<< 追求 | main | ベビー・ピー第11回公演 『サカナノクチ』 >>

ふくろうの子守唄

「全然覚えてませんね〜。 何か思い出したら 書いて送りますよ。」と 言っていた幸蔵おじから、
便箋5枚の 手紙が来た。  相変わらず きっちりした達筆だ。 
私が電話したのが 9月12日だが 手紙は9月15日付。  88才(当時) 迅速だ!(笑)

以下 幸蔵さんの手紙 


 私が大正11年10月9日に佐世保市常盤町の母方の実家で生まれたとは初耳だ。
母から聞いた記憶はない。 聞かなかったのが事実と思うのは、
私の両親は過去の話は一切しなかったからだ。

母の実家は 佐世保でトップの米の卸問屋だった。 20m四方位の中庭を囲んで、
その一部分に理髪店、食料品店、雑貨店などの店子が店を構えた大きな屋敷構えであった。
これは傳次郎の実父の実力に均衡がとれていた。
傳次郎の実父(井手乙松)は、海軍の御用達商人として辣腕を振るっていたが、
共々にこの世は極楽だったのだろう。

しかし禍福はあざなえる縄の如しで、
父方の一族は長崎の原爆で、母方の一族は佐世保軍港を中心とした猛空爆で全滅した。

さて ご質問の 片淵への移住についても おぼろな記憶を辿ると・・・・
有名な思案橋から南方へ、丸山の花街を左にして下り、 
カステラの福砂屋を通る 籠町通りが
大徳寺公園で切られたところ、左の山の手に登ると 狭い石畳の道となる。
その突き当たりに 楠神社という小さな土塀に囲まれた構があり、 
巨大な樟の木が そびえていた。

その向かいに長屋があって、 その一軒に 母と桃太郎、幸蔵とお手伝いさん2人が暮らした。
父は書生さんたちと 写真館に住み込んで、 ほとんど長屋には帰らなかったようだ。

毎夜、樟の木の主、梟の「ホウホウ」という 物悲しい鳴き声が 私の子守唄だった。

ある一夜、台風の雨もりがひどくて、 母やお手伝いさんの テンヤワンヤの姿を アリアリと想い出す。
さてさて、台風被害に参った傳次郎は必死に働き、 片淵町への移住を計画したのでしょう。

その片淵町に移ってからすぐ 夏木は生まれました。
長女の 翠が早逝したこともあり、とにかく大事をとって 夏木の出産を考えたのでしょう。
その日は、 長崎の産婦人科の名医が3人の看護師さんを連れて、
10畳の新築部屋で 大切に 手当されたとのこと。 
一番古いお手伝いさんが 産湯の手伝いをして 私に教えてくれた。

私は妹が生まれたのが嬉しくて嬉しくて、2、3日後 母の許しで 初対面ができた。
母乳の香り高い 夏木のホホをつつきながら 生命力に感激したことを 想い出す。
自分の生命力の自覚もなかった幼児も、 間違いなく母からもらった夏木を眼前に、
それが生命力以外の 何者でもないと直観したのであろう。


アハハ どこが 「全然覚えてない」の〜〜? (笑)
こんなにリアルに覚えてるじゃないか〜、私まで 映像が眼に浮かぶよ 幸蔵おじちゃん! 
ありがとうございます! まんま 使わせて いただきますよ!


手紙は最後に 
これで千絵さんに最高のエピソードを贈ることが出来ました。
めでたしめでたし。
よく想い出したものだ。 80年ぶりの私の脳の健全が自証された。」 

と お茶目に結んである。(ちょうど夏木の誕生日だ。笑) 

そして
それにしても 千絵さんも 心機一転、心の旅路を再開されたようで、
私も活を入れられた気がしました


だって。 幸蔵さんは もちろん インターネットは 見ないが、
私が 去年の震災と 原発人災で 精神的にへばって 中断してたのも バレてたのかな。
恐るべし88歳。 指揮官はどっちだ?(笑)


ともあれ だいぶ ストーリーが見えてきた。 よし 船大工町へ 行ってみよう!
| 長崎8人兄妹物語 | 23:55 | comments(3) | trackbacks(0) |
Comment
はじめまして。長崎市在住の宮田と申します。県立図書館で写真集長崎を見て以来、響写真館のことは気になっていたのですが、これほど詳細に調べられておられる関係者がいらっしゃるとは...大変驚きました。(ちなみに私は以前バプテスト教会に通っていました。)
もし何かお知りになりたいことがありましたらお気軽にご連絡くださいませ。
2012/04/14 9:16 AM, from 宮田和夫
長崎の宮田さま、コメントありがとうございます!しかも響写真館の跡地に建つパブテスト教会に通っていらしたとは奇遇ですね。去年の秋、長崎NBC放送のアナウンサーイベントでも写真画集長崎の写真を
使っていただいたようです。長崎にたった15年しか存在しなかった幻の写真館ですが、私の祖父井手傳次郎の写真が今の方たちにも気にしていただけるのは嬉しいです。このブログの右側カテゴリィ長崎8人兄妹
物語は発表した最近のものから辿る形式なので、弟がまとめた目次が
発表順でわかりやすい。お時間ある時に見ていただけたら幸いです。
http://harryblog.exblog.jp/13907894/
2012/04/14 10:04 AM, from かんからかん
本日写真集を再確認してまいりました。
住所の表記が船大工町になっておりましたので、新大工町に移るより前から
「響」の名称を使われていたのですね。
私はてっきり新大工町・写真館前の堂門川の、滝のような落差が生み出す
「ごぉー」という川の音に起因していると思いこんでおりました。
本の序文には古賀十二郎や武藤長蔵、また渡辺庫輔など当時の長崎学を代表する
人たちの名前が並び、おじいさまの幅広い交友関係がかいま見えますね。
「長崎8人兄妹物語 」やっと三分の二くらい読み終えたところです。
2012/04/14 8:12 PM, from 宮田









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