血で飛ぶ 高橋克彦 『火怨』北の耀星アテルイ伝
(前にも書いたね。あと映画『フィールドオブドリームス』の ケビン・コスナーの奥さん。私の中の 理想の 女子像。)
その絵描きの女の子が ほうきで空を飛べなくなった キキに
「魔法って 呪文を唱えるんじゃないんだ」って 聞くと
「うん 血で飛ぶんだって。」 と キキが暗く答える。
「魔女の血か・・・ そういうの 好きよ。」
このセリフが ほんとに好き。
キキのぼやきと 絵描きの女の子の反応が 噛み合っているのか 微妙だが
その微妙な部分が好き。
歌舞伎の家系とか 魔女の家系とか DNAの配列とか
そういう 避けられない 束縛としての 血ではなくて
何かに出逢った時の 自分の体内の反応が
あまりに 激しくて あまりに 説明できなくて
それが どこから 来てるのかって ずっとずっと 考えていて
でも 確かに 自分の中の 何かが 反応してたんだってことだけは わかる。
そういう 自分を構成してる 要素としての 血。
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失われ)
宮沢賢治詩集 『春と修羅』序より
そうなんだ。
それは あらゆる 透明な幽霊の複合体で
祖先の血を受け継いでるとか そういう 意味じゃなくて (イヤ そういう意味なんだけど)
「血筋だね〜」って 片付けられたら なんか 「そうじゃないんだってば!」って 言いたくなる。
せはしくせはしく 明滅するのが なんなのか それが わからなくて
だから 苦しくて
説明できない。 いや、説明したくない。(笑)
でも たしかに 発光しはじめるんだ。 ひかるんだよ。
長崎で 遠藤周作記念館で キリスト教のことを 読んだ時 なぜか 胸が ぎゅっとなった。
それまで キリスト教のことを 自分の問題として 考えたこともなかったから
自分が 何に反応しているのか まったくわからなかった。
そして 去年夏 塩竈のワークショップに行く前
これを読んでおくとよいよと ねもパのたまちゃんに 夫が勧めていた本
高橋克彦の小説 『火怨』を読んだ時 もう ほんとに 最初から 胸が ぎゅっと 苦しくなった。
自分が 何に反応しているのか わからなかった。
タイトルの意味も よくわからないけど 火怨って 字面が なぜか しっくりくる。
たぶん・・・ 名取とか 多賀城とか 南郷とか 昔から聞いてた地名に反応してるんだと思うんだけど
・・・・宮沢賢治を読んでも こうはならないから なんなんだろう。
でも 自分を作っている血の ある部分はまさに 東北だ! って 血がたぎった。
アテルイは 日本史の時間に たぶん習ったことのある
征夷大将軍 坂上田村麻呂と 戦った 蝦夷(えみし)の長 阿弖流為(アテルイ) のこと。
蝦夷(えみし) は 蝦夷(エゾ)とは違って 東北にもともと住んでいる人たちのこと。
陸(みち)の奥、辺境に住む 野蛮な民族、まつろわぬ者(ヤマト朝廷に従わぬ者)蝦夷を取り締まるために
大和朝廷は 724年 多賀城を築いた。
749年(天平21年) 多賀城に近い 小田郡から 大量の黄金が産出した。
ちょうど 奈良の大仏を建立して 八分通り完成、
あとは 黄金で 鍍金を施す段階に来ていたというから 朝廷は狂喜。
宝の出現に感謝して 天平感宝(勝宝?)元年に 改元したという。
歴史は 常に 勝者によってまとめられる。
蝦夷は 文字による記録を持たなかったから 大和朝廷側の ごくわずかな 記録を頼りに
岩手県釜石生まれの 高橋克彦が 蝦夷側の視点から小説として いきいきと再現してくれた。
北上山地を 走り回る 若きアテルイが それぞれの部族の長の気持ちを 次第にまとめて
みちのくの 宝欲しさに 精鋭を送りこんでくるようになった 大和朝廷に ゲリラ戦を挑む 過程は
ほんとに昂奮するから ぜひ 『火怨』を 読んでほしい。
ちょうど スプリングキャンプのテーマが 宮沢賢治童話 『鹿踊りのはじまり』
2012 8月 みちのくまつり
金津流梁川鹿踊り 撮影 根本彩夏
谷川雁 『ものがたり交響』 116pから 引用する。
この芸能の底を流れているものが戦士の美しさであることは否定しがたい。
それでは風は、戦士の美のはじまりを説こうとするのだろうか。
(中略)
鹿踊りを軍隊になぞらえるとき、ぼくたちは農民がそのまま戦士であって、
農民でない戦士は一人もいなかった時代があると仮定してみればいい。
かれらの敵はどこにいたか。
敵は異族である前に、まず飢えであり、病気であり、天災地変だった。
それは近代の軍隊よりはるかに奥行きのある軍隊だ。
平時は小さな集落ごとにわかれて太鼓を打ち、さけびを発し 群舞する。 一種の 分教訓練だ。
矢を射たり、馬を走らせたりする個別の戦闘訓練は、狩人としての日常作業でじゅうぶん果たされる。
焼畑、水防工事、道づくりなどの集団作業はいつでもとりでの建設能力を準備していることになる。
年に一度は それぞれの出身地区を見分けることのできる服装で 大集会が催された。
そのときの主要行事が 鹿踊りだったという 空想が成り立つ。
長い髪を垂らした仮面と 馬乗り袴を持った あのユニフォームは、
人間と馬を一体化した 騎馬兵士の象徴では なかろうか。
あそこにさびしく甘美に匂っているのは、かれらが守ろうとする
こども・女・老人たちの影だろう。
ものがたり交響 谷川雁
十代の会 ものがたり文化の会を 谷川雁と一緒に立ち上げた
定村忠士さんの 『悪路王伝説』 を 合わせて読むと
さらに昂奮する。
定村さんは 宮沢賢治の詩 原体剣舞連に書かれた
昔達谷の悪路王の
悪路王とはアテルイかを追って 岩手や 鹿島を 訪ねる。
定村さんがこの本を書かれたのは 1992年。
高橋克彦が 『火怨』を 新聞に連載しはじめたのは 1997年からだから
定村さんは 『火怨』を 読まれただろうか。
高橋克彦は 参考にしたかもしれない。
写真上 原体剣舞 下 鬼剣舞 みちのくまつり 撮影 根本彩夏
昨年夏から 『火怨』 読んで読んで!と ゴリ押ししまくってたら
なんというタイミングか NHKで まさかの 『火怨』ドラマ化!
(昨夜総合でやってたのに 間に合わず)
大沢たかお かっこいい〜!
イヤ ありえない。 あんな やさ男じゃない!
でも 大沢たかお がんばってるよ。
イヤ そういう問題じゃない!
でも 北上山地の奥深さ 蝦夷の軍隊の装束が ビジュアルで見られるなんて なかなかないよ。
鉄つくりのために 木をたくさん伐採するために 禿山になった山とか。
飛良手(ひらて)が出てこない時点で 許せない!
私に勧められて 『火怨』 にハマり 3回?読んで そのたびに号泣 ドラマは絶対に見ない!
もう 岩手に住む!とか 血で飛んでる(ぶっとびすぎだ)の 彩夏と 喧々囂々。
まあ 確かにだいぶ 登場人物変えてるし なんか 蝦夷が 復興構想会議みたいに 会議ばかりしてて
野山を駆けまわる 蝦夷の勢いが 削がれてたなぁ ・・・・
311震災の慰霊祭が まるで 戦没者慰霊祭みたいに 天皇の名の下に挙行されるのも 違和感
あったが・・・・
なんか 削がれるなぁ・・・・
その削がれ方の構造が たぶん 一番 東北にとって 大事な気がするが・・・・
圧巻 鹿踊り 百鹿乱舞 http://kankarakan.jugem.jp/?eid=820