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長崎舟大工町 大徳寺公園のクスの木 

大晦日 長年の習慣で 見るともなく流している 紅白歌合戦で
美輪明宏の 『ヨイトマケのうた』 に 息をのんだ。

映像と踊りで ハデな演出が多い中 
うたの力だけで 紅白の場を制した。  圧倒的だった。

ツイッターも1万件以上来て 歌別視聴率も 他の出演者が1パーセントなのに 
美輪明宏だけ 45パーセントだったとか 年明けのワイドショーでも 話題になっていた。

そういえば 美輪明宏も話題に上がった長崎の記事 書きかけだったなぁ・・・ 
ヨイトマケに刺激されて 去年の春から フリーズしていた記事をファイルから 出してきた。 

今日は 長崎8人兄妹物語の 長女夏木の誕生日なので
1年前の2月の記事の続き ちと 長いが 2回分を一挙公開。
  

私の祖父 井手傳次郎は 長崎市片淵町で響写真館を構える昭和3年より前、
丸山公園近くの 船大工町に住んでいたという。

井手家八人兄妹 次男 幸蔵さん(90才)の手紙によると    

さて ご質問の 片淵への移住についても おぼろな記憶を辿ると・・・・
有名な思案橋から南方へ、丸山の花街を左にして下り、 
カステラの福砂屋を通る 籠町通りが大徳寺公園で切られたところ、左の山の手に登ると 狭い石畳の道となる。
その突き当たりに 楠神社という小さな土塀に囲まれた構があり、巨大な樟の木が そびえていた。

その向かいに長屋があって、 その一軒に 母と桃太郎、幸蔵とお手伝いさん2人が暮らした。
父は書生さんたちと 写真館に住み込んで、 ほとんど長屋には帰らなかったようだ。

毎夜、樟の木の主、梟の「ホウホウ」という 物悲しい鳴き声が 私の子守唄だった。

ある一夜、台風の雨もりがひどくて、 母やお手伝いさんの テンヤワンヤの姿を アリアリと想い出す。
さてさて、台風被害に参った傳次郎は必死に働き、 片淵町への移住を計画したのでしょう。

             詳しくは ふくろうの子守唄  http://kankarakan.jugem.jp/?eid=1153



「よし、船大工町に行ってみよう!」と 2010年10月 疎開していた佐賀県多良を訪ねた後、
三男 泉おじと 長崎船大工町に 行ってみた。 
泊まった宿が たまたま 新地中華街の入り口(下左のオレンジが中華門)だったので 
地図でみると 歩いて行けそうだ。



堀に沿っていく。 あの小高いあたりかな?
 
船大工町という地名からして 昔はこの堀が もう海だったのかもしれない。
原爆資料館などを 案内してもらった 長崎平和案内人 さるく案内人の 調さんにお聞きすると
やはりこれが昔の 海岸線だったようだ。
新地は 唐人の倉庫が並んでいて 出島のようになっていたらしい。 



梅香崎神社の鳥居をくぐって階段を上ると 大徳寺の大クスの 看板があった!


わ ここがドンピシャ船大工町だ!  
右手の石段を登ったところが 大徳寺のクスの木。
だとすると このバイクが止まっている 三角の空き地が・・・あやしい。

泉おじは 昭和5年生まれ。 井手家が片淵 響写真館に移ってから 生まれたから、
このへんの記憶は まったくない。



これが 小さい桃太郎と 幸蔵が木登りして遊んだというクスの木か。
わぁい、私も木に登ってみる。

 はじめまして〜 私は井手桃太郎や幸蔵の姪っ子です♪
 
  

クスの木の枝で毎晩鳴いてるふくろうの目線で 下を見ると 
白い車が止まっている さきほどの 狭い三角地帯に長屋があったことになる。

若き井手傳次郎と その妻梅子 小さい長男桃太郎と次男幸蔵は
片淵町に 響写真館を構える前 大正の終わりから昭和のはじめ
この駐車場の場所 クスの木の下の 細長い長屋に住んでいたようだ。 
この 写真は その 長屋の前らしい。  桃太郎と 幸蔵の 小さいこと!
昭和元年頃か。


一番右が 母親梅子。 あとの2人は お手伝いさんか? まだ 女性たちは 着物だ。 
左の写真は 長崎駅前だろうか?(写真撮影 井手傳次郎 ガラス乾板)
 

大徳寺の大クスの木の 向こうは 梅香崎神社の 公園になっていた。



たまたま通りかかった男性に 声をかけて 聞いてみた。 
 先ほど くすの木から見下ろした  細長い場所に バイクを止めてた方だ。 


―   この公園の下の細い三角地帯に、昭和のはじめ 私の祖父が住んでいたようなんですが。

男性  この下には最初は会楽園って中華屋が建っていました。
     大徳さんって 旅館もありましたし、風呂屋もありました。
     このへんは変わりました。そのビルなんてなかったから この公園から海が見えたんですよ。

 ―   まあ ここから 長崎湾が見えたんですね! このあたりにお住まいですか?

男性  はい。 私は昭和3年から この公園で 梅ヶ枝餅を焼いている 菊水の3代目です。

―    ええええ!(ビンゴ!)  ちょっと お話聞かせていただいて いいですか?

なんと 昭和のはじめから ここで 名物の 焼き餅屋をやってらっしゃる 菊水のご主人だった。

大徳寺公園は 「寺もないのに大徳寺」と長崎の七不思議として歌われた。
明治元年(1868)の廃仏毀釈で 大徳寺が 廃寺になったため 寺はない。
昔は 大きな藤棚があって 海が見える ちょっとした 観光スポットだったようだ。
焼き餅屋も 3軒あったとか。

かつては長崎港を望む景勝地だった


梅香崎神社。   幕末の志士たちの フルベッキ写真で有名な フルベッキも ここに住んでいたらしい。


菊水主人 この下には いろんな家が建ってましたよ。 通天閣っていうキャバレーもあったんですが、
    それがクリスマスイブの日に火事で焼けてしまったんです。

―   まあ、火事で?

ご主人  トタンの屋根に上ってホースで水をかけてもかけても、シュンシュンシュンシュン言って
     大変だったんですわ。このへんは本石灰町(もとしっくいまち)って言うんですが、
     また火事か また火事かっていうくらい なぜか火事が多かった。 

泉   このへんに フロリダっていうダンスホールありませんでしたか。
    僕は戦後 響写真館のお弟子さんだった 大久保月光さんのところに 写真の見習いに行ってた時、
    フロリダっていうダンスホールに 写真撮影に行ったことがあるような 記憶があります。

ご主人  ああ、フロリダは カステラの福砂屋のまん前です。 
     今はセブンイレブンになっています。     
     昔はこのへんは キャバレーひろとか 新世界とか キャバレーがたくさんありました。

―   にぎやかな歓楽街だったんですね。

ご主人   そうです。この坂を下ると丸山公園と交番があります。そのへんが丸山ですね。
      昔はもう、なんていいますかねぇ  私らは女郎屋(じょろうや)と言いますが・・・遊郭ですね。

      東京方面の遊郭とは出入りの数が違いますけんね。 長崎の遊郭にはかなわんでしょうね。
    東京方面の遊郭は1本すーっと見ておしまいやと思いますが、 長崎の遊郭はあっちを見てこっちを見てです。
     

丸山は 江戸の吉原、京都の島原と並ぶ日本三大遊郭。

菊水主人   美輪明宏のお母さんがやっていたカフェ「世界」も、
     福砂屋の前のセブンイレブンの隣の隣です。 思案橋の方へ ちょっと行ったところですね。
     美輪明宏は小学校の頃は しょっちゅうこの公園で遊んでいたんです。
 
―    へえええ! そうなんですか?

ご主人  美輪明宏の小学校は、この公園から坂を上っていった佐古小学校ですからね。 
     ここは通り道だからどうしても通る。 
     美輪明宏は いつも歌を歌いながら 帰ってましたよ。

―   そうなんだ。 
     
美輪明宏自身が 自伝的エッセイ 『紫の履歴書』の中で この公園のことを 書いている。


 近所のいたづら坊主達と 暴れ廻っていた頃
丸山遊郭の直ぐ裏手の 崖の上に 大楠の木が空にうねり 藤棚と 仲良く小さな 神社があった。

あちこちの 鯉のぼりや 吹き流しを見渡せる 境内の縁側に お春さんが 日なたぼっこをしていた。

 お春さんというのは 不幸な遊女達が より不幸に見える女気狂いだったそうで。   
 いつもはらんで   大きなお腹をしていたので 悪たれどもで ぽっくりを隠したりしていたという。


  序曲には 長崎という町への 格別の想いが書かれている。    
    
     私は九州長崎に生まれ、十五の年までそこで育ちました。
   竹久夢二の 長崎十二景の絵さながらに、港あり、丘あり、山あり、川ありで、
   その中にイスパ二ヤ、ポルトガル、オランダ、オロシヤ、支那、朝鮮、英米国人と、
   さまざまな国の人々を遠い祖先に持つ人々が、その面影を残した容姿や性癖、習慣で
   それぞれが幻のように生活しておりました。

     (中略)

   昭和十年ですから、まだ、世界大戦の前で衣食住も豊かで、
   ロシヤケーキ、支那餅を筆頭に 上海の方から送られてくる、さまざまな品物で町は賑わっていました。

    当時、カフェーや料亭などをやっておりました私の家では、
    島原や天草あたりから出て来た女中や女給にまじって、
    白系ロシヤや混血児の女給達もいました。

      (中略)

      古い町なりに 因習的なくせに、反面、南の国らしくお祭り好きで開放的で、
      情けの深い人なつこい街でした。

      (中略)

 やがて戦は始まりましたが、すべてはあの一条の閃光で終わりを告げました。
 原爆の中を裸足で逃げまどい、地獄絵さながらの、あの光景は、一生私の胸から
 消えることはないでしょう。
    しかし、あの長崎のコバルト色の空や港、中間色の町並みを見下ろす乳色の夕もやに
  包まれた丘の上にある学校の講堂で、遅くまでピアノを弾いてうたっていたあの頃が、
  一番美しい想い出ともなっています。

   もし、それが他の都市であったなら、音楽を伴侶にしている私は、きっとあり得なかっただろうと
思っております。 

                                           美輪明宏 『紫の履歴書』


  
菊水主人  佐古小学校は 昔の小島病院の跡地で、この前150周年のお祭りをしたばかりです。 
    小島病院は オランダ人の医師ポンペが開いた 医学伝習所の後、長崎医大の前身です。

     遊郭の女郎たちは 定期的に 上の小島(こしま)病院に検査に行かなきゃいけなかったんですよ。
     昔は梅毒とか淋病とかね、商売にならんから調べなきゃいけなかった。 
     「今日は 検査ど〜」って 若い娘たちが この公園を通って行きました。 
 
生活のために 貧しい村から 遊郭に働きに出された 若い娘たちが たくさんいたのだろう。
梅毒の検査で 病院に行く前の 束の間の時間
長崎港が見える公園で こっそり あつあつの焼き餅をかじりながら 
娘たちが 検査の不安な気持ちを 紛らわしてる 光景は なんだか 切ない。 

―   原爆の時は・・・・

ご主人   落ちた瞬間は家におったのですが、知らんのですよ。
      爆風はあったと思いますが、一山向こうですからね。 こっちには来ませんでした。
      最初は常盤橋あたりが目標だったそうですから、そこだったら やられていたでしょう。
      この公園の あの階段の下は 全部防空壕だったんですが。 
      爆心から 3キロまでは 被爆手帳の許可も 出なかったんです。

      
ご主人  焼き餅 焼きますか。 
―   わぁ お願いします!

注文を受けてから 餅米の粉を熱湯で練って こねてから あんを包んで 焼くという。

梅ヶ枝餅を焼いてもらう間  丸山公園の方へ 坂を下ってみる。



坂本龍馬の銅像のある 丸山公園。

萄讐伊榲垢ら 入った通りが 観光通り。 ここをまっすぐ行くと 居留地や 港の方に出る。
つまり 波止場についた 外国の水兵が まっすぐ 丸山に来られる 観光通りというわけだ。
この通りにある オビナタという スパゲッティやさんが 中嶋写真館のあったところらしい。
この場所が 傳次郎が 片淵に 響写真館を開く前に やっていたところの可能性が高い。 



裏道は カスバのよう。 長崎は こういう 迷路みたいな 細い坂道が多い。





梅ヶ枝餅が焼けてました。 大きくてびっくり!  あつあつの 美味しいこと!   
大阪の桃太郎睦子の家と 幸蔵さんにも 送りました。 

菊水のご主人 おくさん 町のイメージが浮かぶ 貴重なお話聞かせていただいて ありがとうございました!


悲しい物語も多い 丸山 大徳寺公園 
長屋の雨漏りだけでなく 子どもたちの 教育環境も考えて 傳次郎は 片淵への 転居を 考えたのかもしれないなと 思った。
親の思いとは うらはらに 大徳寺の大きな くすのきで 遊んでいた時が一番楽しかったと 
長男 桃太郎は 言っていたらしいが・・・
                                                 (写真撮影 根本信義)










 
 


   




| 長崎8人兄妹物語 | 00:25 | comments(4) | trackbacks(0) |
Comment
長崎きょうだい物語という大きな車にエンジンがかかって何よりです。かつての美輪明宏さん、モノクロテレビでかいま見た勇姿が忘れられず、こんどの紅白での熱唱(youtubuで見ましたが)の話題にわくわくしたし、当世のどんよりした報を吹っ切てくれたような気がする。長崎で歩き回った場所も出てきて、うれしいな。夏木さんのお誕生日ということなので、偲びたいと思います。
2013/02/11 1:06 AM, from ぱくこ
ぱくこさん、先日は至福の時間を
ありがとうございました!犬の夜鳴きで夜中に起きたら、さっそくのコメントありがとう。ブログはフリーズしててもハイブリッドシステムでやってはいるものの、エンジンポンコツだから(汗)長崎ラビリンス、チャンポン過ぎてすぐにデッドエンドへ。のんびりやの夏木も待ちくたびれるというご指摘、ほんとだよね〜。いつも応援ありがとう!
2013/02/11 8:21 AM, from かんからかん
唐突ですが、美輪明宏さんもきょうだい、家族思いの方らしい。「ヨイトマケの唄」から貫いている信念があるんですねえ。家族は永遠の課題です。家族といえば、映画『かぞくのくに』が柏のシネマスポットでも公開されるようではありませんか!こちらもなかなか行けませんが、ぜったい観たいなあと毎日思いだけは熱いのです。
2013/02/16 12:44 AM, from ぱくこ
ぱくこさん、義母の10日間の入院、退院後の食事作り、うちのリアルかぞくも犬の絶叫をバックにバタバタ進んでいます(汗)ヤンヨンヒ監督は『ディア・ピョンヤン』以来アヤカが大ファン。『かぞくのくに』はドキュメンタリーではないのですね。ぜひ見たいです。佐世保のお話、やっとアップしました!長崎物語は私にとってはリアル家族のヒートアップから逃れる冷却装置になっていますが、鍋焦がしたり!火の用心!(爆)
2013/02/19 9:51 AM, from かんからかん









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