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長碕8人兄妹物語  キヨアキ その1

キヨアキは、母 夏木の弟で 8人兄妹の5番目。 昭和6年生まれの 77才。
去年の8月も 原爆前日 ナツキが どこにいたかで 電話でインタビューしたが、
(長崎8人兄妹物語 ご要望により カテゴリィ独立させました。 右サイドのカテゴリィから 過去の記事見られます。)
7月 キャンプの申し込みに 船橋市役所まで行ったので、近くに住んでいる叔父を呼び出した。
ボタンダウンの 綿シャツの下に 丸首のTシャツ。 黒髪も若々しく いつも同世代の気分で話してしまう。(失礼)
ちょっと 辻褄の合わない話をする おばちゃんと2人暮らしで、老老介護の日々。
おばちゃんの デイサービス中に 話を聞いた。 明日と 2回に分けて 紹介します。


   疎開

キヨアキ  ちこちゃんも大変だねぇ、忙しいのに。 これを 仕事にしたら? もう してるのか。
ちえ    アハハ。 でも この長崎8人兄妹物語は なぜか人気があって 本にして とか言われるよ。(笑)
      おじちゃんが 長崎から 佐賀県の 太良に 疎開したのは 何才の時だったっけ? 小学生?
キヨアキ  いや〜 高校だったか・・・中学だったか・・・
ちえ    太良に疎開してから 軍事教練とか あったでしょ?
キヨアキ  軍事教練? うーん 忘れた。 まもなく 終戦だったよね。(あやふや)
      そういえば、食糧増産の勤労奉仕 に行って 畑を開墾して ソバを植えたりしたなぁ。 (後から思い出して 電話くれた)
      部落別の競争システムになってて 成績が悪いと 神社で上級生の 制裁を受けた。
      「このまま 帰れると思ったら ちがうぞ!」と 境内で 正座して 殴られた。 わけわかんないよね。
      団結の士気を高める 見せしめだったらしいけど。

ちえ    夏木の幼なじみの タエ子さんに インタビューした時、昭和20年の 春に 響写真館が 長崎を引きあげて
      佐賀に疎開したと聞いて びっくりしたんだって。
      だから 太良に移ったのは 20年の春なんだよ。 タエ子さん、知ってるでしょ? 
キヨアキ  うん。 会ったことはない・・・ 覚えてない・・・(テンション低い)
ちえ    学徒動員の時 毎朝 タエ子さんがナツキを迎えに来て、遅刻したら大変なのに、
      夏木さんはいつも寝てて なかなか 起きなかったっんだって。
  私の弟の タカシが ねぼすけなのは 母親譲りだったんだねぇ。
キヨアキ  そんなこと ちこちゃんが 一番知ってるだろ。(急にテンション上がる)
       「あら、もう朝なの〜? あら、タイヘンだわぁ 今日は学徒動員の日じゃないの〜。」 
      てなもんじゃない? ナツキ姉さんは。(笑) 
ちえ    アハハハ だって 毎日が 学徒動員でしょうよ〜。

キヨアキ  ふ〜ん 疎開したのは 20年の春か。 春だったのかねぇ。
      僕は佐賀の 鹿島中学に入ったんだ。(だんだん思い出す)
      長中(チョウチュウ= 長崎中学)2年の時に 転校した。
ちえ    昭和20年に 佐賀県の 太良に疎開ね。 その時 何才? 終戦の年が 何才?
キヨアキ  わかんない。(テンション下がる。)
ちえ    え? (おじちゃん 細かいこと覚えてるのに 妙に数字に弱いね。 笑)
      15才くらいじゃない? 夏木が17才だったんだから  14かな。 3才下でしょ?
キヨアキ  だろうね。 知らんけど。(どうでもいい 感じ)
ちえ    なんだよ〜(笑) 何年生まれ?
キヨアキ  昭和 6年。

   長靴 と ロン毛 

ちえ    疎開先では いじめられたって 前に 言ってたよね。
キヨアキ  いじめられたって言うか・・・まあ、疎開民は 僕に限らず 歓迎は されなかった。 余計者だから。
      でも その中でも モテる人もいた。 泉(イズミ= すぐ上の兄。 夏木のすぐ下の弟)は モテた。
ちえ   モテるって 男にモテるってこと? 男女別でしょ? 男子校でしょ?
キヨアキ  モテたって言うんじゃないけど・・・すんなり、そんなに・・・いじめられなかった。
ちえ    イズミさん 威厳があるからね。
キヨアキ  威厳があるっていうか・・・ああ、 そういえば 威厳あるねぇ・・・・変わってたよ。
      ・・・・・長靴はいて、 髪の毛 長くて(肩まで のしぐさ)・・・・
ちえ    え? 長いの?(叫ぶ) その時代に? 戦時中に 肩まで 髪伸ばしてたの? 許されるの、そんなこと? 
      アハハハハハ おかしくない?
キヨアキ  1年中 長靴はいてた。  おんなじ 長靴。
ちえ    なんで? なんで? (叫ぶ)
キヨアキ  知らんよ。 長靴だって 靴だって そう自由に手に入る時代じゃなかったのに。 まあ、それ(長靴)が 便利だったんじゃない? 夏は 暑かったと思うけど。
ちえ    ヒックヒック(笑いすぎ) 長髪が なんで 許されたの?
キヨアキ  許されないよ。  許されないけど・・・・・
ちえ    それでも 変えなかったの? だって先生に 暴力ふるわれるでしょ?
キヨアキ  逃げ回ってた。 で、先生が、ついにある時 ハサミを持って 追っかけてきた。 そういう事件があった。
ちえ    そりゃ、そうだろう。(笑) 
キヨアキ  それでも 逃げ回って 切らさなかった。
ちえ    結わえてたの?
キヨアキ  いや、・・・・結わえてなかった・・・・
ちえ    ザンバラ?
キヨアキ  うん。 ザンバラ。
ちえ    アッハハハハハハ(のけぞって爆笑) おかしいよ〜 (ヘンって意味) おかし過ぎる。
キヨアキ  それで、イズミが拒否したから、親父が呼ばれた。
ちえ    そりゃ 呼ばれるでしょう。
キヨアキ  戦争の最中であれば、もっと厳しい、そんなものはもう退学させられるだろうけど、もうその時は・・
ちえ    あ、戦争の最中じゃないの? 戦後 髪を伸ばし始めたの?
キヨアキ  いや、20年だよ。 たぶん、伸ばしはじめたっていうか、切らないで放っておいたんだろうね。 
ちえ    っていうか イズミさん 疎開しなかったんじゃなかったっけ? 断固として長崎を離れずって。
キヨアキ  いやいや 疎開した。
ちえ    奈良に住んでる イズミ叔父にも 一度 話聞かなきゃ。(笑)
キヨアキ  いやいや 一緒に 太良に行ったよ。 一緒に 疎開して 長崎の頃からの髪を 切らないで放っておいたんだね。
      で だんだんに伸びてきて こうなって(肩までのロン毛のしぐさ)それくらい長髪になった時には
      もう1年ぐらい経ってるわけよ。だから もう当然 終戦になってた。
ちえ    ああ、そうか。
キヨアキ  戦時下であれば、もっと厳しかったかもしれないけど、先生がハサミ持って
追っかけまわすくらいで 済んだわけだ。
      鹿島中学というのは 佐賀県の中でも かなり厳しい学校でね、名門で 東大進学率を 誇ってたけどね。
ちえ    進学校なの?
キヨアキ  うん。 だから 転校した時に、試験があるんだ。
      普通は 転校生は そのまま 県立なら入れるんだけど、鹿島中学は試験があったんだ。
      こっちは チョウチュウだったからね。 長崎中学。 なんだ、 チョウチュウに比べれば
      サガなんて 下の下だ 生意気にテストなんかしやがって って 思ってたわけ。(笑)
      こっちは勉強できないからさ 試験なんかあって ブーブー言ってたわけよ。 
      まぁ、なんとか入ったからよかったけど。 

   入学式の 事件 

ちえ    じゃあ 佐賀の 鹿島中に移る前に 長崎の 長中の段階で 学徒動員にあった?
      13才だと ないのかな?
キヨアキ  どうだったかな・・・。(学徒動員が 始まったのは20年の1月)
ちえ    軍事教練は?
キヨアキ  軍事教練はあっただろうねぇ。 長中(チョウチュウ)は あったよ、もちろん。    
     「天皇陛下」 って言ったら もう 気をつけ しなきゃ いけなかったからね。
      それで 笑って 捕まったりさぁ 色々あったけど。
ちえ   誰が?
キヨアキ 私が。 入学式の日に。
ちえ   入学式の日に?! なんで 笑ったの?
キヨアキ おかしかったから。(笑)
ちえ   アハハハハハハ
キヨアキ おかしいじゃない みんなシ〜ンとしてさ
ちえ   アハハハハハハ
キヨアキ だいたい、井手家の中では 天皇陛下なんてそんなものは  なんも。
     あの時代に って言うけど、まったく親父もおふくろも 無視してたよね。無視はしてなかったかもしれないけど、 
     天皇陛下に 関心が ない。 神様だなんて 思いもしてないだろうし。
ちえ   それって 隣組で チクられないの?
キヨアキ 来ないけど・・・・まあ、井手の親父は もう ああいう奴だって・・・
ちえ   変わり者で 通ってるわけね。 うしろ指さされてた?
キヨアキ どうかな。
ちえ   でも 写真館が 繁盛してたから 最初は 一目おかれてたのかな。
キヨアキ 親父が 写真館の下に コンクリートのシェルター作って 空襲が来ると 近所の人たちを かくまってたんだよ。
     母親は 気を遣う人だったから みんなに 焼きおにぎり 配ったりしてね。
     焼きおにぎりは 美味しいけど 空襲と結びついてるから キライなんだ。
ちえ   じゃあ 近所からは 頼られてたんだね。
キヨアキ うん、嫌がらせとかは なかったな。      
ちえ   でも 仕事 なくなっちゃったんだってよ。 兵隊の写真なんか撮りたくないって 拒否したから 警察に呼ばれて
     伝次郎(キヨアキの父 私の祖父)ボコボコにされたんだって。モモさん(長男モモタロウ)言ってたよ。
キヨアキ  まあ、それもあるけど 第一 スタジオ撮影なんて 誰も撮ってる状況じゃなかったしね。 
      あと お弟子さんたちを 全部 兵隊に取られちゃったから 仕事にならない。
ちえ   ああ お弟子さんが 10人くらい いたみたいだもんねぇ。 写真にも 写ってた。 
     それに 伝次郎が 兵隊の写真は撮らない って 反抗したから 軍からの配給もなくなっちゃったんだって。
     兵隊の 写真の仕事は たくさん あったのに。
キヨアキ  そうか。 

   家訓

ちえ   おじちゃんが 入学式で 捕まった話に 戻そうよ。 
キヨアキ ああ ああ。 それは、だからぁ、 そういう 家風だからぁ、 もう染みついてて・・・・
     何にも 親父は 言わないよ。 教育がましいことも 一切言わない。
ちえ   言わないんだ。
キヨアキ 言わない。 勉強しろということも あまり言われない。
     徹底的に言われたのは 「他人に迷惑をかけるな」 それだけは はっきり 何回も言われた。 家訓なんだ。
     そしたら、 夏木さんは どうかしらんけど ミユキ他 全員が 「自分はひとに 迷惑かけまくっておいて よく言うよ。」とか
    「親父は 存在自体が 迷惑だ」「そういう人間が そんなこと言う資格ない」とか コテコテに言ってたよ。(笑)
ちえ   アハハハハハ そうそう 言ってたね。 東京都写真美術館に 響写真館の写真を納めた日も。
キヨアキ  そう みんな コテコテに 言って そう言わなかったのは 僕だけなの。
ちえ    あ そうなの?
キヨアキ  うん。「いや みんな それは 違うんじゃないか? 親父は 自分が迷惑かけてることも 知ってて
      だから ひとに迷惑かけるなって言ってるんだよ。自分が 迷惑かけてないとは 言ってない。(笑) 」
ちえ   アハハハハハ (爆笑)
キヨアキ 親父は 人に 迷惑かけることを 一番恐れてたね。 やっぱり 個人主義的な考え方があったんだろうね。 

   平凡に 生きてくれ

キヨアキ  おふくろは、 ちっちゃい時には 折りにふれて 悪いことしちゃいけないとか そういうことは言われたよ。
      原則として うちは こづかいはくれなかった。 なんでも おふくろが 買い与え、 お菓子も買い与えた。
      よその子は お祭りの時 1円でも イカ焼き食べたり カード買ったりして うらやましかった。 
      イカ焼き食べたくて こっそり買ったことがあって おなかこわすから ダメですって 怒られた。
      でもまあ その程度の 締め付けしか 家庭の中には なかったんだ。

キヨアキ   ある程度 大きくなってから おふくろに言われたのは、
       私が 子どもに望むことは 兄妹仲良くしてほしい、 兄妹が いがみ合うことだけは やめてくれ。
       それから 平凡に生きてくれ。

ちえ   え? 平凡に生きてくれ?  自分たち ちっとも 平凡じゃないじゃないか!(爆笑)
キヨアキ  だから! おふくろは それで懲りたわけ。親父が 平凡じゃなかったから(笑)
ちえ    アハハハハハ
キヨアキ  普通は 子どもに えらくなってほしいとか 立身出世とか 説くじゃないか。 
      それが 平凡な人間であってほしいって おふくろ切々と言われた。
      後で考えたら ああ 親父が あんなだったからなあ。 そこへもってきて イズミとか テツオとかがいるでしょ。
      あれも なりそうでしょ? だから せめて・・・・(笑)
ちえ    それ キヨちゃんだけに 言ったんじゃない。(笑) 
      他にいないよ。 井手家で 一番 まともそうなのは キヨちゃんだもん。
キヨアキ  でも 僕の場合は 平凡って言ったって 根本(コンポン)のところで不真面目だから。
      テツオだって、なんだかんだ言ったって 定年まで まじめに勤めたでしょ?
      僕は できれば 働かなくて 済むように って 思ってるから。
(それで 趣味のギターが高じて 帝国ホテルで 弾くまでになったのか?)
ちえ    キャハハハハ 
 

   おかしくて

ちえ   で、 入学式で  天皇陛下で 笑ったのは なんで?
キヨアキ あ  そうそう その話だった。(笑) その話はね・・・・だから 長くなったけど、
     井手家はそんな 家庭の雰囲気があるから、知らずと もうね 天皇陛下だって 世間で言うような 
     もんじゃなかったんだよ。(やっと 話がつながった! 笑)
ちえ   でも 神様でしょう? 毎朝 奉安殿に向かって 挨拶してたんでしょう? おじちゃんだって。
キヨアキ  ああ、学校で? そういうのは やらされるから しょうがないんだよ。ね。
     カンカン照りの それこそ 熱中症になるような中で 校長先生の長い話があって 倒れたりした奴もいたよ。
      それでも 「天皇陛下」って言葉が出た時は、 気をつけ! したりね。「テンノウヘイカァ〜」って
      言ったら バっと気をつけ! するわけ。 
      で、 それには慣れてたんだけど 入学式の時は・・・・
ちえ     どこの入学式?
キヨアキ   チョウチュウ(長崎中学)だよ。 井手家はみんな チョウチュウだったから、 
       僕だけ落ちたら うっとうしいなって思ってたんだよ。勉強 まったくしなかったから。
       でも ともかく受かって 入学式になったんだけど、 長ったらしい校長の話があって、
      それから 来賓の挨拶とか あって、もうみんなたいがい 退屈してたし
緊張もしてたわけ。
      で、 「テンノウヘイカノ〜」って、みんなバっと 気をつけ!して シ〜ンとしてたら
      なんか こう おかしくなったんだよ。
      よく 思春期の 女の子が よく笑う って言うじゃない?
      それとはちがうんだけど なんかみんな シ〜ンとしてたら おかしくなっちゃって
      で、震源地が 僕で クククって 笑ったんだよ。
ちえ    アハハハ
キヨアキ  僕は 笑い出すと わりと 止まらないとこが、その頃あって・・・イズミくんは よく知ってるよ。
     「おまえ よう 笑うなぁ」って よく言われた。 よう 笑ったんだよ。
おかしいんだよ、ともかく。
ちえ    それが みんなに 伝染しちゃったのね。(笑)
キヨアキ  うん、伝染しちゃったんだよ。 で、となりに Mくんっていうおとなしい子がいてね。
      まだ入学式だから そん時はわからなかったけど、そいつが 次に 笑った。 
      で、それから 次々 クククって 笑いが 伝わっていったんだ。 
      まあ、遠くにいた人は なんで笑ってるかわからなかったろうけど、震源地は わかった。僕だって。
      で、Mくんと 僕が2人、「残れ」 って 残された。
ちえ   入学式だから 親も来てるんでしょ? 親は いないの?
キヨアキ 親は いなかった。  で まず ぶん殴られなかったけど、運動場を 何周か 走れって。
     しょうがないから 走った。 Mくんなんかは 泣いてやんの。
     泣くくらいなら 笑わなきゃいいんだよ。(笑)
ちえ   アハハハハ(爆笑) 自分だって そんな 覚悟で笑ったわけじゃないでしょ?(笑)
キヨアキ  う〜ん だけど あの場で 笑ったら どれくらいのことになるかってことくらい知ってるよ、いくら僕だって。
ちえ    そう?(笑)  知ってて 笑ったの?  止められなかったんだ。(笑)
キヨアキ  うん 止められなかった。(マジメに)
ちえ    じゃあ、確信犯じゃないか!(笑)

キヨアキ  ともかく 校庭走らされて・・・
ちえ    10周?
キヨアキ 10周まではなかったと思うけど ともかく何周か走らされて それから校庭に正座させられて、
     地面がすごく 熱かったのを 覚えてる。
     まあ それで それが終わったんですよ。
     長崎中学というのは 鳴滝という一角にある。その坂の上に 中学がある。
     それで その坂を下りてきたら・・・・ 何人かで・・・・(声をひそめて)待ち伏せしてた。
ちえ   え? 待ち伏せしてたの?! ほおお〜。
 
   待ち伏せ

キヨアキ  僕が 附属小学校時代に いつも ケンカしてた 相手がいるんだ。 
      勝山小学校とか いろんな 小学校が あって、 「目が合っただけで」とか
      つまんない理由で 九州のやつらっていうのは ケンカするんだ。(笑)
ちえ    アハハハハハ(笑)
キヨアキ  向こうにしてみれば 「附属のヤツらは それだけで 憎たらしい」 って奴が いるわけだ。
      まあ、附属小は だいたい お坊ちゃんが多いから。 こっちは そんなことは ないんだけどね。
      まあ やっぱり すれ違いざまに 目が合ったとか
ちえ    アッハハハハハ(高笑い)
キヨアキ  だいたい 勝山小の アイツは 態度がデカそうだ とかいうのが 僕らの頭の中にも あったりして
      なにしろ ケンカばっかりしてたから。その頃は。
ちえ    そうなんだ。 アッッハハハハハ 
キヨアキ 毎日が ケンカだった。 

ちえ   毎日が ケンカ?(笑)
キヨアキ  だから 慣れてた。 で、1回 すれ違ざまに 傷を負わせちゃったことが あるんだ。
ちえ    アハハハハ どういうケンカ? 殴り合い? (コーフンする)
キヨアキ  うん、殴り合いに なるんだけども ちょっとボスみたいな 体格のいいのがいて、
      とても素手では かなわないと思ったから 何を持ってたかっていうと・・・・
      昔は 剣道するのに この刀のツバ があるじゃない? 
      このツバの 穴の中に 手をガーゼかなんか巻いて 痛くないようにして 手を入れて
ちえ    え? そこに 手が入るか? 私 剣道部だったんだけど(笑)
キヨアキ  まあ 竹刀だったか 日本刀だったか 手もまだそんなに大きくないし なんか知らんけど 入るんだよ。
      とにかく そういう凶器は 常識だった。 みんなポケットに忍ばせて 持ってた。 
      でも 僕はそういうのは 持ってなくて。 親父が刀剣収集家だったから もうその 日本刀なら
      いっぱいあるんだけれども そんなものに手をつけたら それこそ 親父に かっ飛ばされちゃうから・・・
ちえ   うん うん (コーフン)

   凶器

キヨアキ  で どうしたかって言うと 写真屋だったから 写真の薬品が入ってる缶詰があったのね。
      フタが丸くなってて パカンと 開くようになってるでしょ?
ちえ    プルトップ?  はまだないよね。 缶切りで開けるの? 
      ああ ドロップの缶の フタみたいなやつ?
キヨアキ  そう! ドロップドロップ!(コーフンして かなり大きな声) その かなりデカイのがあって
ちえ    ふんふん ペンキの缶みたいなやつね。
キヨアキ  で、そのフタをパカって取ったら お これか!って(叫ぶ)
ちえ    アハハハハハ
キヨアキ  穴のところに手を入れて 下に缶があったら邪魔だから その缶をこう 鉄ノコで 何日もかけて切って。
     (少年のようにコーフンして 声が裏返る) そんなことに一所懸命だったんだよ。もう どんな時間かけても(笑)
      うちは もう 親父が 元祖ガーデニングで 築山自分で作っちゃうくらい 庭に凝ってたし
      バラのアーチも作るし 家も 写真館も 自分で設計して 建てさせたくらいだから 
      ありとあらゆる工具があったんだよ。 チェーンソーだって なんだって あった。(笑)
      だからそれで 凶器を仕上げた。
      で それで (声をひそめて) やったんだよ。(ピっと 横に 切るまね)
ちえ    やったの?! あっぶないじゃん!
キヨアキ  顔かどっか このへん やっちゃって もう 押さえちゃって 半泣き状態で
ちえ    うん そりゃ そうだよ。血がダラダラでしょ。
キヨアキ  で わぁ やったやった〜!(笑)
ちえ   (笑) やったやった〜って それ 入学式でしょお〜?!  これからじゃないかぁ。
キヨアキ  いや それは 中学に入る前の話。 その勝山小の デカイのが 今日は「イデの弟が チョウチュウに入った。
      しかも 入学式で 笑って 走らされた」って言うんで 挨拶がてら 坂の下で 待ち伏せしてたんだな。
ちえ   キャハハハ  なんか ウエストサイドみたい。
キヨアキ で 大乱闘になるはずだったんだけれども 昼間だったし 入学式の後で 通行人もたくさんいたし、
      で 止めに入るやつも 出て その日は 難を逃れたんだ。
      ヤツらは 待ち伏せするところを 間違えたんだな。(笑)

                              (明日につづく)  


       















 

 

 






| 長崎8人兄妹物語 | 08:15 | comments(3) | trackbacks(0) |
Comment
いやぁ、ホント、長崎兄妹物語はおもしろい。聞き手がおもしろいとこうもおもしろくなるということだ。

キヨアキ編は『しろばんば』より、『少年H』より笑える。続きが楽しみ。 あっ、それから是非ぜひ泉さん編を読みたい。 インタビュー急ぐべし。
2008/08/14 5:52 PM, from ミチコ
いやぁ。ホント、長崎兄妹物語はネタの宝庫だよ、そもそも夏木さんはそれを予感させてたが。それにしてもめちゃくちゃ面白い家族。伝次郎さんに会ってみたかった!
聞き手に不足はないから、あとはムーダンの力を呼び込むのみだ。
最後まで徹底取材の時間ください!
2008/08/15 7:23 AM, from じゅんじゅむ
いやいやぁ、ホント、井手家は逸材ぞろいですねぇ!抱腹絶倒。キヨアキさんがお母様に言われた「平凡に」という願いも切実だったのかも。でも、皆さん、絶妙にバランス感覚があるのですよね。
もっともっと続きが読みたい!インタビューアー、頑張れ!

2008/08/15 11:50 PM, from たまご









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古谷田奈月 『ジュンのための6つの小曲』

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