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長崎 8人兄弟物語 その1 (キヨアキ)

この夏は母の三回忌で、母の兄弟たちと電話や会う機会があったので、インタビューした話をまとめておく。
長崎の原爆や疎開、後ろ指さされ組 長崎8人兄弟の話に、しばしおつきあい願いたい。

キヨアキ叔父(8人兄弟の5番目 昭和6年生まれ 74才 千葉在住 兄弟の中でも 特に 気配り、マメで器用な性格。本業ではないが、帝国ホテルでギター演奏したこともあるほどのアコギ(アコースティック)ギタリスト♪)

疎開

─  夏木(私の母)が、8月9日 その日だけ長崎の軍事工場から休みを取って、タラの家族の疎開先に帰って
   て原爆を免れたんだけど、タラに疎開してたのは、誰と誰?
キヨ う〜ん、イズミ兄以下 5人と両親かな。
─  モモタロウ叔父とコウゾウさんは?
キヨ 兵隊に行ってたと思うよ。
─  え? じゃぁ、長崎に1人残ったの? 夏木は17才だったんだよ。いくら、昔の方がしっかりしてるって言っ
   たって・・夏木は誰とどこに住んでたのかな?
キヨ そうだねぇ。ほんとだ!あれ〜?夏木ねえさん、どこにいたんだろ?(今まで考えたこともなかった様子)
─ (笑)ったく、井手家らしいわ(笑)大阪のムツコ叔母ちゃんに聞く しかないか。

写真館

─ キヨおじちゃんは何年生まれ?記憶ないほど小さくはないでしょう?(笑)
キヨ う〜ん、夏木ねえさんの3つくらい下かな。僕が小4の時に、戦争が始まった。それまでは、響(ヒビキ=響
   写真館。母の家は長崎の大きな写真館だった。水銀写真の技術が高く、長崎でも評判で繁盛していた。
   お手伝いさんも10人位いた。祖父 傳次郎の写真集『長崎』は、昔の長崎を偲ぶ貴重な写真が多い)の中
   嶋川をはさんで向い側に、文明堂のカステラ工場があって、でっかいスピーカーでニューオリンズジャズ
   流しとったよ。それが、だんだん、鬼畜米英の音楽はダメってなってね。
─  この間、昔うちにあったレイ・チャールズのレコードが誰のか、ミヤ叔母に電話して聞いたらね、疎開先で
   も毎日兄さんたちはレコードを聞いてて、キヨ兄さんは、もみじの木で自分でバイオリン作って、毎朝G線上
   のアリアを弾いてたって言ってたよ。(笑)
キヨ ああ、あのバイオリンはね、弦に引っ張られて、日に日に曲がってっちゃってね(笑)
    最後は丸くなっちゃった。乾燥が足りなかった。
─  アハハ 疎開先でレコードなんか聞いてよかったの? 非国民って言われなかったの?
キヨ まあ、家の外には、聞こえないもん。

タラ

─  いくつで疎開したの? 
キヨ 長崎中学2年の時かな。14才くらいかな? 最初は、糸岐のツサキという醤油屋へ居候させてもらった。
─  家族7人で? かなり迷惑だね。
キヨ うん。広い家だったよ。どういう知り合いやったんだろう。どうもそこのオヤジが、その村に写真館がなかっ
   たので、自分の息子に写真の技術を教えてほしかったんだな。その名目で世話になってなったんじゃなかっ
   たかな。写真の機材は、だから、その家にほとんどあげてしまったと思うよ。
─  それから、タラへ移ったの? どういう字? なんか川のそばでいいとこだったって夏木が言ってた。
  (映画『風と共に去りぬ』の舞台と同じ地名なので、なぜか母がタラと言う時、なつかしい感じがした)
キヨ 太良って書くんだ。多良岳って山もあるんだけどね。そっちは「多」の字。(地図で調べたら佐賀県)
   海まで歩いて30分もかからない高台でね。糸岐川の川っぷちに萱葺の水車小屋があってね、大きい川と
   小さい支流にはさまれてた。まわりは畑で、い〜いとこだよ。場所はね。

ヨソモノ

キヨ 人情的には、だいぶ虐げられたけど。
─  いじめられたの?
キヨ それはそれは。ヨソモノだからね。ソカイミンは、自分たちの都合で逃げてきよって、余計者だもん。
   すっごい差別受けた。親父は俗っぽいのが嫌いだから、農民の方々とは表面上しか付き合わないし(笑)
   ただ盆栽の趣味が合う人とだけ、話してたな。太良町の助役さんとは骨董の趣味もあって、仲良くしてた。
   弟のテツオは世渡りがうまいのか、うまくやってたな。
   イズミさんはなんかあの人雰囲気あるやろ?平然としてるんだよなぁ。僕は学校でも、すっごいいじめられ
   た。学校のいい思い出なんかないもん。だから同窓会なんて行ったこともない。 

盆栽と骨董とレコード

─  そうなんだ。おじいちゃんが盆栽いっぱい持ってる話は、写真美術館(東京都)に夏木が頼んで、響写真館
   の写真を資料として全部寄贈した後、兄弟で霞ヶ関ビルに集まって会食した時にも、みんなで悪口言ってた
   よね。オヤジは自分の子供より盆栽の方が大事だった、とか(笑)
キヨ だってね、疎開する時は、長崎から貨物列車で盆栽や骨董品を運んだんだよ。
   その他に、トラックで5、6回運んだ。親父は掛け軸や骨董品を売り食いして、生活をつないでたんだ。
   その他にも、親父は琵琶と日本刀が趣味でね。毎晩、夜になると、刀を出してきて、白い粉を振って、
   品定めしてるんだなぁ。こわかったよ。(笑)
─  そんなの持ってて、金属の供出で出せって言われなかったの?
キヨ だから、隠してたんだよ。(笑)レコードは割れるから、最後で、イズミさんとテツオと僕とで、2回くらい
   手で運んだ。その話すると長くなるよ〜(笑)200枚くらいあったからね。
─  そんなに?
キヨ だって昔はSPだからさ、1枚1曲だもん。クラシックなんか楽章 ごとに、何枚もになっちゃうんだよ。
─  そっか〜。
キヨ 家にクラシックしかないから、毎日そればっか聞いてたよ。でもガムランもあったな。
   奈良の天理に移った時、レコードは持って行ったはずだから、ミユキ(妹)が持ってたかも。
   天理には、町に映画館が2軒あってね、1軒は洋画専門で3本立て。
   しかもハリウッド映画全盛の時代だからね、それからは、もうクラシックから脱出して、映画で音楽ですよ。
   僕が14才から18才くらいまでの4年間、高校卒業して戦争終わってからも、家族で太良に住んでたんだけ
   どね。夏木姉さんは、めったに帰って来なかったな。

おじちゃん、電話でありがとう。
母の8人兄弟の中でも、東京に出てきた叔父叔母は、小さい時から馴染み深いので、タメ語で、スミマセン。
夏木が8月 9日前にどこにいたのか、ムツコ叔母とモモタロウ叔父に聞いてみるね。(7/26)




 



| 長崎8人兄妹物語 | 00:24 | comments(2) | trackbacks(1) |
Comment
ご連絡ありがとうございました!
ブログ作ってらしたんですね。
響写真館の概観写真や井出伝次郎さんの写真は、私の家にも残っています。長崎の家から東京の部屋にもって来ました。
またお目にかかれれば幸いです!
2007/08/15 1:56 PM, from Tomoe
tomoeさま、さっそくのコメントありがとうございます!響の写真のことでは、大変お世話になりました。響写真館のことは、次の桃太郎氏インタビューで、私も知らないことがいっぱい出てきました。同じ末裔、是非 またお会いしたいです。
2007/08/15 8:58 PM, from かんからかん









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2007/08/13 2:31 PM, from あいなの日記

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