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長崎8人兄妹物語 コウゾウ イズミ キヨアキ 3兄弟対決 その1

    太良から 伊万里へ

チエ   コウゾウさんは、長崎で モモタロウとナツキと再会してから、
     家族が疎開していた佐賀の太良へ 行ったんですか?
コウゾウ 行きました。 そこに しばらく1年半くらいはおったかなぁ。 いいところでしたよ。
     その後 佐賀、伊万里の炭坑に行きました。
チエ   炭坑にいたんですか?
コウゾウ 2年ぐらいおったんかな。 生活は楽だったんですよ。炭坑は。
     住宅も支給されましたしね。 みんな飢えとっても、炭坑の人間は、優遇されたんです。
     石炭の時代やったから。
チエ   戦後の 復興のため ですね。
コウゾウ そうそうそう。だからほとんど復員してきて、職のない人は、
     ほとんどみんな炭坑で働いたんですよ。
チエ   そうなんだ。井上光晴の小説『虚構のクレーン』ていうのを読んでいたら、佐世保の炭坑で、
     強制連行された朝鮮人がたくさん働かされていたって書いてありました。 
コウゾウ ケンカが絶えませんでね。  殺人事件も多かったしね。
     佐賀の方の炭坑は、福岡の方みたいな 縦坑やないんですわ。
     地下に垂直に穴を掘っていくのは、 縦坑というのですが、
     斜坑といって斜めに掘っていくんですわ。
チエ   落盤事故とかも多かったですか。
コウゾウ 事故もありましたけど、斜坑は斜めに掘っていくので、穴が浅いですから、
     崩れる危険も少なくて、 縦坑ほど事故は多くはなかったですね。

チエ  キヨさんの話では、その後 伝次郎は 写真の仕事を一緒にやろうと 奈良の印刷所に呼ばれて、
    奈良に 家族ごと 移ったんだけど、伝次郎は奈良の社長の言うこと聞かないし、
    後から入ったコウゾウさんは、組合を作ったので、
    社長は 飼い犬に噛まれた状態になったって キヨアキに聞きましたよ。
コウゾウ ああ、ああ。伊万里の炭坑でも 組合作って暴れたから、問題になって追い出された。(笑)
     もう 戦後はあっちこっちですよ。東京の神田でも仕事したし、千葉の姉ヶ崎にもいたし、
チエ  ええ? 千葉にもいたんですか? クジラ獲り?(笑)
コウゾウ もう あっちこっちよ。 いろいろ ありまっせ! また書いて送りますよ。(笑)

  兄弟の ズレ

(私が 初めて話を聞くコウゾウさんの話に 集中している間、さきほど渡したキヨアキのインタビューの プリントを読んでいた イズミさんが 大きな声で)
イズミ 正確には、これは、問題があります。
チエ  あるでしょう? そう言われると思って、あらかじめお送りしなかったんです。(笑) 
    兄弟はだいたい、 それぞれ記憶してるところが違いますからね、
    兄弟は食い違っているのが当たり前なんで、
    また、そのズレが こちらは 面白いわけですから。(笑)

(イズミさんが、むずむずしてらっしゃるようなので、インタビューを イズミさんに向けることにする。)
  伝次郎は どんな父親か

チエ  イズミさん、お父さん(私には祖父)の 伝次郎ってどんな人でしたか?
イズミ 伝次郎?・・・まあ、あれは、ある意味反面教師というか・・・勉強になりました。
チエ  勉強になりましたって(笑) ああは なりたくないってこと?
イズミ 僕と 似てるところもある。
チエ  イズミさん 似てるんですか? どういうとこ? いろんなことに 凝り性なとこ?
        

チエ  すごい凝り性ですよね、伝次郎は。 いろんなことに趣味人だし。
    キヨアキおじの話では、
    あの響写真館も 全部 自分で 設計して作らせたとか。
    ガーデニングの 元祖じゃないかってくらい庭にも
    盆栽にも凝ってたとか 
    疎開する時 トラック5杯分くらいの レコードがあったとか・・(笑) 
 
イズミ 伝次郎はね・・・趣味人というよりは・・・やっぱり写真が一番じゃないですかね。






イズミ  ある時 母が料理を作ってね、
     母は・・・料理はヘタじゃなかったと思うんですけど
      伝次郎は こうやって・・
     (お膳を前に押しのけるしぐさ)
     「食えん」と言ったことがあるんですよ。
     「まずくて 食えん」って。
      そしたら母が
      「そんなこと言わないでくださいよ。
         いろんな日がありますよ」って
      (女形みたいな言い方で悲しそうに言う)言ったんですよ。
コウゾウ  それにも理由があるんですよ。
      オヤジは 総入れ歯になるのが早かったから。それが原因ですよ。
チエ   アッハハハハハハ

イズミ  なるほど! そうかもしれないですねぇ !(うれしそうに)うん。
     しかしひどいでしょう? 自分のことは棚に上げてね。
      母もやっぱり昔は「スミマセン」(ははぁとお辞儀するしぐさ)
     と言ってたんでしょうけどもね、
      もう母親もだいぶ伝次郎がモウロクしてきたってわかってましたから、
     「私だって毎日のことですから・・・色々な日がありますよ」とか言ったんだな。
     そしたら父が「私だって毎日 写真を焼いているが、そういうことはありませんな」
     とかなんとか そんなこと言ってケンカしてました。はっははは。
チエ   アハハハハハ さっすが伝次郎だね。

  イズミの始末で 学校に 呼ばれる

チエ     伝次郎は、父親として、恐かった?
イズミ   いや、僕は あんまり 恐くはなかったですけれども・・・
チエ    なんか キヨおじの話では、イズミさんは 縄で吊されて 西山川のガケにつるされても、
      平気で伝次郎をにらみつけてたとか 言ってましたよ。(笑)



イズミ  それは、母も言ってました。
       崖につるされても、
泣きもしないで、
     父親をにらみつけて強いって・・
チエ   アハハハハ

コウゾウ コレ(イズミ)と
    コレ(キヨアキ)は
       きかないきかない。
チエ   アッハハハ すごかった?

コウゾウ  それで 学校に 僕が 呼び出されたことがあるんですよ。
チエ   アハハハ そうなんだ!
イズミ  そうそう! 僕が あんまり成績が悪いからですよ。(得意そうに)
      後ろから何番目かで及落会議にかかったんですな。
チエ   親の代わりに? お兄さんが 呼ばれたの?
コウゾウ うん・・・僕が・・もう・・・オヤジみたいに・・・(思い出して イヤそうな顔)
イズミ  そうそう(得意そう)オヤジも、あんまり度々だからね、「たいがいにしてくれよ」って
言ってたよね。
コウゾウ もう・・・・・・・(苦虫かみつぶす)
チエ   アハハハ なんで 長男のモモタロウじゃなくて、コウゾウさんなの?
コウゾウ モモタロウも 何度か行かされたんですよ。 今度はおまえが 行ってくれって。
チエ   アハハハハ(笑いころげる)
イズミ  かわいそうなもんですよ。僕はロクなことしてないから。(兄貴に同情してるのか? 笑)
 
 タテガミ

イズミ チエさんが まとめたキヨアキの記事はね、大方は合っていますが、
  正確にいうと ちがっています。
チエ   あ そうですか? イズミさんは 髪の毛 ザンバラに伸ばして
   先生にハサミ持って追いかけられてたって。(笑)
イズミ  いくら僕でも、戦時中は ザンバラじゃありませんよ。
 タテガミは伸ばしてましたけど。 伸び放題に。
チエ    タテガミって何? (笑)
イズミ  上は 丸坊主でも タテガミは伸ばしてたんです。ボサーっとね。
チエ   (一体 どういうスタイルじゃ 笑) 
イズミ   先生にハサミ持って追いかけられたのは、ヒゲを伸ばしてたからなんですね。
      ヒゲも今は このように真っ白ですが 真っ黒ですからね、鹿島中学を訪ねてきた人に
     「先生ですか?」って 聞かれたことあるんです。
チエ   アッハハハハハ
イズミ  それで、先生に ハサミ持って追いかけられたことありました。
     戦後は、一番早く長髪にしましたね。

イズミ  つまり、その頃はね、あそこは葉隠れ教育の 佐賀鍋島藩ですからね、
     丸刈りで、目上の人を敬って、そんな学校で・・・
チエ   それって 長崎の井手家と まるでちがいますよね?
イズミ  まるで ちがいますね。
チエ   でも 父親は敬ったでしょう? 父親 絶対でしょう?
イズミ  いや、僕は 敬ってもなんでもいません。 母親にも 小学生の時から口答えしてました。
    「なんばいいよっとか!」って。  

  ナツキを ぶんなぐる


イズミ 僕は・・・・ワルかったですね・・・・(急にくちごもる)
    一度 ナツキを ぶんなぐったことあるんです。
チエ  え?  イズミさんが? なんで?

イズミ なんかしらん。
    ナツキは
勉強はよくできるし、
    いつも僕は
 姉さんと比べられて・・・

チエ  アッハハハ 
    それって ヒガミじゃない。

イズミ そうです。 しゃくにさわって・・・
    ぶんなぐったら、それを また母親に言いつけて、
    説教くらって・・・・・
チエ  アッハハハハ(笑いころげる)
イズミ まあ そんな思い出も ありますな。


  兄妹でも 住む環境はちがう

チエ  (コウゾウさんに) お兄さんから見て どうだったんですか?
コウゾウ ほとんど知らんねぇ。 僕らは 年が離れてるでしょう?
イズミ  つまりナツキはね、 上の2人(モモタロウ コウゾウ)との接触も ある程度 あるでしょう?
     僕との 接触も ある程度はあります。
     でも キヨさんと テツオさんとの接触は あまりないのではないのではないでしょうか。
     僕にしても 年齢は近いけど、住む環境は全然違いますから。
     僕なんかとは対照的に、ナツキさんは デキがよかったですからねぇ。
     僕なんかにすれば、シャクに さわることが多かったですねぇ。

チエ  (笑)じゃあ コウゾウさんと ナツキは仲良し?
コウゾウ いやぁ、ちょっと年が離れてるしね。
    (コウゾウは大正11年生 ナツキは昭和3年)
イズミ  中の子が死んだから。
チエ   ああ、そうかぁ。 ミドリさんね。

(次男コウゾウの下の長女ミドリ(大正14年生)は
 生後10ケ月で亡くなった。

 それで次に生まれる子は、男でも女でも、
 夏の木のように丈夫に育つようにと、
 2月生まれの母の名前は生まれる前から
 夏木と決まっていた)



イズミ ナツキ姉さんは
    伝次郎にとっては、初めての 女の子だから
    嬉しかったんじゃないでしょうか?

チエ  写真館も 戦況悪化前の
    一番いい時代だったみたいだし、
    ナツキの写真は 多いですね。
    写真家としても、伝次郎が
    一番 油がのってる 時期だった 気がする。



コウゾウ 僕が昭和15年に 多摩美に入って 東京へ行ったのが、
     もう別れですよね。
   僕は 21才には、軍役について 外地へ行ってしまったから。
(後でコウゾウさんが送ってくれたノートによると・・)
 それとは別に、私の15才の時には同胞(兄弟)の増加のため、
離れの別棟にモモタロウと同居した。
しかも受験勉強に専心していたから、
ナツキのセーラー服姿を見た記憶もないほどだった。
ナツキは日常の瑣事は、同姓のお手伝いさんたちと親しんでいた。
「お嬢様」「お嬢様」だった。
性格の問題もあった。彼女はおっとりして無口だった。
「夏木が男だったらなぁ」と父がよく言ったと母から聞いていた。
「コウゾウは人が好すぎて頼りない」とも。
 とすれば、私たちはウマが合わなかったのかもしれない。
2人とも我が道を行く幸せな時代だった。



  モモタロウとコウゾウの 東京下宿生活

チエ  モモタロウも多摩美だったですよね? コウゾウさんも 多摩美だったんだ。
コウゾウ モモタロウはちゃんと卒業したけどね
    、僕は入ってから3年くらい行ってから、イヤになって明治大学に移った。
チエ   え? なんで? 転校したの?
コウゾウ 絵 うまくないもん。 いやいや、受験し直した。 


 

チエ   明治大学は 何学部に入ったんですか?
コウゾウ 政治経済。
チエ   へ〜ええ へええ。モモさんと東京で一緒に住んでたんですか?
コウゾウ それが さっきの写真にあったツチヤさんの おばあさんのところに住んでた。
    桜田門のまん前。警視庁のとこ。
チエ  ぎゃ なんてすごいとこに下宿してたんだ。
ムツコ その前は松濤にも いたんだよ。
チエ  へええええ いいところばっかにいたんだね。
    モモタロウと東京で何年くらい一緒にいたんですか?
コウゾウ 3年くらいかな。
チエ   じゃあ モモさんとが一番仲良しだね。
ムツコ  そうねぇ。 後の人は みんな歴史が違うからねぇ。(笑)

山登りと昆虫採集

イズミ コウゾウさんが 東京に行く前、長中(長崎中学)の頃は、
    よく 山登りに連れて行ってくれましたね。長崎の 日帰りで帰れる山に。
チエ  へえええ。彦山?
イズミ  彦山も もちろん行きますし、他の山にも連れて行ってもらいました。
チエ   へえええ コウゾウさん、山 好きなんですか?
コウゾウ ええ 山 好きですね。(楽しそうに)
イズミ  それで コウゾ兄さんには かわいがってもらいました。

チエ  それで 今 イズミさんは 虫とか 蛇とか好きなんですね。

(イズミさんは 蛇や蛙をたくさん飼ってて、 奈良の千石先生と言われている。新聞にも記事を発表している。でかける時も 蛇を抱えてきたりするのが 困る。)


イズミ 僕がちょっと 体が弱った時に、コウゾウ兄さんが 気分転換にって
    昆虫採集を教えてくれたんですよ。それが大変刺激になったんですね。
    密かに 兄に負けじと やっていたので。
    しばらく夢中になってやってたら、そんな残酷なことやるなって言われましたけど。
チエ  ネモトの父とネモトもずっと昆虫採集やってたんですよ。父は鱗翅学会に入ってました。 
コウゾウ ほう。 こっちはそんな高級なもんじゃないですが。 昆虫採集やってたんですか。
(ネモトに)そういえば養老さんにソックリやなぁ。(笑)
チエ   だれ? ああ、養老孟司ね。『バカの壁』の。 養老先生も昆虫採集好きだから。アハハ
    そういえば似てるかも。
コウゾウ ほんとほんと。 ソックリやなぁ。(笑)



  海水浴


キヨアキ 山もだけど、海水浴にも 連れていってもらった・・・・・。

(あれ? そういえばキヨアキおじ、 今日は借りてきた猫みたいに大人しいね。笑
兄妹でも、コウゾウさんとはほとんど接触ないらしく、コウゾウさんに遠慮してしゃべらないのか? 笑)


チエ  コウゾウさんと一緒に歩いたことあるの?
キヨアキ 歩いたことは・・・・ないね。
イズミ でも行ってはいるだろう。お供して。



チエ  コウゾウさんとキヨさんは、いくつはなれてるの?
キヨアキ 9才かな。だからほとんど 交流ないよね。
コウゾウ ないねぇ。(しみじみ言う)結局・・・こんな(小さい赤ちゃんを手で表す)ですもん。
キヨアキ そっちが(おい、名前で呼びなよ 笑)・・・兵隊から帰ってきて、奈良に行ってからだよね。
コウゾウ うん、そうそう。それから、初めて「コンニチワ」みたいなもんや。

チエ  アッハハハハハハ(笑いころげる) コンニチワって・・・
コウゾウ ほんともう・・・・こんな、弟とも思ってないよ。
チエ   アハハハ そ、そんな・・・
コウゾウ 小さかったもんなぁ、おまえら!(つくづく思い出したように言う)
チエ   アハハハハハハ
コウゾウ 写真あったでしょ? こんなもんですよ。



キヨアキ ナツキさんぐらいで、そっから上と 我々下では、まったく断絶してるのよ。
チエ   そうなんだぁ・・・・(笑)

イズミ  ナツキさんはね、小学校に上がるか上がらない頃には
     大変かわいがってもらったですよ。
     優しかったですよ。
チエ   それなのに ぶんなぐったんでしょ?(笑)

イズミ  いや、それは、ただ・・・あんまりできるから・・・ついこっちがひねくれちゃって・・・
チエ  アハハハハハハハ(笑いすぎてお腹が痛い)
     おかしい〜。 (つづく)



※写真は すべて 井手伝次郎 響写真館。
昨年発見されたガラス乾板1178枚の中から 選んだ。
焼き付けは タケミ・アートフォトス。
今なら どこの家庭にも これくらいの 家族写真がたくさん あるが、
この時代には、 写真館でなければ 珍しかったであろう。
長崎8人兄妹の 記録に 自由に 発表できる めぐり合わせに 改めて感謝する。






  



  


 


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古谷田奈月 『ジュンのための6つの小曲』

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