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深雪

今年は 関東も 毎週のように雪の予報で  
陽の当たる駐車場を 日割りで借りて 車を移動し 凍結に備えた。

北海道 日本海側の積雪も 今年は格別で 青森では5メートルの積雪。
深い雪に 冬の間 閉じ込められている 雪国の人たちの苦労を考えたら
10センチ程度の積雪で オタオタ交通がマヒしてしまう東京のニュースは 笑いものだろう。
 
積雪とは まったく関係ないが、ずっと書く機会がなく 
たぶん春めいてきたら また今年も機会を失ってしまうので、
深い雪という名前の 長崎8人兄妹物語の末娘 深雪(みゆき)について 書いておく。

長崎8人兄妹 井手家の 子どもたちは 上から
大正8年生まれの長男・桃太郎 大正11年生まれの次男・幸蔵 昭和3年生まれの長女・夏木 
昭和5年生まれの 三男・泉、昭和6年生まれの四男・清明、 昭和8年生まれの五男・徹生、昭和11年生まれの 次女・美夜 そして末娘の 三女・深雪 の8人である。

次男 幸蔵の 次に 大正14年に生まれた 長女翠が 生後2週間で 死んでしまったため、
次に生まれる 子どもは 男でも女でも 夏の木のように 丈夫に育つようにと
生まれる前から 「夏木」と 決められていた。
その ミッションを 背負って 昭和3年2月  響写真館の開設と 同じ年に生まれたのが 
私の 母 夏木 である。

末娘の 深雪は 昭和14年2月1日生まれ。 
文字どおり 深い雪の日に 生まれたのであろうか。

今は 読めないような 凝った名前を もらう子が多いが
井手家の父親 傳次郎の 命名も  
長男に 桃太郎 と クラシック?シュール?(笑)を はじめとして 
夏の木 美しい夜 深い雪 と なかなか 大正ロマンな 命名だと思う。

深雪は 夏木とは11才 長男桃太郎とは20才 年齢が離れている。



夏木のアルバムに貼ってあった写真。 右から
 夏木 深雪 美夜 徹生  かぞえ年3才の 深雪の七五三だろう。
昭和16年11月? 太平洋戦争突入直前の 古きよき時代だ。
  深雪が着ている 亀甲の着物は3才の七五三に
                             美夜が着ている 赤白の着物は7才の時 私も着たので なつかしい。
今思えば 夏木は 娘の七五三に 妹たちとの長崎の思い出を  重ねていたのだなと 思う。

美夜と深雪は 3才違いで 年が近いから いつも一緒に写っている。



いかにも 仲の良い姉妹だが、 年の近い姉妹に特有の 確執もあったようだ。 
美夜の話は 前に紹介した。

「深雪は 傳次郎と梅子さんの 45過ぎてから生まれた最後の子どもで、
素直で従順で、なおかつ小学校から高校までずーっと級長をやる 優等生だった。
   
そんないい子だったから、深雪は 私の 邪魔になったの。
特に多良に疎開してた時は、よその畑のスイカとか栗とか、盗みに入る時に、
「よその家のもの 盗ったら いけないんとちがう?」とか 言うのよ!
そういう時は ほんとに 邪魔なのよ!」

傳次郎の写真にも 深雪の 不安げなよい子ぶりと 姉美夜の 勝ち気な感じが よく写っている。






瀟洒な写真館の お嬢様から 一転
やぎの糞尿の匂いただよう 多良の かや葺き小屋へ疎開した 井手家の運命とともに
末娘 深雪の スタジオ写真は 少ない。 


下の写真は戦後 「多良には 娯楽が少ないから 夏木姉さんは よく私たちを 活水や 大村に呼んでくれた。」(美夜) という 頃の写真かもしれない。

「夏木姉さんは あんたたちは どこかで遊んでなさいと 活水(女学院)の廊下に私たちを放し、
自分は 一人 ピアノ室で ピアノを弾いていた。」
「真っ暗な 夜の 大村湾の浜辺に 私と深雪を残したまま 
夏木姉さんは 一人で 夜の海に 泳ぎに行って いつまでも 帰って来なかった。
帰ってきたら 姉さんの水着に 夜光虫がたくさんついて 光っていた。」
「真夏の暑い時に 外食券で コッペパンをもらう行列に 私と深雪を並ばせたまま
夏木姉さんは どこかへ 行って 帰ってこなかった。
帰ってきても ありがとうとも言わず パンちゃんともらえた? と言うだけだった。」 

妹 美夜が語る 姉 夏木の 行動は 謎が多い。(笑) 深雪の話も 聞きたかったな。


長崎8人兄妹物語は 2005年8月に77才で夏木が亡くなった後、
2007年から おじおばたちに聞き書きを 始めたが、
夏木の2ヶ月後 2005年10月に まるで姉の後を追うように 深雪も66才で 急逝した。 
だから 8人のうち 夏木と 深雪2人のインタビューはない。

夏木は 授業を創る誌に 自分の半生を振り返って書いた 自伝的随想があるので 
それを 手がかりに使っているが 
深雪おばだけ 何もなくて 心苦しい。                                  

井手家が 疎開先の佐賀県多良から 奈良に引っ越した後、 
兄や姉は 東京へ 神奈川へと 家を出たが、
最後まで 両親 傳次郎 梅子と 奈良法連山添町の家にいたのは
 末娘の 深雪だから
健在ならば 奈良時代の傳次郎の様子など 聞けただろう。





                 
                             東大寺 南大門前で



私と 深雪おばとの 結びつきも 強い。

深雪おばは 県立奈良高校を卒業後、しばらく病院で働くが、そこで出逢った 明さんと 結婚。
京都西陣の 旧家に 嫁に入る。

うなぎのねどこみたいな 細い京都の町屋の奥に おじちゃんが 趣味で カウンターやパチンコ台を作った
隠れ家的スペースを 覚えている。

私が高校生になって 毎年奈良京都へ一人で通うようになった頃は 
どういう事情か 深雪おばは お義母さんや夫と 別居して 
上賀茂神社が近い 紫竹上高才町の 小さなアパートに 一人娘の 明美と住んでいた。

京都駅から 堀川通りをバスで北上して 私も よくそのアパートに泊めてもらった。
私は 奈良京都に惹かれて 京都の大学を2つも 受験したので  受験の前後も しばらくお世話になった。

アパートは 普通の家の階段をあがりきった 座布団1枚くらいのところが 部屋の玄関になっていた。
母子住まいの用心のためなのか、 男性の革靴が いつも揃えて 置いてあった。
その靴の中に おばちゃんは 私が自由に出入りできるよう 鍵を 入れておいてくれたので 覚えている。

従姉妹の明美と 私は ちょうど 夏木と深雪と同じ 11才年が 離れている。
当時 まだ小学校に上がるか 上がらないかの明美と2人で 銭湯に行くと
「チコねえちゃんの おっぱいは、 なんで そんなに 小さいん?」と さわってきて 困った。(笑)

傳次郎の撮った 深雪のこの写真を見ると あまりにも その時の 明美に よく似ていて
 声まで 聞こえてきそうだ。 (夏木が好きだった 野坂昭如『火垂るの墓』の ドロップをなめる 妹にも似ている)
 

深雪おばちゃんは 生活のために ワコールの下着の 縁取りに貼るレースを 鋏で切る内職をしていた。

ちゃぶ台で まっすぐに レースに裁ち鋏を 走らせている 深雪おばの横で
小さい明美とじゃれあいながら よくおしゃべりをした。

親の悪口とか 説明しなくても 笑い話のように言える おばとの話は
自分もちょっと 大人びた気がして 楽しかった。

「チコちゃん そっち 引っ張っててや。」
ちゃぶ台のたもとから ピンと引っ張った レースに まっすぐに 鋏を進めてきて
私の手元で バチンと 鋏が鳴ると ヒヤっとした。

深雪が あの頃 バチンと裁ち切りたかったものは なんだったのだろう。
その決断に 井手家の おかしな家族と育った日々は 少なからず 影響したのだろうか。 
高校生の私には もちろん そんな問いはなかった。

仕事の合間に 狭い台所で ちゃっちゃと お茶碗を洗って 忙しそうに動き廻るおばを見ていると
食後は のんびり 紅茶を飲んで 煙草を吹かしていた 夏木と
同じ姉妹でも ずいぶん 違うもんだなぁ〜と ぼんやり感じていた。

10人もお手伝いさんがいた 響写真館全盛時代の お嬢様の 夏木と
生まれて2年後には 太平洋戦争が始まり 写真館を閉めざるを得なくなった深雪では  
同じ姉妹でも  時代の明暗が 否応なく反映されていたのだろう。

私は お嬢様然とした 夏木より、
生活感溢れる いかにも関西のおばちゃん風の 深雪おばの方に ずっと親近感を感じていた。
だから 2009年に 美夜の話で 深雪が 成績のよい従順な優等生だったと 聞いて びっくりしたものだ。
 
深雪おばは 別居した お姑さんを 最後まで 世話し、
その後 高槻の 桃太郎睦子と 同じマンションに 引っ越した。
何年だったか クモ膜下で倒れて 手術してからは ちょっとやせて 老け込んでしまった。

桃太郎は 母親梅子さんを 引き取って 同居していたし、
佐世保から 井手家の墓を 嵯峨野の念仏寺に移したので
母にとっては 高槻が 兄妹に いっぺんに会える 実家のようになった。 



写真は2003年 大浦信行監督の映画『日本心中』 上映の後 鶴見俊輔さんと一郎が対談する
というので 京都造形大に行った時 私の友人たちと。右から 深雪 睦子 桃太郎。
その前日 夏木は 写真美術館に 響写真館の写真を寄贈した報告を お墓の傳次郎にして、
妙に はしゃいでいたのを 思い出す。
 
2005年3月  夏木が脳の悪性リンパ腫で入院して まったく言葉を失った時も
深雪おばは 4月に京都から上京して 船橋の清明と 相模大野の 病院まで 駆けつけてくれた。
いつも 「あんたたち」と りんとして いばっていた姉が
車椅子で しゃべれなくなってしまった姿を見て 妹は どう思っただろう。

その日は 私と 生田の家に泊まって 一郎と話しながら
「ここに来られて ほんとによかった。  チコちゃん、ありがとうね。 ありがとうね。」と何度も繰り返して 喜んだ。

その後 6月に 深雪おば自身が 血尿が出て 入院してしまったという。
夏木も 6月末から 誤嚥性の肺炎で 転院先から 緊急搬送されたので こちらも 余裕もなかったが、
7月に 夏木が小康状態になった時に 佳奈と 深雪の見舞いに行った。


その時は ちょっと腎臓が悪いらしいと手がむくんでいたが 
「夏木姉さんが 騙されたみたいに 不動産をたくさん買うのは、 あれは 隔世遺伝やでぇ。
傳次郎さんの父親の 乙松さんが 山だの不動産を 買う趣味があったんや。」と
ベッドに腰掛けて いつもの調子で 話してくれた。

まだ 私が長崎8人兄妹物語の聞き書きも始めていない時なのに、
問わず語りに ひいおじいさんの 乙松の話を 笑いながらしてくれたのだから 先見の明がある。

8月 夏木が 意識不明になると 深雪も 透析になり、
夏木の葬式の頃には  深雪も 意識不明になったという。
 
当時は バタバタして 目の前のことを片付けるのが 精一杯だったが、
記録を見ると 2人の症状が 奇妙に 連動しているのに 驚く。

夏木の葬儀が終わった 8月末 病院に駆けつけた。
尿毒症で パンパンに腫れ上がった 全身と 
舌が落ち込んで 呼吸困難にならないよう つけている エアウェイが 痛々しかった。

一人娘の 明美はまだ 子どもたちが 小学生と 保育園で 小さかったし、
ご主人の 治療院の 医療事務をやっていて 月末で仕事が山積みなので
「今夜は 私が泊まるから 帰っていいよ」と 明美を帰した。

その夜 明け方4時半頃 「痛いよ〜 痛いよ〜」と 突然 深雪おばは 大声で泣き叫んだ。
私は 折りたたみベッドから 飛び起きて
「おばちゃん チコだよ。 そばにいるよ〜」と 声を かけると
「わ ちこちゃん 来てくれたの〜 うれしい〜」と 涙を流して おいおい泣いた。
なんと5日ぶりに 昏睡状態から 意識が戻ったのだという。

朝来た 明美も  明おじも 睦子さんも 「奇跡だ!」とびっくりした。
深雪は 「選挙だけん、不在者投票行かな。」とか 具体的な話をして みんなを 笑わせた。

それから 1ヶ月ちょっとして 10月のはじめ 深雪は 亡くなった。

まだ入院したばかりの頃だったと思うが 深雪は 病院から 私に電話してきた。
夏木の容態やら うちの おばあちゃんの様子やら 心配してくれた後、
深雪おばは やさしい声で こう言った。
   
「人間 当たり前のこと をやるのが 一番大変なんよ。 
チコちゃんは、当たり前のことを ちゃんとやってるから ほんまにえらいと 思うわ〜。」

病院の暗い廊下で パジャマで電話をかけている 深雪おばの映像が 映画のように 目に浮かぶ。

おばちゃんが 言いたかった 「当たり前のこと」 と 私が思っていることは 違っているかもしれないが
確かめようもない。
今思えば 遺言のような その言葉を 今でも よく思い出す。 

| 長崎8人兄妹物語 | 21:00 | comments(6) | trackbacks(0) |
Comment
久しぶりの長崎物語、、懐かしい方に会ったように読ませてもらいました。コースケくんひいじいちゃんに似てるね!「当たり前のこと」ねえ・・大変だ、我が家では毎朝お味噌汁作るしかできてないよ・・
2013/02/24 9:59 PM, from やまねこ
北海道のやまねこさん、富良野の雪は
何メートルですか?今年は特に多くない?大変だねぇ。リンクのぎゅっくぎゅっくから絵本展の写真見ましたよ。盛況でしたね。やはり発表会と別の日の方が、ゆっくり見られるね。ねもとパーティの雪わたりやざしきぼっこも
活躍しててうれしいです。上の京都造形大の写真は、ひかちゃんもいるんですよ。コースケも後から来たし、不思議なめぐり合わせの日でした。コースケがひいじいちゃんに似てるなんて
思ったことなかったけど、ヨンスンにも言われた。確かに立ち姿は似てるかも。(笑)
2013/02/25 7:24 AM, from かんからかん
今日仕事場で読みました〜ありがとうございます。うちにない昔の写真も見れたし、タイムスリップしたみたい♪深雪ばぁが生きてたらまだ山程話たいことあったやろうな…ばぁは人に対して(身内にも)辛口だったけどチコ姉のことは本当に可愛いいって色々褒めてたし、入院中何度も来てくれて嬉しかったと思います。私の事も書いてもらってムフフフ
確かに子供の頃、他の誰のでもなくお姉ちゃんのオッパイに興味があったの覚えてます!おかげで私のオッパイまで小さいわー(失礼しました)おばちゃんにも早速コピー渡しました。
2013/02/25 10:19 PM, from 明美
アハハ 明美ちゃん、いつも睦子おばへプリントありがとう!お互い母親のことは何も知らず、当たり前じゃない父親とのバトルのサドンデス(爆)よう似とるね〜。バチン!(笑)
2013/02/25 11:12 PM, from かんからかん
夏木さんの末妹さん、深雪さんのこと、とても胸に沁みました。思い出アルバムの表情ひとつひとつに見入ってしまうのは、なんだろうなあ、よく似たひとたち、よく似た暮らしの場面、よく似た服装、よく似た会話、がこちらの胸の内で重なるからかしらん。
2013/03/04 8:07 PM, from ぱくこ
ぱくこさん、いつも温かいコメントありがとう。長女症候群の私たちはたぶん重なることが多いかもね!(笑)私は両方の初孫なので、おじおばが20人もいます。この物語も
おじおばたちとのロードムービーになってるけど、深雪おばとは高校生の時に伴走しててよかったな。
2013/03/04 8:45 PM, from かんからかん









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古谷田奈月 『ジュンのための6つの小曲』

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