは 何才から何才?
ミヤ   小学3 年から 中学2年ぐらいまでいたよ。
―  一番 町場に行きたくなる年齢だね。(笑) 
ミヤ そうそうそう! 私はもともと 町中で生まれたじゃない?
    新大工町って、長崎の中でも 賑やかだったからねぇ。
    毎日 美味しい物売ってる。
アイスクリームだの 桃まんじゅうだの 色々・・・
―  桃まんじゅう?
ミヤ  桃まんじゅうって 中華のまんじゅうがあるじゃない。

ミヤ  そう 桃まんじゅう・・・
    ともかく(苦々しげに)町中の人間なのに、こんな田舎に埋もれてなるものかって、
    もう 梅子さんにハッパかけたことがある。
    「もしいつまでも ずっとここにいる気だったら、私は家出する」って 脅かしたことある。 
―  言ったんだ? 梅子さんだって、一番 帰りたかっただろうにねぇ。
ミヤ  それは まあ 考えていただろうね。
    イズミさんとかキヨさんが 中学生や高校生になってくるわけでしょ?
    子どもたちの教育のことは 考えてたと思うのね。
    それで 話があったときに、一族郎党 関西へ 総引っ越ししたわけよ。

   奈良へ

―  なんで 長崎に戻らなかったの?
ミヤ  一度ね、浜野町で 伝次郎さんが 戦後、次の年だったか、ちっちゃなカメラ店    を開いたんだけどね。
―  長崎で?
ミヤ  そう。浜野町って にぎやかな所で。近くに 映画館もあるし。
    夏休みに、その時 初めて見た映画が 『ジャングルブック』だったの。
    その前に 『石の花』っていう ソビエトの映画と 『せむしの子馬』を 見たことがあったんだけどね、
    アメリカ映画は 『ジャングルブック』が 初めてだったの。
    総天然色って 書いてあるわけね! 絶賛上映中って!(声が昂奮してくる) 
ちえ  へえええ。
ミヤ  それを おやじさんがおこづかいくれて 初めて見たのね。
    もう それから 映画に取り憑かれちゃった。
ちえ  誰が?
ミヤ  私が。太良では 映画は どうしようもないでしょう? 夏休みにしか 見られない。
    だけど 幸いなことに 井手家は 奈良の天理に 引っ越したの。
    天理には・・・

     映画館

ちえ  あ、 天理には映画館があったんだってね。キヨおじが言ってた!(笑)
ミヤ  そうそうそうそう! (急に 力強い声になる)
    そこに! それが、私の! 天理で!
    一番仲がよかった ナカオのアヤちゃんって子の お父さんが 経営してたの。    だから 毎週毎週 映画が 代わるたびに タダで 新しいのが 見られるの!
―  キャハハハ 撮影室から? ニューシネマパラダイスだね!(笑)
ミヤ  そうそうそうそうそう!(もう昂奮して すごい早口) あの 上の小窓から     見たこともあるし、客席から見たこともあるし。
    満員の時は 立ってくださいよって 言われたけどね。
―  うんうんうんうん(笑)
ミヤ  もう 毎週毎週 映画を見られたの! 
    来る日も来る日もアメリカ映画からヨーロッパ映画から・・・
    それから 奈良にも映画館があって、そこもアヤちゃんの お父さんが株主だったらしく、
    奈良でも見せてもらった。それでも足りなくなると、大阪まで行って、
    ポスターも 野口久光さんの手書きのポスターとか たくさんもらった。
    結婚して、高松に引っ越す時に、どうしよかなぁって思ったのよ。
―  プレミアもんだね、今だったら。
ミヤ  そう! 今だったらねぇ!(くやしそうに)それを 全部処分しちゃったのよ。
―   ありゃりゃりゃりゃりゃ・・・
ミヤ  しまった〜!失敗した〜って思ったわね。 後で もう浜松へ行った頃になってやっと気づいた。
    他のものは 捨てても、あれは置いておけばよかった〜。(笑)
    アヤちゃんのお父さんに 奈良の映画館を2つと 天理の映画館をタダで見せてもらって、
    それでも足りなくなっちゃうと・・
―   プ (吹き出す)
ミヤ  封切り映画は、大阪でしかやってなかったの。
    しょうがないから 大阪まで見に行った。
―  へえええええ
ミヤ  それはね、給食費として パンの代金を梅子さんが くれるわけ。それを 食べない。
―  ええええ?
ミヤ  昼食は 食べないで、(笑)貯めてぇ、大阪まで行ってぇ、映画観る。
―  え? 何年生? 高校生?
ミヤ  うちはもう おこづかいくれない家だから、しょうがないのよ!
    お正月にお年玉しかくれないんだから!
    パン代を食べないで 貯めたお金で、封切り映画観るために、大阪まで行ったんよ!
―  へええええええ。
ミヤ  『戦場に架ける橋』とか 『風と共に去りぬ』とか。
    やっぱり大画面で観たい時は、大阪まで 行ったの。

(話の迫力に圧倒される。どうも キヨアキおじも ミヤおばも 奈良の 映画館の話になると、昔の昂奮が甦るのか、ものすごい臨場感があった。 おかげで 井手一家が なぜ 長崎に戻らなかったのかは わからなかった。笑)

      家出    

ミヤ 私は、梅子さんに ことごとく 叱られて、 でも 叱られないように 母親に迎合する自分はイヤで、
    家を 飛び出した。18才か そこらで・・・でも、飛び出したその日に、私は 後悔した。
すごい就職難の時代だったんだけど、私より できない人でも
    コネさえあれば、 友だちは どんどん 就職してった。
    うちは、 そういうこと まったく やらないから、いっつまでたっても私は就職できない。
    だから、神戸に行った コウ兄さん(コウゾウ)を頼って、ちっちゃいコロタイプ印刷の
    零細企業に入れてもらったの。 (つづく)


(その後 ミヤおばは、親に頼んで 大阪の衣服専門学校に 通わせてもらい、
関西アパレル業界のドンと呼ばれた 立亀長三に 気に入られて、オンワードの試験を受け、東京本社に採用。 夏木を頼って、上京した。)

(写真はすべて 井手伝次郎撮影 去年発見された ガラス乾板を タケミアートフォトスに 焼き付けてもらったもの)


| 長崎8人兄妹物語 | 22:13 | comments(2) | trackbacks(21) |
Comment
ミヤおばさんかっこいい!!兄弟も八人になるとドラマもすごい、個性派の八人だものね。自分のことこんなに客観的にわかってるなんてね!親は大変だったでしょうが、、だんだんお知り合いの気分です。
2009/04/18 8:16 PM, from やまねこ
美夜さんと言うお名前からしてなんて素敵なんでしょう!
三人の天才が心に中に入ってきちゃうんだから!
それこそ、美夜さんの言葉が時空を超えて(といっても、ベートーベンより近そう)私の精神生活に入って来ました。笑
おばんのIT革命・・・これからどんなタペストリーが織りあがるのかなぁ 
ごり押ししているのが誰なのか、わからなく成る程の力が働いてるんじゃ?
2009/04/19 3:28 AM, from じゅんじゅむ









Trackback
url: http://kankarakan.jugem.jp/trackback/708
-
管理者の承認待ちトラックバックです。
2009/09/18 10:40 AM, from -
-
管理者の承認待ちトラックバックです。
2009/09/18 11:32 AM, from -
-
管理者の承認待ちトラックバックです。
2009/09/18 5:08 PM, from -
-
管理者の承認待ちトラックバックです。
2009/09/21 4:24 PM, from -
-
管理者の承認待ちトラックバックです。
2009/09/21 8:13 PM, from -
-
管理者の承認待ちトラックバックです。
2009/09/21 8:13 PM, from -
-
管理者の承認待ちトラックバックです。
2009/09/21 8:47 PM, from -
-
管理者の承認待ちトラックバックです。
2009/09/21 8:47 PM, from -
-
管理者の承認待ちトラックバックです。
2009/09/21 8:55 PM, from -
-
管理者の承認待ちトラックバックです。
2009/09/22 7:33 PM, from -
-
管理者の承認待ちトラックバックです。
2009/09/22 8:07 PM, from -
-
管理者の承認待ちトラックバックです。
2009/09/23 10:08 AM, from -
-
管理者の承認待ちトラックバックです。
2009/09/23 11:01 AM, from -
-
管理者の承認待ちトラックバックです。
2009/09/23 4:33 PM, from -
-
管理者の承認待ちトラックバックです。
2009/09/23 5:27 PM, from -
-
管理者の承認待ちトラックバックです。
2009/09/23 6:26 PM, from -
-
管理者の承認待ちトラックバックです。
2009/09/23 8:55 PM, from -
-
管理者の承認待ちトラックバックです。
2009/09/24 12:37 AM, from -
-
管理者の承認待ちトラックバックです。
2009/09/24 12:44 PM, from -
-
管理者の承認待ちトラックバックです。
2009/09/24 2:50 PM, from -
-
管理者の承認待ちトラックバックです。
2009/09/25 2:23 PM, from -

07
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
--
>>
<<
--
Profile
New entries
Archives
Categories
Recent comment
Recent trackback
2007年3月からのアクセス
無料WEBツール広告
長崎 幻の響写真館 井手傳次郎と八人兄妹物語
岡村幸宣『原爆の図全国巡回』占領下100万人が見た

鈴木道子
Sweet & Bitter
Mobile
qrcode
Links
Others
無料ブログ作成サービス JUGEM