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長崎8人兄妹物語 従姉妹 ミチ 

どうしてもチコちゃんに話を聞いてほしい人がいる。
去年8月のインタビューの時から、ムツコ伯母に言われていた。 佐世保の ミチさん。
伝次郎(私の祖父)の弟 清一の 娘。 母の従姉妹。

3月に思い切って、ムツコ伯母と 佐世保まで飛んで、ミチさんにお会いした。
初めてお会いする。 と思っていたが、私が小学生の時、母と 佐世保のお墓参りに行った折りに 一度会っていたらしい。
覚えてない。 夏木や ムツコさんと 同じ80才。 スラっと背の高い 上品で ステキなご婦人だった。

まず 墓参りをした。 丘の途中にある 斜面の感じを なんとなく覚えている。 今は住宅に囲まれて 肩身が狭い 印象だ。 




ここには 井手家 3代の 墓が ある。 井手家は 本来 クリスチャンの 家系だったらしい。 
洗礼名が 書かれている。  墓誌の 文字が読めるだろうか。

イグナシオ 井手乙松 
 マリヤ     西田千代
   テレジア    結子(ユイコ) 15才
   セチリア    泰子(タイコ) 13才
   ヨハネ     格 (トオル) 11才 
   トマ      準 (ヒトシ)  9才 


井手乙松(オトマツ)
伝次郎の父。 私の曾祖父。 
佐世保で 海軍に肉や缶詰を 納める 大きな食料品問屋を営んでいた。 料亭も 経営。
元来の 実業家で 投機好き。 商売を拡げすぎ、他人の保証人になったのがこげつき、倒産したという。 
多大な借金を背負ったらしい。 長男 伝次郎は 東京の美大に進学し、画かきになりたかったのだが、父の借金を返すべく、
仕方なく 写真館を始めたらしい。

西田千代。 ミチさんの母親。 西田家に養子に入った 清一の 後妻。
ミチさん と 墓誌にある4人の兄妹は 前妻カズヨ(本名 フタバ)さんの子だが、ミチさんが 11才の時に 母親は 病気で亡くなった。 千代さんは 育ての親。 マリヤさまのように いい人だったという。

ちえ   ひいおじいちゃん(乙松)は、クリスチャンだったんだ。
ミチ   ちっとも守らんかったけどね。(ふくれたように言う) お金だけは、たくさん教会に寄付したんだけどね。
ちえ   お金出せば 洗礼名くれるの?(笑)

  命日

みちこ  みんな 命日が 同じなんですね・・・
ちえ   ええ? ・・・・・ そうか・・・そうだよね・・・・
ムツコ  この人たちが・・・・・ね、 ミッちゃんの・・・ 兄妹よね。
ちえ   みんな 9才とか 15才とかだよ。
ミチ   みんな 小学校4年生とか・・・・ 一番上が 小学校6年生やったかなぁ。
ムツコ  ミッちゃんと2つ違い。 あなたは17才だったでしょう?
ミチ   そう。だから 今は ユイコが 78才。 タエコが 76才。 みんな 一発でやられてしまって(笑)
ミチ   それで、私が 次の日に看病に行ったからね。原爆症が 出るんですよ。たぶん、原爆症やと思うんやけど。
ムツコ  ちょっと 生きてらした方も いたって・・

ミチ   ユイコとタエコは 即死だったんです。 で、それを 引きずり出して 燃やしてね。
     誰も おらんからね。 たきぎを燃やしてね。 警護団の人が 一人 手伝ってくれたですけどね。
     泣きながら 燃やして・・・・その 遺骨を拾って 弟のところに 持って行って・・・
     弟が またそこで 発病して・・・ 母と2人で また 看病して。
     その後また 亡くなって・・・・・もう、みんな 看病しました。 そして家族6人 全部亡くなったんです。
  
ちえ   格 って なんて 読むんですか。
ミチ   トオルです。 準は ヒトシ。
ちえ   ええ? 変わってる〜。 すてきな名前。 みなさん むずかしい字 ですね。
ミチ   私なんて ミチですよ。
ちえ   どういう字?
ミチ   三と 智。いつもサンチさんって男かと 思われる。変な名前でしょう。
ちえ   でも あの時代に こんな字使うのは しゃれてますよね。
ミチ   父が変人なんです。 おもしろい人だった。(笑)
みちこ  私もミチコなんです。 美を知る子で ミチコ。
ミチ   まあ、じゃあ 同じミチコね。 仲良くしましょう。よろしくね。(笑) 

  佐世保 の 大空襲

ちえ   お父さんは 原爆の時は?
ミチ   戦地に行ってました。
ちえ   どこですか?
ミチ   朝鮮の・・木浦(モッポ)あたりに いたから 助かったんです。
  終戦後 わりと早く 3ヶ月くらいで 日本に戻れました。
ちえ   連絡は 取れたんですか? そこにいるって わからなかったでしょう?
ミチ   父は日本に帰って、まず 佐世保の家に来てね、でも 佐世保の家は 空襲でみんな 焼け出されたんですよ。
     で、父は あなたのとこは 長崎に行かれたけれども、みんな死んでしまったかもしれんて言われて。
    そ れで、長崎のおばさんの家を訪ねてね、私が一人いたもんだから、びっくりしてね。
ちえ   びっくりしたねぇ。 佐世保を 焼け出されたのは いつなんですか?
ミチ   佐世保の 大空襲でね。 ええっと・・・・ いつだったか 6月29日だ。
ちえ   え? じゃあ 2ヶ月もなく長崎で・・・
ミチ   うん。1ヶ月ちょっと後にね。
みちこ  来る前に チエさんに言われて読んだ 井上光晴の小説にも 佐世保の大空襲のこと 書いてありましたね。
ミチ   書いてありました? すごい空襲でした。
みちこ  焼夷弾だけかと思ったら、機銃掃射もあって
ミチ   すごい空襲でした。 もう 全部焼けたんです。
ちえ   佐世保は 軍港があるからねぇ。
ミチ   私たちは川へ流れてね、橋の下にいてね、橋の下の ちょうど そういうところに がば〜ってつかまってね、
     それで 助かったんです。 この兄妹5人とも 助かったのよ。
みちこ  山が多いから そこに防空壕が掘ってあって、そこに焼夷弾が落ちると 防空壕に入った人たちが 蒸し焼きになったって。
ミチ   山に行けなかったの。 で、みんなね トンネルだのに 逃げた人は みんな 蒸し焼きになってしまったの。
     もう 大変でしたよ。

  学徒動員

ちえ   そう・・・・ ミチさんは、学徒動員で?
ミチ   私は まだ学校出てから 専攻科に残ってたんですが、 学徒動員でね、
ちえ   活水だったんですか?
ミチ   いえいえ 佐世保の 県立高等女学校です。
ムツコ  学徒動員は どこだったんですか。
ミチ   佐世保の 海軍工廠。
ちえ   え? 長崎から 通ってたの?
ミチ   いえいえ、私だけ佐世保にいたんです。 佐世保は、その6月の空襲で 全部焼けたから、
     家族は みんな焼け出されて 長崎に移ったんです。 父は 出征してましたし。
     伝次郎のすぐ下の妹 おカネさんが、長崎に来ないかって言ってくれて。 
     おカネさんは、結婚して 長崎で(ビヤホールを経営したり)、貸し家をたくさん持ってたので、住むところはあるからって。
     で、家族は 長崎に 行ったんです。 私だけは まだ 女学校があるから 佐世保に残って、
     それで 助かったの。 一人だけ。
     でも 原爆の3日前までは 手伝いで長崎に行ってたんですよ。ちょうど 広島に 新型爆弾が落ちたらしい
     っていうんで 見送りに来た兄妹たちが 「佐世保は軍港だから お姉ちゃん 気をつけて」 って。
ムツコ  いやぁ、 まあ、ほんとに 一日中聞いても 聞けないくらい・・・(涙ぐむ)


  縁 ・・・ 祈り

ミチ   いやぁ、ほんとに ありがとうございました。 なんか 私 この人(関谷さん)に 初めてお会いした気がしないわ。 
     どこかで 前に お会いしてない? どうも 前に会った気がするわぁ。
みちこ  私も・・・・(笑)
ちえ   この人(関谷ミチコさんは) どこへ行っても 誰に会っても そうなんです。(笑) 
     私がいなくても 一人でムツコさんの家に行って 話しこんじゃうくらいだから。

ミチ   でも、よかったぁ〜。 ぼっちゃん(うちの息子)まで 来てくださってねぇ。(みんな 笑)
     縁があって よかった〜。 
     一度はお会いしたいと思ってたから。 みんなで お祈りしましょうか。 
ちえ   はい。 (祈る)
     あれ? 伝次郎 も ミカエルって 洗礼名で 墓誌にありますね。
     伝次郎も 洗礼を受けてたんだ。まったくの無宗教かと 思ってた。
ミチ   今は 伝次郎さんは ここには いないけどね。 京都に お墓移したから。
     今日は ありがとうございました。 みんなで お墓に来られてよかった。
     なんか ぼっちゃん 俳優さんの 誰かに似てるわぁ、誰やったかなぁ、私の 知ってる人。(声がときめく)
ちえ   Always 3丁目の夕日 の 吉岡に似てるんです。(笑)
ミチ   いや、もう一人 おるわ。誰やったかなぁ〜。
ちえ   前は小泉総理に似てるって言われてた。 スマップの草薙剛に 似てるって言われることもあるよね。(笑)
ミチ   いや、ちがうなぁ。 誰やったかしら〜。 後で来る サッちゃん(お友だち)に聞いてみよう。(みんな笑)

(お墓から タクシーで移動する。 タクシーの中で)

  梅子おばさん

ちえ   あの・・・私は 夏木が病気になってから、夏木の被爆手帳を初めて見たんですけど・・・・・
     夏木は まったく原爆の話をしたことがなかったものですから・・・・全然聞いたことがなかったんです。 
     それで 今 夏木の兄妹たちの 聞き書きを しているんです。
ミチ   まあ、そうですか。 夏木さんとはね、私は あんまり交流がなかったんですよ。
     梅子おばさん(夏木の母親 私の祖母)にはね、私はとっても かわいがってもらったんですよ。 
     父が 梅子さんのことを すごく尊敬してましてね。
ムツコ  清一さんと 梅子さんは 仲良かったですよねぇ。
ミチ   だって、梅子さんは あの頃の時代に、東京の 和洋女子高等師範学校に進学してね。 
     ものすごい頭良くてね、秀才でしたもん。 父がものすごく 尊敬してました。    
    だから 私も 何度か会いに行ったし、お手紙をやりとりしてね・・・・。
     文章がすごく上手で、 文学者でしたもん。・・・・梅子おばさん 私は大好きでした。
     チエさんは 梅子おばさんの 血を 引いているのねぇ。 

  運命


ミチ   佐世保の空襲で 焼け出された時にも、梅子おばさんと おカネおばさんと、それから 
     うちの母の方の親戚が、うちに来ないかって 言ってくれたんですよ。
     その時、お千代さんが、「どこに 行きたい?」 って 私ら子どもたちに 聞いたんですよ。
     で、子どもたちは、「お母さんが行くところに ついて行くから お母さんが行きたいところでいいよ」
     って 言ったんです。で、一番 おカネおばさんのところが、 貸し家が何軒もあってね、
     すぐ入れるから、周りを気にしなくていい って。 そこを 選んだのが 運のつき だったんですねぇ。(笑)
     そこで、運命が 分かれたんですよねぇ。(笑)

ムツコ  下ん川(シモン川)って言ってね・・・
ミチ   ちょうど 爆心地だったですもんねぇ。う〜ん。 山里町、今 平和の像が 立ってるあたりです。 
     長崎大学病院の 裏ですね。従姉妹にあたる おカネおばさんのお嬢さんが 薬剤師で 長崎大学病院に
     いたんですけどね。もう みんな。 おカネおばさんの 家も全滅でした。
     もう あの時は  助かったのが 奇跡ですもん。
ムツコ  おカネさんは? 
ミチ   おカネさんは 瀕死の重傷でね。 でも おカネさんだけ 助かったんですよ。   
     あとは みんな全滅だったですよ。 おカネさんが 亡くなる直前に 
    「ミッちゃん 自分は死んで行くからいいけれど あなたたち 生きて行く人が 大変よ」
     って言われた言葉を 今でも 思い出します。
    
ミチ   でも おカネさんの娘で 諫早で教員をしていた アヤコ姉さんが 帰ってきて 
     2人でひさしを立て掛けただけの小屋を作って・・・
     そのうち 宮崎の航空隊に行ってた おカネさんの息子で 1つ年上のトオル兄さんが 帰ってきて、
     やっぱり男の人は ちがうわねぇ。 燃え残った材木で 4畳半1部屋くらいの小屋を建てて
     父が帰るまでは そこに 住んでました。
     父は 私たちを見つけて こんなところにおったら身体によくないって
     すぐ 私たちを 佐世保に連れて行きました。 

 

  原爆症

ムツコ  清一おじさんが 帰るまでは 大変でしたねぇ。
ミチ   そう 3ヶ月の間
     私は ずっと いたんですよ。
     みんなを 看病してね。
     それだから 私に 原爆(症)が 出ないわけが
     おかしいって(笑) みんな 言うんですよ。
ちえ   そうですよねぇ。
ミチ   それで 癌が 出るわけですよねぇ。
     癌をするのは それだと思いますよ。
ムツコ  はい。
ミチ   でも そのたんびに 助かるからねぇ、
    (明るい笑い声で) 結局 神様に
     まだ 宿題が残されているのねぇ。(笑)


   地獄絵

ちえ   すぐに 入れたですか? 長崎に。
ミチ   8月9日の夜中に 佐世保で下宿してた
     家の人に起こされてですね、
     「長崎に 新型爆弾が落とされたみたいやから
     ミッちゃん すぐに行った方がいい」って。
     で 8月10日の朝早く 免除証って切符を
     特別にもらって、肉親を捜しにね 親戚の方が 
     一緒に行ってくれたんですよ。
     道の尾 っていうか 長与ですかね。
ムツコ  長与 じゃあ 歩いて。まだ だいぶありますね。
ミチ   長与から 道の尾まで 別の車を出していただいて そこから歩いて・・・・私 もう 全然記憶ないようになって・・・・
                                  地図 渡辺浩 『15歳のナガサキ原爆』岩波ジュニア新書より


ムツコ  私は その日 夜になって 一番最初に動き出した 汽車で 諫早に行ったんですよ。
ミチ   ああ、ムツコさんの家も 一番の 爆心地じゃ なかったですか。
ムツコ  はいはい、城山で。
ミチ   城山でね〜。 それでも 今 どうでもないからねぇ〜。(ビックリした声)
ムツコ  私は 動員で 香焼島に いたんです。
ミチ   ああ、そうでしたか!
ムツコ  そこから 歩いて 稲佐から 帰ったんです。
ミチ   はぁ・・・
ムツコ  夏木さんは 兵器(三菱兵器大橋工場) に いた。
ミチ   ああ、大橋の・・・・
ムツコ  あ、いたんじゃなくて その日 休んでて 太良に帰ってたの。
ミチ   だから 助かったのね〜! 兵器は 全部やられましたもん。
ムツコ  ねぇ。 すごかった。
ミチ   すごかったもん。 うちの 山里 から 全部でしたもんねぇ。長崎に入ったらもう煙がすごかった。
     すべて 崩れて どこがどこかわからないから 浦上川沿いに行った方がいいって 誰かに教わって 
     知らないおばさんが 一緒に歩いてくれたんです。
     川はもう 死体の海だったですもん。 それをかき分けて 家族を 探しました。
     今考えると 17才で よく そんなことができたって思う。
ムツコ  みんな 水を飲みにおりて来てねぇ。
ミチ   もう 私 怖かったですねぇ。 ほんとに 怖かった。
     今 思ったら もう ほんとに ・・・・すごいすごい・・・ 映画や テレビで やったって
     あんなもんじゃ ないですよ。 地獄絵 修羅です。
ムツコ  まだ 生きてる人も いましたしねぇ。 取りすがってねぇ・・・
ミチ   すごいすごい。 苦しがってねぇ、引っ張られてねぇ・・・怖かったですねぇ。
ムツコ  私も 9日には 城山にいたんですよ。
ミチ   そう。だから お友だちとね、私も ムツコさんも こんなふうに 元気でいられることに 感謝したことでした。
     だから 私はもう お墓の守りをするために おかれたんじゃないかって・・・
ムツコ  いやいやいや。 もう それを 込めてね モモタロウが ずっと言ってました。 ミチさんへの 感謝を・・・・(涙)








 





 






















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